3 夕刻前の雷雨

 暑苦しい昼から一変。


 天気はやや曇り気味に変わり、今にも雨が降りそうだった。


「……傘、持ってきたほうが良かったか?」


 俺は一人薄暗い野原の道を歩いていく。

 吸血鬼退治の依頼を受けてラタデ村に向かっていた。


 俺は宿でいつもの魔物退治に行く際の装備に着替えてきた。

 装備と言っても、灰色のコートを羽織ってショートソードを持ってきただけだが。


 ついでにポーションを買おうと思ったが、売り切れで買う事はできなかった。今にも倒れそうである。


「はぁ……まだ夕方前か。もう少し経ってから出発するべきだった」


 こう広い平原だと、スライムなんかが湧いて出る事が多いな。

 見た目は可愛らしいけど、強酸性の分泌液を飛ばしてくるから危険だ。


 今魔物に出くわそうものなら瞬殺されてしまう。

 そうならない事を祈るしかない、戦闘能力なんてこれっぽっちもないからな。


 知能の持たない犬型などの魔物は凶暴で、人間を見境なく襲ってくる。

 ゴブリンやオークは別にこちらが手を出さなければ何もしてこない。

 だが人間を獲物とする奴らもいるので、一人でいる時は常に警戒が必要だ。


「ここか」


 しばらく歩いていると、通報のあった小さな里村が見えてきた。

 地図も一致しているんだけど……。


「……めちゃくちゃ近いじゃん、村と森」


 ラタデ村と森は隣接するようになっていた。

 よくこんな所に家なんて建てようと思ったものだ。


 襲われてもおかしくない村の前に到着した。

 そこで槍を持った門番らしき男に話しかける。


「すみません、依頼を受けて来ました」


「ん? ああ冒険者の方ですか! 待っていました、どうぞ中へ……」


 笑顔で出迎えられた俺は村に足を踏み入れ、門番をしていた男についていく。


 王国の近くにあるのに活気がまるでない。

 今の天気と相まって、より空気をどんよりとさせている。

 見る限りでは誰も外に出ておらず、どの家も戸締りがされていた。


 以前に訪れた時はこんな村じゃなかった。


 花が咲き乱れていたのが印象的だったのが、短期間でこれだけの生気が失われるとは……。


「こちらが村長の家です。……娘さんを亡くされたばかりなので、あまり刺激をなさらないよう」


「……そんな深刻な事態だったんですか?」


「はい、あの森に吸血鬼どもが現れてから被害に遭った村人は大勢います。……どうかお願いします」


 討伐を必ず成功させろという目で訴えかけ、門番の男は元の定位置に戻っていった。


「こんにちはー……」


 俺は村長がいるとされる家の木の扉を開けた。

 その中には、椅子に座る男が一人。


「誰だ」


「冒険者のユート・レーヴァンです。吸血鬼の依頼を受けましたので、その連絡を」


「……そうか、君受けてくれたのか」


 男は椅子から立ち上がり、俺の前までゆっくりと歩いて近づいてくる。

 かなり痩せ細っており、目の下にクマができている。吸血鬼に散々やられた後なんだろう。


 人型の魔物は必ずと言っていいほど人に害する者達だ。

 会話は通じるが、最終的には命を襲ってくる。なんでも、殺人衝動が抑えられないとか。


 そいつらに自分の娘を殺されたのだ。こうならない理由はない。


「君も? 俺以外に誰か……」


「そう。私も、です」


 そんな女性の声が奥から聞こえてきた。

 どうやら先客がいたらしい、村長の後ろから誰かが靴音を立てて歩いてくる。


 藍色のリボンにまとめられたポニーテールの艶やかな黒髪に、大きく開いた青い目。帝国製らしき特徴的な黒い軍服。

 腰に刀剣を帯びており、凛とした雰囲気を纏う少女だった。


「私はカスミ・ヤヨイ。帝国から来た冒険者です」


 俺の他にも魔物退治を引き受ける奴がいるとは……。

 それもかなりの美少女。風格から見ても、剣の扱いが上手そうな強者感が溢れ出ている。


 村長は帝国のギルドにも依頼を出していたんだな。

 まあ確かに、王国から冒険者がやってくる保証もないから、当然とも言えるけど。


「二人も来てくれるとは……本当に感謝するよ。

 一ヶ月前から何度も申請はしていたんだがな。こうして来てくれたのは、君たちだけだったよ」


 村長は精一杯の笑みを浮かべて、目に涙を溜めている。

 ここまで期待されると、もしもの場合に言い訳できなくなってしまうな。

 受けたくて受けたわけじゃないが、強い責任感が湧いてくる。

 

「村長さん、話の続きをしていただけますか?」


「おお、そうだったな。……レーヴァン君も少し上がっていきなさい。疲れの取れる良いお茶を用意したんだ」


 二人は家の再びテーブルに着いて話とやらを再開した。

 吸血鬼の詳細についてはもう分かっているから、別に俺まで話に参加する必要はないんだが……。


「疲れの取れる茶、ねぇ?」


 俺は扉を閉め、二人についていく。

 そしてカスミの隣の席に座った。


「それで、吸血鬼は二人組だったのですね?」


「ああ、男女のペアだ。見つけた時は命からがら逃げる事に成功したんだ」


 会話を傍に、俺は目の前にあったティーポットを自分でカップに傾けて茶を注ぐ。


 カスミが卑しいと言った目でこちらを見てくるが、生憎俺だって死にそうなんだ。

 効力を信じて気を紛らわす程度にはいいだろう?


「レーヴァンさんは、そんな軽装で大丈夫なんですか? 今夜にでも戦闘があるかもしれないというのに……」


「鎧で固めてしまったら、それこそ動きにくいでしょ? そっちだって軽装じゃないか」


「それは、そうですけど」


 一番軽いと売られていたショートソードは、俺にピッタリだ。両手剣なんて使っていたら振りづらくてしょうがない。


 コートは黒狼という魔物の毛皮で作られた唯一の高額出費物だ。

 魔法の攻撃を2割ほど減少させてくれる魔道具。

 直撃したとしても、生きられる程度には防御してくれる優れもの。

 

「吸血鬼をあまり舐めてはいかんよレーヴァン君、奴らの牙は鉄をも貫く……」


「大丈夫ですよ村長、戦い方は心得ていますし。俺にとって、別に恐れるほど強敵というわけでもないですしね」


「……そう、か。ならいいんだが」


 村長は俺の余裕の態度に若干ひきながらも、カスミとの会話に戻っていった。


 ダンジョンは無理だが、魔物の知識、戦闘経験は豊富なほうなのだ。

 奴らの行動パターンは大体頭に入っているつもりなので、いつも通りやるだけだろう。


 俺は黄緑色の茶を口にし、ゴクゴクと喉に流し込む。


「酷な事を聞きますが、娘さんはどこでどうやって殺されたのでしょうか」


 ……思ったより味が濃いな。舌に苦さがまとわりつくような後味がする。

 美味しくないというわけでもないが、初めて口にしたような独特な茶だった。


「……娘が死んだのはつい昨日の話だ。

 サレンは夜道を歩くのが好きでね? 好奇心のせいかいつもとは違う景色を見たいと言って、遠くの森に向かって家を出て行った」


 ゴロゴロと雷の音が外から響いてきた。

 窓に大量の水滴が垂れているのが分かる。


 やっぱり傘は持ってきたほうが良かったな、びしょ濡れで帰るのは嫌いなんだ。


 こうジメジメした雷雨の日だと……レイニーシャークの群れが出てくる事が多い。

 雨に濡れた地中を泳ぐその様は、少し怖く感じてしまう。サメだし、凶暴だしな。


「だがあまりにも帰りが遅いものだがら、心配になって私は娘を探しに行った。だが、もう手遅れだったんだ」


 ……ん? 昨日の話と言ったのか?


 雨に気を取られてしまっていたが、それだと辻褄が合わない。

 村長は一ヶ月前にギルドに救援要請の依頼を出したとさっき聞いたはずだけど……俺の聞き間違いか?


「娘の唸り声が奥から聞こえてきてな……。そっと茂みから覗き込むと、そこには動かなくなった娘と、娘を袋に詰める人影があったんだ」


 まあ、気のせいだろう。

 寝不足なもんだからいけない幻聴でも聞こえてきたんだろうか。


 今の時刻はおそらく夕方、俺が行動するのタイミングは今だ。

 森に出るとされる吸血鬼を待ち伏せするには丁度いい。

 雨のせいで少し動きにくいかもしれないけど、多少の問題はない。


「ありがとうございます。……吸血鬼、なんて非道な。許せません、今すぐにでも行って成敗します」


 カスミは席を立ち上がり、茶を一気に飲み干して玄関へと向かう。

 正義感の強いことで……俺を卑しい目で見てたの謝ってくれないかな?


「そうだ、レーヴァンさんも私と共闘しましょう。二人でいたほうがより敵に気付けると思うんです」


 俺にそんな提案をしてくるカスミ。


 刀剣に手を当てて完全に戦闘モードに入っている、やる気満々だな。こっちはまだ調子出てないんだが……。


「いや、吸血鬼はつがいの可能性が高いんでしょ? だったら、一人で一人を相手にしたほうが効率的にいい気がするんだけど」


「でも、二人のほうが危険は少ないでしょう?」


「……まあ、それでもいいか」


 俺は1人のほうが楽でいい。

 周りに人がいると何かと気を遣わなければならなくなるからな。


 それに今は雨だ、夜ではない。

 その場合、カスミは俺を守って戦うことになるけどいいのだろうか。


「おや、お茶はもういいのか? 良い味だったろう、もっと飲んでいきなさい」


「はい、俺はもう結構です。ありがとうございました。……えーっと、美味しかった、ですよ?」


「――そうか。それはよかったよ」


 村長に出来る限りの感想を述べて、俺も席を立ってカスミの後に続く。


 俺はコートについているフードを被って少しばかりだが雨除けに顔を守る。

 カスミが玄関の扉を開けると、大粒の雨がザーザーと空から降ってきていた。


「これは視界が悪いですねッ! 大事な任務の日に大雨とはついていません!」


 確かにこれほど強い悪天候は久しぶりかもしれない、昼は雲一つなかったのに。

 夜じゃないのにもうこんなに辺りが暗いとなると、いつ吸血鬼が出てきてもおかしくない。


 ――と、俺はそこで何か異変を感じた。


 舌がなんだかピリピリとしている。

 とうとう寝る時間が少なすぎて体がおかしくなってしまったのだろうか。

 痺れるような痛みが口に発生し始める。


「レーヴァン君。もう一度聞くが」


 目の前にいたカスミも驚いた表情をしていた。


 彼女も俺と同じ症状が出ているらしく、体を震わせていた。

 続くように、激しい嘔吐感と拘束されるような痺れが全身に走る。


 俺は疲労困憊なのであり得るが、健康そうなカスミまで苦しむように悶えている。

 となれば、考えられる原因は一つ。



「お茶のお味は……いかがだったかな?」



 村長は席を立ち上がり、窓に映る雷と闇をバックにそう問いを俺たちにかけた。


 村長の背中から何かが生えてきている。

 徐々にそれは大きくなっていき、家の中にギリギリ収まってその正体を見せつけた。


 先日間近で見た、黒いコウモリの翼だ。

 それは一回二回と素早くはためかせ、存在を嫌でも知らしめる。


 村長は先ほどとはまるで違う気配をしていた。

 ニタニタとした不気味な笑みを浮かべている。


「……なるほ、ど。クソ不味い茶だったよ」

 

 どうやら飲んだ茶の中に、麻痺毒の成分が含まれていたらしい。

 そののしてやったりという顔を見ればすぐ理解できる。



 俺達は、まんまと嵌められたわけだ。


 

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