7 無双の星雲

「はあ……はあ……はあ……」


 カスミは心は、ひどく恐怖していた。


 今この瞬間、死という意味を知る事になるかもしれない最悪の状況に。


 カスミは目の前のキングを睨み続け、逆転の機会を常に窺っている。


「どうした? 私を斬るのではなかったのか? その……ナマクラで」


「だ、黙りなさい! 私は、まだ……」


 毒を盛られた上に、運悪く悪天候の雨天。


 カスミには限界が近づいていた。

 否、もう限界だった。


 解毒のポーションを服用したものの、効力が薄く時間は長く保たなかった。


 カスミの意識は朦朧としており、刀もあと何度まで振れるかも分からない。


「やはり口だけか……。

 今すぐに降伏すれば、数日は生かしてやりたいが、あいにく解毒剤は持っていなくてね。大人しく、諦めて死んだらどうだい?」


 悪魔のような声かけが、カスミの大切な一回限りの命を削っていく。


「そろそろ、レーヴァン君の相手も終わった頃だろうしね。ここらで切り上げよう。

 君も、もう休みたいだろう?」


「まだ、私、は……やっと……逃……」


 逆転の機会を窺っている。

 その心がけも、いつまで残るのかも時間の問題だった。


 恐怖で動けず、毒で動けず、死を待つように動かない。

 その覆せない事実をカスミは悟り、詰みだと思い込むようになってしまった。



 ――そんな時、それは現れた。



「ッ!? 何だ、これは」


 キングの驚くような声に、カスミの意識は少しだけ目を覚ます。


 流れてくる、尋常ではない魔力の波動。


 朽ちていく命を無理やり連れ戻すような、そんな希望に満ちていた魔力だ。


「一体、何………?」


 次の瞬間、世界が揺れた。


 空気、大地、魔力、その全てが振動したのだ。


 それは限界だったはずのカスミを叩き起こし、生きろと言わんばかりの蒼光が散る。


「――カレンッ!」


 キングはその光を見た途端に、カスミを放置してその方へ走っていった。


 カスミは、その予期せぬ事態に救われた。


「……レーヴァン、さん?」




 □□□□




 ――冒険者は、特別危機に陥る事が多い職業だ。


 魔物の相手やダンジョンの攻略。

 様々な脅威に自ら身を投じる命知らず集団と言っていいだろう。


 そんな荒くれ者たちの中には、なぜ冒険者であるのかも理解できない若者もいる。


 体は貧弱、心は頼りなく、最底辺から未だ抜け出せない一人の冒険者。


 ゴブリン一匹にすら遅れをとる、正直言って冒険者という荒い職には全く向いていない奴だ。


 家を追い出され、金を稼ぐために過酷なレールの上へ立った無謀な少年。


 その少年は、ある日“呪い”を授かった。


 誰からの贈り物、どこで受け取ったのか、神様のイタズラなのかどうかも不明だった。

 その呪いは強大で、死ぬ事を決して容認してくれはしない。


「――『スターフュージョン』……」


 ユートの口から自然と出た言葉は魔法詠唱。


 体は一気に軽くなり、重力は反転するように落下速度を遅める。


 フワッとした感覚と同時に、魔力量が増幅するのが分かる。


 昼時とは全く別の魔力が溢れ、最弱の存在を高速で覆い尽くす。


「あはは! どうかしら、天空から叩きつけられた感覚、は……?」


 クイーンは高らかに笑うが、遅れて奇妙な事が起きたと気が付いた。


 ユートが平然として地面に着地したからだ。


「何で生きて――!」


 不満の声をあげ、疑問が絶えないと怒号をあげている。


 ユートにはそれがあまり正確には聞き取れなかった。


 少年の中身は一変、首を絞めて落下させた吸血鬼を睨みつける。


 クイーンはその視線が気に入らなかった。


 人間のくせに何様だ、私をそんな目で見上げるな、と。


 不快感が込み上げてきたクイーンは次の行動に移した。

 先ほどの中級炎魔法を威力を高めてユートに向け放つ。


「消し炭になりなさい! そして、早くお前の血を見せろぉ!」


 品位さのかけらもない、敵を殺すための力だけを注いだ猛火。


「…………」


 ユートはそれに対抗するため、自身が持つ魔法を展開させる。


 猛火は、突如として現れた壁に阻まれて呆気なく霧散した。


「どうなっているの……? 魔力の流れ、質、存在そのものが違う。私の、魔法が……」


 クイーンのユートに対する印象は反転するように変わる。

 自分の獲物として見ていた下等生物は、いつも通り色鮮やかな赤色の血を魅せてくれると思っていた。


 それなのに、期待外れも甚だしいと思わせる、蒼色の極光だった。


「……星の名を問え」


「……ふふ、いいわ! その澄ました顔を今すぐに引き裂いてあげる、泣いて命乞いでもしていなさい!」


 クイーンは激情し、勢いよく滑空していく。

 爪を尖らせ、牙は鋭く、魔法の力で加速する。


 人間離れした戦い方、恐ろしく速い移動速度だ。


「それは数多の旅路を描き、輝き、真なる道を示す者」


 だがユートはそれに動じなかった。

 詠唱を紡ぎながら、クイーンの攻撃を迎え撃つ。


「ぐふっ!?」


 ユートの回し蹴りが、クイーンの横腹に炸裂した。

 鈍い音を立てながらクイーンは地面へと打ち付けられ、転がり回る。


「な、何が……」


 クイーンには理解不能だった。


 力量すらも別人、武術の心得なんてまるで感じられなかった少年が、自分に反撃を喰らわせた事に。


 想像以上の威力の蹴りを直撃した事で、クイーンの思考はより絡まる。


「誰なの……? あなたは、お前は一体何者? これほどまで私を侮辱した人間は他にいないわッ!」


 低空飛行を繰り返し、クイーンはユートに襲いかかる。


 が、ユートは次々と向けられるその殺意と攻撃をいなし、躱し、受け流し、無効化する。


 一手、二手、三手。


 完璧な軌道、確実に届くであろうクイーンの不意打ちでさえ、届かない。


 ユートの振るう剣は、大して変わらない平凡なものだった。


 剣術が何段階も上達したと錯覚を起こすのは、きっとその速度であろう。


 彼の体は魔力に溢れ、常軌を逸した身体能力を獲得していた。


「血、血、血ぃ! 早く、見せてちょうだいよッ! 耐えられない、お前を殺さないとこの衝動は収まらな――!」


 クイーンの聞くに耐えない声が木霊こだまする。


 その血塗られた願いをへし折るため、ユートは容赦なく俊速の突きを放った。


 剣には凄まじい熱量が宿っており、魔の者が触れればひとたまりもないだろう。


 クイーンはその剣を避けようとするが、一歩間に合わず肩に深く傷を負う。


「あ゛あ゛もう! 私は、悪夢でも見ているの!?」


 現実ではないと否定するクイーンに、さらなる非現実的が降りかかる。


「空よ唄え、地よ聴け。解き放つは星雲の大海」


 ユートに集まるのは光、光、光。


 その全てが闇を相殺する、星のエネルギー体であった。


 ユートが言葉を繋げる度に出力をあげ、夜の世界に浸透していく。


「くっ……! 我が下に集いし猛る灯火よ!」


 クイーンはその光に恐れを抱いたのか、視界から消し去ろうともう一度炎魔法を唱える。


 その判断は悪くないが、あくまで彼女がユートを超えるほどの魔法が使えるかどうかに限っていた。


 最善の選択は、だけだった。


「今ここに、蒼命の真髄を…………」


 ユートは最後の詠唱を終え、剣を静かに構える。


 大気が揺れ動き、空間を歪ませるほどの魔力の波動が流れていく。


「『ブレイ――」


「『ソード・コスモス』」


 そして、時は満ちた。


 光は一ヶ所に瞬間的に集約され、一切の曇りなき輝剣となった。


 ユートは、それをクイーンに向かって振り上げる。


「…………は――」


 斬撃と呼べるかすらも曖昧な一閃。


 通常の間合いでは決して届くことのない剣は、猛火ごと彼女を真っ二つに断ち切った。


 大地を削り空を穿つ。


 その衝撃は時間を置き去りにし、追いつく頃には空気を爆ぜるように散っていく。


 光はクイーンを飲み込み、幻獣の咆哮の如き轟音が村全体に響き渡った。



 戦場とは思えないほどの静けさが残り、佇むのは少年ただ一人。


「……はっ、いい気味だよ」


 剣で肩をとんとんと叩きながら、ユートは小さく呟いた。


 あれほどの威力の魔法を放ってなお、疲れた様子は全く現れていなかった。

 むしろ、徐々に力が高まっていくようなオーラが身を包んでいる。


「ふぅ……流石に今回はやばかったな。間一髪とはこの事か、やっぱり遅く出発すれば良かった……」


 剣をぶら下げ、吸血鬼が完全に灰と化したのを見届けるユート。


 地には雑草と埃、水溜りしか残らず、ひんやりとした風が通り抜ける。


 余韻に浸るのはまだ早いと、ユートの下に元凶が帰ってきていた。


「……」


「やってくれたな、冒険者風情が……!」


 夫婦の片割れ、吸血鬼のキングが血管を体のあちこちに浮き出しながら歩いてくる。


 タキシードは剣で斬りつけられた跡があり、ボロボロであった。


 耐え難い憤怒をユートに押し付けるキングには、優雅たる姿はもうすでになかった。


「サレンに飽き足らずカレンまで……貴様らは生かしてはやらない。決してなぁ!」


「貴様ら……ということはまだカスミは無事か?」


「ふん、あの小娘は直に死ぬ。……膨大な魔力の放出が真横で行われれば、嫌でも気づくというもの」


 変わり果てたユートの姿を見てキングは確信していた。

 甘く見ては、家族と同じ末路を辿ると。


 最大限の憎悪を放ちながらキングは、ユートにゆっくりと近づいていく。


「お前の、その魔法は何だ、光の魔法ですらない。それは、一体何だ」


 キングは低い声で問う。


 輝かしい蒼い魔法。

 夜であるからこそ、その本領を発揮する異次元級。

 底を未だ見せない正体不明。


 ユートの傍から見れば、誰もがそうやって感じる事だろう。


「星属性魔法」


 ユートはそう軽く答えた。


「ほし、ぞくせい……? 聞いた事がない、あれほどの魔法が世に知れ渡っていないなど……」


 この世の魔法には基本として、八つの属性がある。


 炎、水、風、地、光、闇。

 派生として氷、雷だ。


 その中に、『星』という存在は分類されていなかった。


「……まあいい。確認する必要すらない」


 キングは大きく踏み込んだ。

 雑草は消し飛び、吸血鬼たらしめる翼は風をどかす。


 クイーンを超える速度でユートの前に出現し、そして


「なっ……」


 ユートが正面から迎え撃ち、その翼を切り裂いたのだ。

 一瞬の出来事、だがそれはキングにとって決定的な致命傷のようなものだった。


「そんな、バカな……!」


 翼を失ったキングは濡れた地面に落ちた。


 もう空を見上げるしかなくなった吸血鬼は、振り返ってユートの反撃に備える。


 が、ユートはじっとキングの方を見つめていた。


「……レーヴァン、君。君はそれほどの力を隠しながら、私を、私たちを嘲笑っていたんだね」


 カスミの刀でさえ傷つく事がなかった翼を斬り伏せたユート。


 何も言わず、ただキングを見つめ続けている。


「君も、私たちと同じというわけだ。自分よりも弱い者を絶望へ追いやるのが大好物な獣! ああ、私と君ならまだ仲良くできる……娘と妻の事は不問にしてあげるか――」


 ら同盟を組まないか? と提案をしようとしたところで、キングの首は胴と離れ、永遠に事切れた。


 それを実行した何者かが、死体の背後から歩いてくる。


「……危ないよって言えばよかったのか?」


 ユートは、静かな殺気を放つその人物にずっと意識を傾けていたのだ。


 ――否、人ではなかった。


 人の形をしてはいるが、あくまで二足歩行、頭と体を持っているだけだ。


 問題は、剥き出しの牙と全身に生えた刃のようなトゲだった。


 一本のトゲがキングに伸び、切り裂くように首を薙いだのである。


「初めて見る魔物だな……俺の魔力に引き寄せられたのとか? 退治してもいいのか、俺を助けてくれたのか……」


 ユートは一応剣を構えて様子を見るが、正体不明の生き物は後ろを向いて帰ってしまった。


 見逃したのか興味がないのか、はたまた恐れたのかどうかは分からない。


「何だったんだよ……っと、カスミはどうなったんだ?」


 ユートは村長の家へと走っていく。


 その道の途中で、意識を失い、青い顔で倒れているカスミを見つけたのだった。

 

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