骸骨は、黴だらけの腕をゆるりと伸ばすと、真鍮のパイプを口から外して、目の前にある疲れきった顔に、ふう、と、紫色の煙を吐き飛ばしてみせました。

 そして、逃げるように顔を背けた波部に、こう続けるのです。


「人間の恋が辿る末路は、面白い事に、どれもこれも同じだ。互いの一部分を視認しただけで、互いのすべてを知ったつもりになり、その勘違いのまま稚拙かつ不明瞭な未来へ踏み出そうという。最初は見るも美しい皮を纏っていようと――やがて年月とともに劣化し、亀裂を生み、腐敗し、ぼろぼろと皮が剥がれ落ちる。そうして最終的には見るも惨たらしい容姿になる。――私が今まで見てきた人間はごまんといるが、ただの、、、ひとりを、、、、除いて、、、、皮の剥けた惨たらしい容姿を愛そうという者は誰一人としていなかった。見て呉れこそが、人間における真の価値であるらしい。オマエも例に漏れなかった」


 残念だ、と言いたげな色を満遍なく漂わせて、キヲク消去人は粛々と述べました。

 波部はそのあいだ、もうこれ以上この骸骨の話を耳にしたくないという、心底うんざりした顔をするばかりで、ひとつも声を返しませんでした。


「して、どうだ。そろそろ煙は五臓六腑にまで染み込んだかな」


 キヲク消去人は、屋台の中に充満する紫色の煙を一目見ました。

 どこからか迷い込んできた木漏れ日が、紫色の煙を払うように撫でつけると、山脈の湧き水が連れてくる光の行列にそっくりな細長い輝きが走りました。


「頃合だ。息を止めるなよ」

「は?」


 きょとんとした波部を置き去りにして、キヲク消去人は乾燥でひび割れた鼻穴をぐわりと開き、辺りの煙を勢いよく吸い込みました。

 その勢いは本当に凄まじく、紫色に染まった突風が部屋の中で暴れ回り、がたがたと屋台を揺らしたのです。板の裂ける音。破片のぶつかる音。色んな小物の落ちる音。ガラスの割れる音。波部は自分の意識さえ吸い込まれそうな衝撃になんとか耐えながら、この屋台がボロボロである理由を察しました。


「ウゥ――」


 すると今度は、マグマのように熱苦しい異物の群集が、体の奥から急速にせり上がってくるのを感じました。波部はとっさに両手で口を覆いましたが、その群集はじりじりと焼け焦げ、ばちばちと火花を飛ばしながら波部の体内を突進し、その勢いのまま両手口の扉をこれでもかと思い切り突き破ったのです。

 波部の口から噴き出したのは、人の群れでした。いや――実際は人の群れを形作った、紫色の厚い煙雲でした。

 その煙雲は、数え切れない人間の頭をぼこぼこと生み出したあと、二人一組に頭を向かい合わせて、ゆらゆらと辺りを舞い踊るように広がったのです。

 踊りながら話をする二人。

 同じ方向をむいて歓声を上げる二人。

 手をつないで散歩をする二人。

 お互いに笑い合う二人。

 全員、赤色のアルバムに綴られた思い出と、まったく同じ光景でした。

 キヲク消去人はそれらをまるで迎え入れるように両手を広げると、


 ドバンッ。


 鼓膜を吹き飛ばすほどの盛大な柏手を打って、すべてを消し去ったのでした。


「――あゝ、あわれ」


 干からびたその腕から、いったいどうして、そんな猛々しい音が出るのでしょうか。

 吹き飛んだ煙雲の、か弱い端っこもすっかり消えてしまったと同時に、大口を開けたままの波部は、どさり、と切り株の上へ倒れ込みました。瞼はかたく閉じられており、意識はちっともありません。


「次に目が覚める頃には、より好い世界になっていることを祈ろう」


 キヲク消去人はそう言って、液状化した土塊のように緩み弛んだ袖口から一個の鈴を取り出すと、ちりんちりん、と、手首を振って鳴らしました。

 その音に応じて、屋台の戸口から入ってきたのは、二人の男女でした。


「この抜け殻を山のふもとまで転がしてこい。餌はその後だ」


 男女は揃って、キヲク消去人のほうを見ることもなく、何も無い虚空をぼんやりと、ほんにぼんやりと、眺めるばかりです。瞳孔は白目にまではみ出しそうなくらい開いていて、鼻から粘り気の濃い液体を垂れ流し、それは口元をつたう黄ばんだ涎に絡みついて、糸のように細長い線を、何本も落としていました。




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