第36話

 その日の夜。


 涙で目を腫らした俺は、家に着いてからも先輩にしばらく慰められていた。


「薫、ちょっとは落ち着いた? あったかいココアでも飲む?」

「……すみません、もう大丈夫です。なんか、ほんと情けない」

「それだけ真剣に、誰かを助けたいって思える薫は素敵だよ? それに、大前田君は誰が相手でも無理だったと思うし」

「店長は、一撃だったけど」

「……あの人、ほんと謎よね。でも、規格外ってことでいいんじゃない?」


 落ち込む俺を必死になだめてくれる先輩は、ずっと優しかった。

 そんな人をあんな目に合わせたと思うと、やはり辛くなるが、いつまでもめそめそしているわけにもいかないと、涙を拭く。


「はあ……でも、結局早川の悩みは解決できずですね」

「元々無理だったのよ。あんな話の通じない相手と付き合おうなんて、やっぱり無茶よ」

「しかしあんな奴のどこがいいんだろ? 俺にはわからないや」

「そのことなんだけど……ちょっと気になるのよ、私」


 先輩が少し首を捻りながら、言う。

 

「気になる?」

「ええ。なんかやってることがチグハグというか。なんか最初から薫に目をつけてただけで、大前田君にあまり執着してるようにも見えないというか」

「それは、女の勘ってやつですか?」

「うーん、それにね、あの子の言った言葉。そこまでしなくてもって。多分大前田君と早川さんはグルだったんじゃないかな」

 

 いつぞやの、名探偵気取りだった俺のように先輩が推理を始める。

 ただ、俺より数倍頭のいい先輩は、あっという間に一つの仮説を立てる。


「早川さんの目的が大前田君じゃなくて、それでいて今までやってきたことを総合的に考えると……」

「考えると?」

「……あの子、やっぱり薫のこと、真剣に好きなんじゃないかって」


 先輩は、言いにくそうに話す。

 その話を聞いて、俺は冷静だった。

 多分、可能性として一度は考えたことだったから。


 でも、そんな自意識過剰な推理はないだろうと、一度除外した可能性でもあった。

 だから先輩からそんな推理を聞かされて、内心は焦った。


「……だとしても、理由がわかりません」

「ほんとうに、会ったこととかないの?」

「学校ですれ違ったこととかはあるのかもしれませんが。でも、話した記憶はありませんね」

「ふーん。なら、早川さんの人間関係とかを追ったほうが早いかもね」

「なんか、探偵みたいですね先輩」

「か、からかわないでよ。私だって、薫みたいに誰かの力になりたいのよ」


 力強く、先輩は俺の隣に座りながら語る。

 

「それも俺の影響、ですか? だとしたらとんだ悪影響ですが」

「そんなことない。その、なんていうかね、好きな人に近づきたいって気持ちは私にだってあるんだよ?」

「好きな人……俺、先輩にそう言ってもらえるだけの人間なのかなって、ちょっと自信がないです」

「もう。いつからそんなキャラになったの? ほら、元気出して」


 先輩は俺の頬を触り、そっとキスをしてくれた。

 そしてその綺麗な顔を近づけたまま、俺に優しく笑いかけてくれる。


「ね、好きじゃないとこんなこと、できないよ?」

「せんぱい……かわいい」

「も、もう。真顔でそんなこと言わないでよ恥ずかしい……」

「かわいいし、綺麗だし。大好きです」

「……うん、ありがと」


 最近は先輩に助けられてばかりだ。

 誰かのために悩んで、押しつぶされそうになってばかりの俺を、先輩が支えてくれる。


 でも、こんな風にいられるのも俺のお節介がきっかけなのだとしたら、やっぱり偽善でも他人の為を思うことは恥じることではないのかもしれない。

 そんなことを考えながら先輩と寄り添いながら夜になる。


「そろそろ、眠たくなってきたね」

「ですね。シャワー浴びて寝ましょうか」


 なんて話をしている時に俺の携帯が鳴る。


 こんな時間に誰だよと、画面をみると店長からだった。


「もしもし店長? なにかありました?」

「ごめんねこんな遅くに。でも、ちょっと気になる話を聞いちゃったから」


 店長の声は少し戸惑っているように感じた。

 

「大前田から、何か?」

「あの不良男子たち、やっぱり雇われてたのよ。随分演技上手だから、私の知り合いの劇団でバイトすることを勧めたわ」

「雇われたって……まさか」

「そう。もう一人いた、あの子。早川って子が依頼主だって」

「早川が……」


 二人はグルだった。という推察は概ね当たっていたが、まさか早川の方が雇い主だということまでは想像が及ぶはずもなく。


 でも、何のために?


「あの、他にはなにか」

「依頼の内容は二つ。藍沢薫をやれってのと、もうひとつ」

「先輩を襲えってこと、ですか?」

「逆よ。水前寺瑞希には絶対に手を出すな、だって」

「……どういうことだ?」


 店長からの言葉で、さっきまでの推理がすべて崩れる。

 早川が俺と付き合いたいと思っているのなら、むしろターゲットにするべきは先輩のほうだ。

 

 俺をボコボコにしたい理由ってのはまあ、いくらでも見当たるが先輩を庇う理由だけはわからない。


 ……早川の本当の目的って、なんだ?


「でも、それ以外は何も。それに依頼主の言うことも聞かずに暴走してた彼のことだし、言ってることも怪しいけどねん」

「まあ、そうですね。わざわざありがとうございます、店長」


 店長は、「この後もう少し彼らを堪能するわ」と、なんとも意味深な発言を残して電話を切った。

 

「薫、店長さんから?」

「ええ。でも、どうやら先輩の推理は外れみたいです」

「え?」


 早川桜が好きなのは俺だという推測は、しかし多分フェイクだ。

 もちろん大前田を好きだったという話もなさそうだし。


 ここまで手の込んだことをして、大前田を使うといるリスクまで犯して彼女がやりたかったこと。


 ……それは考えるだけ頭が痛くなる。

 さすがに考えすぎじゃないかと、本の読みすぎじゃないかと、本気で心配されるレベルのことしか思いつかないが。


 でもそれが、一番しっくりくるんだから仕方ない。


「先輩。今から俺がいうことを真剣に訊いてくださいね」

「う、うん。なにかわかったの?」

「早川桜の真の目的、というか彼女がほんとに好きだったのは」

「……うん」


 こんなことを言えば何と思われるか。

 でも、これしかおもいつかなかった。


「早川桜が好きなのは、水前寺瑞希です」

 

 

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