第42話

「瑞希、久しぶりだな」


 渋い声でそう話す彼の顔には、俺もどことなく見覚えがあった。


 水前寺孝也。

 先輩の父親だ。


「お、お父さん……なんで」

「いやなに、色々あって家に帰ることにしたんだ。お前、ここでバイトしているそうだな」


 偉そうな態度をとるそいつは、先輩に向かって「いいから座れ」と。


 しかし先輩は「ふざけないで!」と、怒鳴る。


「何勝手なこと言ってんの? あんたのせいでどれだけ私が迷惑したと思ってんのよ! それにお母さんも」

「あいつもあいつで男を作ってどこかに消えたんだから人のことは言えないだろ。それよりお前は大事な一人娘だ、勝手は許さん」

「……私、もうあなたの娘なんかじゃありません。それに、今は私の大切な人がいるので」

「男か。しかし高校生のお前に何ができるんだ」


 随分と高圧的な態度をとる父親を見て、先輩は震える。

 俺も、同じく足が震えていた。


 親の仇。

 それに、先輩を苦しめた元凶の一人とあって、その憎さから今にもとびかかりそうになったところで店長が俺の傍にやってくる。


「カオリン」

「わかってますよ……我慢してます」

「ふふっ、偉いわね。でも、今はそうじゃないでしょ」

「?」

「あなたが守るべきものはなあに? カオリン自身? 違うでしょ」


 小声で、店長はそういいながら最後に一言「ミッキーを守りなさい」と。


 その言葉に俺は、飛び出した。


「待ってください!」

「……なんだ君は」

「み、瑞希さんと付き合ってるものです。あと、藍沢って言えばだれかわかりますかね」

「藍沢……ああ、そうか。君が藍沢君の息子か。随分大きくなったな」

「何だと?」

「私が謝罪するのを期待したか? はは、くだらん。あれは自業自得だ。私の会社との競合に負けただけの話だよ。社会というものはだな、それくらい厳しいものだということを今のうちに覚えておくんだな」


 と、ふんぞり返って足を組みかえた男を見て、俺は思わず拳を握った。

 その時だった。


「じゃっかましいわ!」


 店長が椅子を蹴っ飛ばした。


「な、何をする!」

「うっるさいわねこのくそ親父が! この子たちが必死になって生きてるのにどうして邪魔すんのよ。どうせキャバ嬢に捨てられておめおめと帰ってきたんでしょが。ええそうよ、あんたみたいなクズはモテそうにないものね」

「なんだとこのオカマ!」

「おネエよ! このガマガエル!」

「なにを!」


 いい歳したおっさんふたりが今にも取っ組み合いのけんかになろうとしたその時。

 俺は思わず声が出た。


「おい、おっさん! 俺は何があっても瑞希を渡してなんかやらないからな」

「カオリン……」

「なんだと。それがどういうことかわかってるのか」

「わかってるつもりですが、わかってないのかもしれません。でも、どんなにつらくても俺は瑞希と生きていくって決めたんです。あんたみたいに他所の女の尻をフラフラ追いかけるような男に彼女を任せるなんてできません」


 言いながら、俺は少し失礼なことを思っていた。

 この男が本当にクズでよかったと。

 俺みたいなやつではどうしようもない、救いようのないクズだから遠慮はいらないと。

 そして、店長と俺で先輩を隠すように前へ。


「力ずくで先輩を奪いますか?」

「……ちっ、もういい。しかし瑞希、お前は絶対後悔することになるからな。家の荷物も全て処分してやる」


 なんとも大人げないセリフを吐き捨てて店を出ようとする先輩の父親に対し、先輩は俺を押しのけるように前に出て、言う。


「今までお世話になりました。でも、今日限りであなたを父親と呼ぶことはやめさせていただきます。では、お元気で」


 その言葉に一度父親の足が止まったが、すぐに動き出して。

 さっさと店の外に出て行った。


「……帰った、のか?」

「みたいね。カオリン、偉かったわよ。それにミッキーも」

「私……」

「ミッキー、くよくよしないの。確かにあれはあなたの父親だけど、でも、時には親より大切なものってのもあるもんよ」


 ね、カオリン、っと。

 店長は俺の背中をバンと叩いて先輩の方へ送り出す。


「……薫。私、ほんとに一人になっちゃった」

「何言ってるんですか先輩。俺がいます」

「そうだったね。うん、じゃあ薫と二人っきりになっちゃった、だね」

「ええ。これからはずっと二人です」

「”も”、でしょ。ずっと一緒だよ」

「はい」


 先輩の声は震えていた。

 平気そうにしていて、でも強がっているのが見え見えだ。

 それはそうだ、いくらあんなクズとはいえ実の父親とたった今、本当に決別したんだから辛くないわけがない。

 あんな父親とでも、幼い頃にはきっといくつも思い出があったに違いない。

 

 ……俺だって、そうだからよくわかる。


「先輩。もう泣いてもいいんですよ」

「……また先輩に戻ってる」

「いや、さっきはその、勢いというか」

「ヤダ、ちゃんと、呼んで……」

「……瑞希。泣けよ」

「うん」


 グッと俺の服を掴んで、先輩は静かに泣いた。

 何かを察したように店長はどこかに出て行って、静かな店の中で俺と先輩はずっと抱き合って泣いていた。


 互いに身寄りのない者同士の慰め合いだと、あとで先輩は照れ隠しのせいか少しつんけんした態度でそう言ってたけど俺はそうは思わない。

 互いに身を寄せ合うことのできるものがいるということを確かめるように、ああして抱き合っていたんだと。


 だから彼女の悲しみも俺が全部、包んであげたい。

 ここから先に待つのは苦難ばかりかもしれないけど。

 

 先輩と二人でなら、大丈夫だと。

 そう、確信した。

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