第35話


「「おそい」」


 なぜか二人から、お叱りの言葉を受けた。


 早川と先輩が正門前に。


「なんで先輩が……」

「早川さんを見かけて。事情は聞いた。そういうことだろうと思ったわよ」

「いや、でも……」

「三人の方が安心でしょ。私もいくから」

「……」


 先輩は巻き込みたくない。

 でも、先輩は俺を一人で行かせたくない。

 どっちが正しいのか、俺にはわからず。

 結局先輩は諦めてくれそうにないので、話す相手を早川に変える。


「……ていうか早川、お前は怖くないのか?」

「怖い? なにが?」

「いや、大前田先輩だよ。あんなの誰でもビビるだろ」

「でも、話せばわかってくれるって思ってる。それに、もっと怖いものの方があるし」

「なんだよそれ」

「恋に破れること、かな。私は何をしても好きな人と一緒になりたい」


 そう語る早川の目は、少し怖かった。

 でも、それだけ決意するほどにあの男のことが好きなのだろう。

 まあ、先輩に絶賛恋焦がれてメロメロにされてる俺にも、人を好きになることの苦しさや辛さというのが少しだけわかる。

 

 それに、早川の気持ちの大半は、やはりわからない。

 好きな相手とうまくいかない現実。そんなものに直面してもなお、必死であがくこいつのすごさというのは、俺にはきっとないものだろう。


 届かないなら見過ごす。諦める。忘れる。

 そんなことばかり思って、先輩にずっと片思いしながらも何もしなかった俺には、きっと早川のことなど理解できる日は来ない。


「さて、早く行くわよ。先輩も、今日はよろしくお願いします」

「正直あなたのこと、苦手だけど。薫が心配だから仕方なしに行くだけだからね」

「ええ、それで大丈夫です。ありがとうございます」


 少し空気の悪い二人について行きながら、やがて駅前のカラオケボックスに到着する。


「先に中に入ってるって。行きましょ」


 早川がさっさと中へ。

 その様子に、躊躇なく先輩はついて行くので俺も。

 三人で中に入る。


 11と扉に書かれた部屋の前に着くと、やはり緊張が走る。

 しかし早川は、躊躇することなく扉を開ける。


 すると、


「遅かったな。今何時だと思ってんだよ」


 大前田が、部屋の奥に座っていた。


「ごめん達也君。あの、二人連れてきたよ」

「……どうも」


 つい先日、俺を殴ろうとしたやつがそこにいる。

 正直怖いし、腹が立つし、憎い。

 でも、俺以上に先輩は、俺の隣で震えている。怒っている。

 

「あなた、薫にやったこと、まず謝って」

「あ? 今日は俺の懺悔の会じゃねえだろ。ひっこんでろ」

「……」


 先輩の問いかけにも、びくともしない。

 この男はやっぱり危険だ。

 だから先輩だけでも逃がそうと、そう思った時。


「さて、脱げよお前ら」


 大前田が立ち上がり、こっちに来る。


「な、なに言ってるのあなた?」

「あ? 今日はそういう日だろ。個室だからさ、好きに声出せるぜ」


 大前田の目つきが変わった。

 その瞬間、まずいと思って俺は先輩に声をかけてドアノブに手をかける。


「先輩、逃げて!」

「残念、お前らもう詰んでるから」


 しかし後ろの扉があかない。

 見ると外に、二人組の大柄な男が。扉の窓からこっちを見ている。


「おいお前ら、しっかり扉おさえとけよ。さて、桜からにするか、それとも」

「ま、待て」


 先輩の前に、俺は飛び出した。

 しかしその瞬間、鋭い拳が飛んできたと同時に、俺は後ろに吹っ飛ぶ。


「薫!」

「がっ……」

「はは、よええ。さて、桜、お前も手伝えよ。この女、可愛いから楽しめそうだし」

「た、達也君……待って話が」

「うるせえよ。それにお前、俺のことダシにつかっただろ? わかってんだよそれくらい。バカにしやがって。お前も後で無茶苦茶にしてやっからよ」

「た、達也くん……」


 飛ばされた勢いで頭を打ったせいか、意識がもうろうとする。

 でも、先輩を守らないと……


「おら、早く脱げよ。さっさとしろや」

「や、やめて」

「はは、彼氏はおねんねしてるよ。目の前で遊んでやるから覚悟しとけ」

「だ、誰か……」


 もう、体が動かない。

 先輩を危険な目にあわせるどころか、取り返しのつかないことになってしまった。


 俺は最低だ。自分の勝手な性分のために、大切な人をこんな目に合わせてしまうなんて。


 ただ、悔やむことしかできず、先輩の姿も見えなくなっていく。

 しかしその時、聞きなれた声が、した。


「はーい、そこまでよ坊や」


 バーンと、勢いよく扉を開けて入ってきたのは……店長?


「なんだお前? おっさんに用事ねえんだよ」

「あらー、私のことをおじさんだなんて……殺すぞガキ」

「オカマかこいつ? キモいんだよ、ていうか外の奴らはどうした」

「私がペロンチョ。ちょっと男前だから惜しいことしたけど」

「て、てん、ちょう……」

「薫、もう大丈夫よ。ちょっと待ってて」


 ふと、開いた扉の向こうをみると、外にいた男たちが転がっていた。

 ……店長がやったのか?


「おい、いい加減ふざけてるとぶん殴るぞおっさん」

「だからおっさんじゃないって……言っただろこのクソガキが!」


 説教の時だって聞いたことのないほどの太い声で、店長がキレた。

 そして次の瞬間、大前田が店長に殴り掛かる。


「危ない!」

「ふんっ」

「があっ!」


 俺は見た。

 大前田が、目の前で宙に舞うのを。


 屈強な、ヤクザの即戦力とも噂されるあの男が。

 オカマのクロスカウンターで吹っ飛んだ……。


「が、あ……」

「あら、弱いわね。ミッキー、大丈夫?」

「て、ん、ちょう……こ、怖かったー!」

「はいはい、怖かったわね。でも、もう大丈夫だから」


 何事もなかったかのように。

 泣きつく先輩をなだめる店長は、俺の方を向いて、「立てる?」と。


「はい……なんとか。でも、どうして」

「ほんと、詰めが甘いわよカオリン。こういうところに来るなら、予防線は張っておくべきね」

「……すみません」

「あなたのことを脅してたのがそこに転がってるクズだって、ミッキーに訊く前に調べはついてたの。だから町中の店の人に、見かけたら声かけてって言っておいたわけ。さっ、帰るわよ」


 部屋の奥で転がっている大前田と、廊下で眠る男たちを見ながら、俺は店長にとんでもない迷惑をかけてしまったと実感した。


 それに、泣きながら店長に支えられる先輩を見て、なんて俺は愚かなんだとも。


 ……大切な人たちを傷つけて、何が人助けだ。

 こんなの、俺の独りよがりでしかない。


「先輩、大丈夫ですか?」

「薫……よかった、無事で」

「すみませんでした。ほんとに、俺、バカです」

「知ってる……でも、私もだから……あれ、早川さんは?」

「そういえば……」


 気が付けば早川の姿がない。 

 逃げたのか、それとも……


「もう一人の子なら、さっさとどこかに行ったわよ」

「そうですか……ていうか店長、高校生殴って大丈夫なんですか?」

「あら、心配してくれてるのね。でも、こういう時に大人の力ってものを使うのよん」


 店長がウインクすると、カラオケ屋の店員がさっさとやってきて男たちを全員部屋に運ぶ。

 そしてどこかに電話をかけていた。


「え、まさか」

「バカね、ちゃんと介抱してからおうちに返すわよ。でも、今日のことを喋ったら、あの子たちの悪行をぜーんぶバラしちゃうって脅しくらいは、させとくけどね」

「……つまり、もみ消すんですね」

「ま、きれいごとは言わないわ。人間なんて誰しも汚いとこがあるものよ。大人になるとそれが顕著だし。そんな中で金やコネを駆使しながらせこせこ生きてるのが私たちよ。カオリンやミッキーはそんなこと覚えなくてもいいけどね」

「……ていうか、強すぎませんか? 店長、昔格闘技でも」

「ひ・み・つ。レディーにそんな質問は野暮よ」


 うふふっ、と。

 店長は笑う。


 何がレディーだよと、今はしかし声に出す元気もなく、店を出た。


「さて、二人で帰れる? 私は一応、あの子たちにお話があるから」

「え、ええ。ほんとに、ありがとうございました」

「いいのよ。あなたたちを守るのも保護者のつとめ。ミッキー、カオリンをよろしくね」

「はい、店長」

「それに……嘘つきな子猫ちゃんのことも気になるし」

「こね、こ?」

「あら、こっちの話。また明日、じゃあね」


 手を振りながら、店長はさっさとカラオケ店の中に戻っていく。


 俺は、先輩に支えてもらいながらゆっくりと帰路に就く。


「……取り返しのつかないことになるところでした。先輩、本当にすみません」

「私も軽く考えてたんだから、お互い様よ。それに……守ろうとしてくれてありがとね」

「弱いやつが、正義なんて語れないですね。もう、先輩を二度と危険な目には合わせません。もう、誰かを助けようなんてこと……」

「うん。でも、薫は薫のままでいてね。私は、そんなあなたのことが……大好きだから」

「先輩……」


 今まで、自分さえ我慢すれば何事もどうにかなるとか、そんな自己犠牲でしかない偽善もどきを散々やってきた。

 でも、それは本当の正義でも、善でもなんでもない。

 偽善にすらなれてない。


 俺は弱い。

 大切な人を守る力もない。

 大切な人に心配をかけないようにすることもできない。

 こんなままではダメだと、今日ひしひしと思い知らされた。


 なのにこんな俺を好きだと。

 先輩は、そう言ってくれる。


 だから。


「先輩、ちょっとだけ……泣いてもいいですか」

「……うん。悔しいね、薫」

「ううっ……ごめんなさい、俺……」

「大丈夫、私はずっと薫の傍にいるからね」


 先輩は、泣き崩れそうな俺をそっと抱きしめてくれた。

 俺はすがるように、先輩の胸で泣いた。

 

 自分の無力さが悔しくて。

 先輩を失うんじゃないかって恐怖で震えて。

 自分がやってきたことが正しいのかわからなくなって。


 ずっと、先輩を抱きしめて泣き続けた。


 

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