第33話
「お前、ぶっ殺してやるよ」
なんの前置きもなしに俺にそう話す大前田は。
ギラリと俺を睨む。
その威圧感に俺は動けない。
やられると、そう確信して目を瞑る。
しかし。
「おまわりさんこっちです」
先輩の声がした。
すると、「ちっ」と舌打ちしてから、大前田はダルそうにその場を去る。
そして、緊張の糸が切れたのか。
俺はその場に崩れ落ちた。
◇
「……る!」
「……ん、」
「薫!? よかった、目が覚めた!」
「せん、ぱい?」
目が覚めた時、目の前には泣いている先輩の顔が。
ここは……店か?
「どうして、先輩が……いててっ」
「店長がね、なんかあの子様子がおかしいからついて行けって。でも、途中で見失っちゃって……」
先輩は言い終える前にまた、泣いた。
……泣かせちゃったな。
「すみません、変なことに巻き込まれて。でも、早川が危なかったので、つい」
「どれだけお人好しなのよ薫は。ちょっとは自分のことも……私のことも考えてよ……」
「はい、面目ないです」
こんなに俺を心配してくれる人がいるというのに。
俺は一体何をやっているんだろう。
でも、こんな時にもまだ、早川はちゃんと逃げられただろうかって、人の心配をしていたりする。
ほんと、病気だなこれは。
いつか身を滅ぼす。考えないといけないな。
「もう、大丈夫です。殴られる前だったので。怖くて失神するなんて、なんか恥ずかしいですね、俺」
「でも制服も破れてる。倒れた時にひっかかったのかな。帰ったら縫ってあげる。あと、ご飯は私が作るから早く帰ってゆっくりしよ?」
「……怒ってないんですか?」
「え?」
「いや、だって……先輩の前で他の女の子と飯食って、その上その子のせいでこんなことになって。普通、もっと怒っても」
怒ってもいいし、なんなら愛想尽かされても仕方ない。
だというのに先輩は、
「薫が無事だったからそれでいいの」
とか。この人にはかなわないな。多分、一生。
「じゃあ、帰りましょう。店長は?」
「今日は店閉めるって。薫を運んでくれたあと、どっか行っちゃった」
「そっか。じゃあ鍵閉めて、帰りましょう」
「うん」
ゆっくりと、先輩に支えてもらいながら体を起こして。
手を握るというより、引っ張ってもらうようにしながら俺は先輩と一緒に店を出た。
「でも、店長が店閉めてまでの用事とか、珍しいですね」
「すっごく怒ってた。薫を襲おうとしたのは誰だって、すごい顔で」
「……大丈夫かな、あの人」
「まあ、大人だから変なことはしないわよ。薫はまず、自分の心配をしなさい」
「はい、わかりました……」
フラフラしながらも、なんとか先輩の家にたどり着いた。
すぐにいつも寝床にしているソファに座り込むと、また体が震えるのを実感した。
「……怖かったなあ」
「ねえ、薫を呼び出した人って、大前田君だよね」
「……ええ。あの人が、早川の想い人だったみたいです」
「あの人、相当ヤバいんじゃないの?」
「ええ、まあ。だからこの有り様ですよ」
「早川さんは?」
「多分、逃げたと。でも、また同じことになるんじゃないかって」
「……心配だね」
「ええ、まあ」
本音を言えばかなり心配だ。
あんな風に先輩をからかって楽しむような、そんな腹立たしい奴でも俺は、やはり心配になってしまう。
……。
「あの、先輩」
「言わなくてもわかるから。あの子を助けたいんでしょ」
「……はい。やっぱりこのままだと、いけないのかなって」
「薫は人助けが趣味だもんね」
「それ、忘れてくださいよ……」
「でも、そのおかげで私も助けられたし。いい趣味だと思うよ」
「先輩……」
「でも、無理はしないでね。私も協力するから」
「はい、誓って」
やっぱり先輩は先輩だ。
俺のことを一番よくわかってくれている。
ほんと、好きになったのがこの人でよかった。
というのに俺は、泣かせたり怒らせたりばかりで……。
「ごめん先輩。今日、いっぱい迷惑かけました」
「デートのこと? うん、私もおとなげなかったから反省してる」
「いえ、あんな姿を先輩に見せた俺が悪いので」
「そうね、あれ以上店にいたら包丁でぶっ刺してやろうかって、ちょっと本気でかんがえちゃった」
「すみません、二度としないと誓います……」
「うそうそ。でも、薫が他の子と一緒にいるのって、ほんと辛かったんだから」
そういって先輩は、俺の横に腰かけてからもたれかかってくる。
小さな頭を、俺の肩にトスンと。
先輩の香りがする。
「……俺も、先輩が他の男といたら嫌です」
「しないもん、そんなこと。私はちゃんと一途だから」
「私も、にしてくださいよ。俺だって」
「うん、知ってる。薫は私のこと、大好きだもんね」
「……はい。好きすぎて今もおかしくなりそうです」
「ふふっ。もう少しこのままでもいい?」
「大丈夫です。震えも、もうどこかにいきました」
本当に不思議なもので。
さっきまで震えていた体が、先輩が近くにくるとスッと楽になる。
意識が先輩に集中しているからだろうか。
それに体だけでなく、心まで軽くなる。
しばらくそのまま、静かに体を寄せ合う。
やがて、先輩が俺の手を握ると、少しだけ顔を赤くしながら、小さな声で言う。
「……先払いって、いいのかな」
「何の話ですか? ほしいものあるとか」
「……ほしいというか。してほしいというか」
「え、ええと。それは?」
どうしたんだろうと、先輩の方を向くと顔を少し近づけてきて、俺の目を見ながら。
「まだ付き合ってないけど……キスなら、いいよ?」
そう言った。
目も見ずに、顔を真っ赤に染めて。先輩が震える声で、言った。
「え、いいんですか?」
「ま、まあ、一応私のこと好きっていってくれてるし、私も好きだし、その、ええと、予約というか、頭金というか、ええと、そんな感じでよければ……」
「あの、何言ってるかよくわかんないです」
「もー、わかってよ! 私がキスしていいって言ってるんだから。それともしたくないの?」
「バカいわないでください。したくてしょうがないです」
「……じゃあ。んっ」
「……」
先輩の唇は、ちょっと震えていた。
少しあたたかくて、柔らかくて。
それくらいしかわからなかった。
それ以外、考えられなかった。
「……しちゃった、ね」
「先輩……好きです。もう一回、いいですか?」
「その言い方だと、したいから好きって言ってるみたいでやだ」
「……でも、そんな先輩と、したいです」
「……うん、いいよ」
夜になるまでずっと。
先輩とキスをした。
体はまた、震えていた。
でも、これはまた違う震えだ。
嫌なことがあったら、いいことがあるって。
帳尻合わせにしてはおつりがくる。
今日は俺にとって、二人にとって忘れられない日になった。
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