北町営業所のオフィスは、空調設備をこれでもかと活用していて、冬の風みたいな冷たい空気が、今にもごうごうと音が聞こえそうなくらい流れていました。人によってはやはり寒いようで、波部は椅子にかけていた上着を着込んでデスクに縮こまっていました。
「はい、王面ロジスティクスの佐藤でございます。……お世話になっております」
向かい側にいる女性が電話口でけげんな顔になったのを、波部は勤怠システムを開きながら一瞥しました。平静を装っているその胸の奥底で小さな羽虫がざわざわ騒いでいます。
「係長、ホーラコーポレーションの重谷様からお電話です」
「ほーら……?」
今度は波部の隣にいる係長の女性が、同じように怪訝な顔をして受話器を手に取ります。とりあえず挨拶の常套句を済ませると、受話器の向こう側から恰幅のよい声が聞こえてきました。
波部は、その声と係長のやり取りにさも興味なさそうな顔をして、その実、精一杯に聞き耳を立てていました。
「おはよう波部くん」
「うわっ!」
真横から声がしたので、波部は椅子から飛び上がりそうになりました。
そこには眼鏡をかけた細身の男性が、机に手をついて立っていました。
「あぁごめんよ。集中してる時に……」
「藤田さん、あの……大丈夫です。おはようございます」
藤田というその男性は、マスク越しにやわらかい笑みを返すと、椅子に座っている波部に合わせて屈みました。
「新人研修のマニュアルの件だけどさ、金曜日メールありがとう。遅くまで頑張らせて申し訳ないね」
「あぁ、いえ……」
「あのマニュアルすごくわかりやすいよ。要点もきちっと簡潔に書かれてるし、さっそく次の研修に使わせてもらうね」
「あ、ありがとうございます!」
「波部くんは細かいところまできちんと完璧にこなすから、仕事において信頼できる。いい人材に恵まれたもんだよ」
「完璧だなんて、恐れ多いです。ぼくだってミスすることいっぱい、ありますし」
「そう? 少なくとも俺は波部くんがミスしてるの見たことないけど」
「は……」
「これからも期待してるよ」
藤田は、波部の肩をぽんと叩くと、自席に戻って仕事を再開しました。波部はその後ろ姿を、じっと食い入るように見つめます。
彼は、新人の波部にあたる教育担当で、仕事をきっちりこなす頼もしい先輩です。
「……うそだ」
波部は、先日までとは大違いに、いたって上機嫌な藤田の横顔を見つめました。
そして、なんとも言い表せない高揚感が、体中に込み上げたのです。
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