それまで事もなげにキーボードを打っていた手がピタリと止まって、身体は凍りついたように動かなくなったのです。
「どうした?」
波部は勢いよく藤田を見ました。
まるで生涯の救いを求めるかのような目で……。
「
「は?」
「この前だって顧客訪問の一環で沖縄まで行ったじゃないですか! おれと藤田さんと、市本係長だっていました! 覚えてませんか?」
隣の女性が、酷く迷惑そうな顔で振り向きました。
「なに言ってるの? いつの話よそれ。あなたまで作り話して困らせようとしてるの?」
「作り話じゃないです! 事実です! 一週間前、和了の本社がある沖縄に行ってプロジェクトの打ち合わせを三、四時間くらい……途中、昼挟んでまで話し合った! ほら、この資料です」
「お前っ、請求書が……」
波部は、デスク脇にある書類立てに手を突っ込んで資料を引っ張り出しました。その勢いで藤田から預かった請求書の山が土砂崩れを起こし、次々とゴミ箱へ落ちていきました。
「忘れたんですか? 主に市本係長がこのパワポの資料作って、おれと藤田さんも遅くまで手伝ってた。チームの共有ファイルを見てください、そこにもあります――」
波部が言い終わるのを待たずに、市本はその資料を手に取りました。
そして、まるでゴミ箱から拾ってこられたゴミを見るような目つきで見つめたのです。
「何よこれ……こんなの作った覚えないわよ」
ゴミ箱から請求書を拾い尽くした藤田も、何だよそれ、と、その資料に眉をひそめます。周りの従業員たちも、こぞって疑わしい顔をするばかりです。
「なんで……」
波部は絶句しました。
「おい、この見積書ファイルは誰が作ったんだ!」
電話を終えたらしい中村所長が、事務所の角に固められているファイルラックから一冊のファイルを取り出し、吠えました。
「ホーラコーポレーションの担当者は? 作ったのは誰だ。おれはこんな顧客知らないぞ!」
その場にいた全員は、まるで示し合わせたように黙り込んで、事務所内は静まり返りました。
「……あの」
おそるおそる、波部が口を開きました。
「和了の担当は、市本係長です。新人の頃から担当してるって……」
「はあ!? あんたいい加減にしなさいよ!!」
市本は、作った覚えのない資料を投げ捨てると波部を思い切り突き飛ばしました。椅子が大きな音を立てて倒れ、周りから悲鳴が漏れ出します。
「あたしはこんな客担当した覚えないし、聞いたことも無い。なんのつもりなの? バレればわかる嘘ついて人に恥かかせようってか? ふざけんな!」
「おい市本、落ち着け……」
「あんたも何か言いなさいよ藤田! 何、このバカと一緒にあたしを貶めようとしてるの?」
「俺だってこんな資料知らねぇよ! ホーラ何とかのことだって……」
「だいたいこの新人の教育担当はあんたでしょ? ちゃんと指導してないんじゃないの? まともな教育さえ出来ないわけ? いっつもヘラヘラ笑って甘やかすからこうなるのよ! あんたのせいよ――」
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