「音割れ酷いよね。最近、保健所も手一杯すぎて丁寧に対応する余裕も無いみたい」

「なに、今の電話」

「聞こえてたでしょ?」


 ひどい悲しみのせいで、色を失った目が述べます。


FANSOファンゾに感染したの」


 二人の間に、錆び付いたギロチンの落ちる音がしました。


「三日前かな、電車の隣に座ってたカップルの彼女に手をさわられて……その時からすごい寒気がしたの。最初はただの風邪だと思って信じなかった。でも熱が32.0を切ったから、近くの病院で検査したの。そしたらコレよ」

「うそだ、だって、ぜんぜん震えてないじゃないか。FANSOにかかったら体の中から凍えて外にも出られなくなるって」

熱射ねっしゃざいを、処方してもらった。体の中にあるFANSOウイルスを、溶かして殺す薬……」


 波部はその薬の名前に、言葉を失いました。

 熱射剤は、日本のとある製薬会社によって開発された真赤色の薬で、FANSOウイルス感染症の為だけに作られた特別な薬です。服用すると、薬の中にある特殊な熱が体内でゆるやかに破裂し、ウイルスによって凍りついた血管や臓器を温め、一時的に、、、、その機能を取り戻すのです。

 これは一見、素晴らしい特効薬のように感じますが……人の深部体温を急激に上昇させ、下手すれば体の正常な機能まで焼き殺してしまう危険な薬なので、処方する際は必ず、その最悪のケースが起こりうる事を容認する「服薬同意書」を書かなければいけません。

 波部は、外出目的で熱射剤を服用した30代の男性が体の内側に酷い火傷を負い、全身焼け爛れた遺体で発見されたというニュースを思い出しましたから、


「何してんだよ!」


 と、怒鳴ってしまいました。


「死ぬかもしれないんだぞ? なんでそんな馬鹿な、危ないことするんだよ!」

「だって外に出るためには……熱射剤が効いてるうちは他の人にもウイルスがうつらなくなるし、こうするしかなかった」

「他人のことなんかどうでもいいだろ! そんな、体を焼き殺すような薬……普通は恐ろしくて飲めないよ。今日休んだほうがぜったいよかっただろ! なんでそこまでして……」

「なんでって」


 彼女は、自分の腕を覆うロンググローブを力いっぱい握りしめて言いました。


「冬真くんに会いたかったから」


 思いを叫んだ唇は、まるで何かが来るのを恐れているかのように震えていました。


「学校とか仕事でお互い忙しくて会えなくて、FANSOのせいでますます会いづらくなったし連絡も途絶えて……正直、すごく寂しかった。早く世間が元に戻って、冬真くんにまた会いたかった。前みたいにバンドの話や、それ以外の話をたくさんしたかった。――自分勝手なのはすごくわかってる。わかってるけど、我慢できなかった」

「……汐見ちゃん」


 波部は、自分の顔を何度も拭いながら話す彼女を見て、胸がギリギリと痛めつけられるように苦しくなりました。さっき思わず怒鳴ったことへの罪悪感や後悔も含まれているのかもしれません。


「今日ね、久しぶりに会えて、いろいろ話せて……すごく楽しかった。また一緒にライブ観れて、ほんと、夢みたいだった。幸せだった」


 黒い布に包んだ腕で、顔からこぼれるものを何度も何度も拭ったあと、彼女は屈託のない笑顔を見せました。

 それは見るからに無理をして、気を抜けばすぐに泣き出してしまいそうなのを必死に我慢している、本当にどうしようもないくらい健気な顔でした。


「さっきね、プロポーズしてくれたの、すごくうれしかった。冬真くんとなら一生を添い遂げたい。ずっと一緒にいたかった。一緒に暮らしたかった。プロポーズ、ちゃんと受けたかった。……ごめんね。治す方法もない病気にかかって……。もうどうしようもないし、このままじゃ冬真くんにも迷惑かけちゃう。だからわたし……」

「い、今から――」




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