第33話

「お前、ぶっ殺してやるよ」


 なんの前置きもなしに俺にそう話す大前田は。

 ギラリと俺を睨む。


 その威圧感に俺は動けない。

 やられると、そう確信して目を瞑る。


 しかし。


「おまわりさんこっちです」


 先輩の声がした。


 すると、「ちっ」と舌打ちしてから、大前田はダルそうにその場を去る。


 そして、緊張の糸が切れたのか。

 俺はその場に崩れ落ちた。



「……る!」

「……ん、」

「薫!? よかった、目が覚めた!」

「せん、ぱい?」


 目が覚めた時、目の前には泣いている先輩の顔が。

 ここは……店か?


「どうして、先輩が……いててっ」

「店長がね、なんかあの子様子がおかしいからついて行けって。でも、途中で見失っちゃって……」


 先輩は言い終える前にまた、泣いた。

 ……泣かせちゃったな。


「すみません、変なことに巻き込まれて。でも、早川が危なかったので、つい」

「どれだけお人好しなのよ薫は。ちょっとは自分のことも……私のことも考えてよ……」

「はい、面目ないです」


 こんなに俺を心配してくれる人がいるというのに。

 俺は一体何をやっているんだろう。

 

 でも、こんな時にもまだ、早川はちゃんと逃げられただろうかって、人の心配をしていたりする。


 ほんと、病気だなこれは。

 いつか身を滅ぼす。考えないといけないな。


「もう、大丈夫です。殴られる前だったので。怖くて失神するなんて、なんか恥ずかしいですね、俺」

「でも制服も破れてる。倒れた時にひっかかったのかな。帰ったら縫ってあげる。あと、ご飯は私が作るから早く帰ってゆっくりしよ?」

「……怒ってないんですか?」

「え?」

「いや、だって……先輩の前で他の女の子と飯食って、その上その子のせいでこんなことになって。普通、もっと怒っても」


 怒ってもいいし、なんなら愛想尽かされても仕方ない。

 だというのに先輩は、


「薫が無事だったからそれでいいの」


 とか。この人にはかなわないな。多分、一生。


「じゃあ、帰りましょう。店長は?」

「今日は店閉めるって。薫を運んでくれたあと、どっか行っちゃった」

「そっか。じゃあ鍵閉めて、帰りましょう」

「うん」


 ゆっくりと、先輩に支えてもらいながら体を起こして。

 手を握るというより、引っ張ってもらうようにしながら俺は先輩と一緒に店を出た。


「でも、店長が店閉めてまでの用事とか、珍しいですね」

「すっごく怒ってた。薫を襲おうとしたのは誰だって、すごい顔で」

「……大丈夫かな、あの人」

「まあ、大人だから変なことはしないわよ。薫はまず、自分の心配をしなさい」

「はい、わかりました……」


 フラフラしながらも、なんとか先輩の家にたどり着いた。

 すぐにいつも寝床にしているソファに座り込むと、また体が震えるのを実感した。


「……怖かったなあ」

「ねえ、薫を呼び出した人って、大前田君だよね」

「……ええ。あの人が、早川の想い人だったみたいです」

「あの人、相当ヤバいんじゃないの?」

「ええ、まあ。だからこの有り様ですよ」

「早川さんは?」

「多分、逃げたと。でも、また同じことになるんじゃないかって」

「……心配だね」

「ええ、まあ」


 本音を言えばかなり心配だ。

 あんな風に先輩をからかって楽しむような、そんな腹立たしい奴でも俺は、やはり心配になってしまう。


 ……。


「あの、先輩」

「言わなくてもわかるから。あの子を助けたいんでしょ」

「……はい。やっぱりこのままだと、いけないのかなって」

「薫は人助けが趣味だもんね」

「それ、忘れてくださいよ……」

「でも、そのおかげで私も助けられたし。いい趣味だと思うよ」

「先輩……」

「でも、無理はしないでね。私も協力するから」

「はい、誓って」


 やっぱり先輩は先輩だ。

 俺のことを一番よくわかってくれている。

 ほんと、好きになったのがこの人でよかった。

 というのに俺は、泣かせたり怒らせたりばかりで……。


「ごめん先輩。今日、いっぱい迷惑かけました」

「デートのこと? うん、私もおとなげなかったから反省してる」

「いえ、あんな姿を先輩に見せた俺が悪いので」

「そうね、あれ以上店にいたら包丁でぶっ刺してやろうかって、ちょっと本気でかんがえちゃった」

「すみません、二度としないと誓います……」

「うそうそ。でも、薫が他の子と一緒にいるのって、ほんと辛かったんだから」


 そういって先輩は、俺の横に腰かけてからもたれかかってくる。

 小さな頭を、俺の肩にトスンと。

 先輩の香りがする。


「……俺も、先輩が他の男といたら嫌です」

「しないもん、そんなこと。私はちゃんと一途だから」

「私も、にしてくださいよ。俺だって」

「うん、知ってる。薫は私のこと、大好きだもんね」

「……はい。好きすぎて今もおかしくなりそうです」

「ふふっ。もう少しこのままでもいい?」

「大丈夫です。震えも、もうどこかにいきました」


 本当に不思議なもので。

 さっきまで震えていた体が、先輩が近くにくるとスッと楽になる。

 意識が先輩に集中しているからだろうか。

 それに体だけでなく、心まで軽くなる。


 しばらくそのまま、静かに体を寄せ合う。 

 やがて、先輩が俺の手を握ると、少しだけ顔を赤くしながら、小さな声で言う。


「……先払いって、いいのかな」

「何の話ですか? ほしいものあるとか」

「……ほしいというか。してほしいというか」

「え、ええと。それは?」


 どうしたんだろうと、先輩の方を向くと顔を少し近づけてきて、俺の目を見ながら。


「まだ付き合ってないけど……キスなら、いいよ?」


 そう言った。

 目も見ずに、顔を真っ赤に染めて。先輩が震える声で、言った。


「え、いいんですか?」

「ま、まあ、一応私のこと好きっていってくれてるし、私も好きだし、その、ええと、予約というか、頭金というか、ええと、そんな感じでよければ……」

「あの、何言ってるかよくわかんないです」

「もー、わかってよ! 私がキスしていいって言ってるんだから。それともしたくないの?」

「バカいわないでください。したくてしょうがないです」

「……じゃあ。んっ」

「……」


 先輩の唇は、ちょっと震えていた。

 少しあたたかくて、柔らかくて。

 

 それくらいしかわからなかった。

 それ以外、考えられなかった。


「……しちゃった、ね」

「先輩……好きです。もう一回、いいですか?」

「その言い方だと、したいから好きって言ってるみたいでやだ」

「……でも、そんな先輩と、したいです」

「……うん、いいよ」


 夜になるまでずっと。

 先輩とキスをした。


 体はまた、震えていた。

 でも、これはまた違う震えだ。


 嫌なことがあったら、いいことがあるって。

 帳尻合わせにしてはおつりがくる。


 今日は俺にとって、二人にとって忘れられない日になった。

 

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