第31話

 結局夕方には先輩の家に戻ってきた。

 せっかく休みをもらったというのに店長には申し訳ないけど、まあ色々と邪魔が入ってしまった結果だから仕方ない。


 とはいえ収穫もあった。進展はした。

 先輩に、初めて好きと言われた。言ってくれた。


 今日はそれだけで十分だった。

 

「先輩、そろそろ携帯返してくれます?」

「あ、忘れてた。ええと、はいこれ」

「……あれから着信はなし、か」

「残念?」

「バカ言わないでください。ホッとしてるだけですよ」


 もしかしたら、何かの間違いだったのかもしれない。

 というより彼女の目がおかしかったのかもしれない。

 

 俺みたいなのが本気でかっこよく見えて、情熱的にアタックして、そして散った。

 そんな平凡な女の子の意味不明な失恋劇の舞台に勝手にあげられていただけだったのかもしれない。


 まあ、そうじゃなくてもそんなところだろう。

 第一、俺に言いよってきて何のメリットがあるというのだ。

 だまして脅すつもりなら、もっと金持ってそうなやつにするだろ。


「あー、なんか疲れましたね。今日は風呂入ったらゆっくり寝ます」

「うん、私も。明日は学校だし、バイトもずっとだもんね」

「じゃあ先に入ります。覗かないでくださいね」

「な、なんで私が薫の風呂覗かないといけないのよ」

「だって、大好きなんでしょ俺の事」

「もー! 恥ずかしいから言わないで!」


 こんな風にからかってはいるけど、内心俺は飛び跳ねたいくらいに嬉しい。

 まあ、そんな気持ちを隠すためにこうやって気にしてないふりをするあたり、まだ俺は変われてないのかもしれないな。


 あの頃と、随分と見える景色は変わったけど。

 俺はまだ何も変わっちゃいない。

 

 先輩にふさわしい人間に、さっさとならないとだな。



 朝。

 先輩に起こしてもらって一緒に朝食を食べてから着替えるなんて流れも随分板についてきたなと、しみじみしているところで先輩が。


「薫のアパート、帰ってないけどいいの?」


 と。


「別に大丈夫ですよ。それに、ずっとこうなら解約してもいいかなって」

「そのこと、なんだけど……あの、部屋探ししようかなって」

「部屋? 一人暮らしでも始めるんですか?」

「わ、わかってよもう! あの、一緒に、どっかないかなって……」


 唐突な提案だった。

 照れる彼女の様子を見る限り、それは同棲しようと誘っていることで間違いはなさそうだ。


「付き合ってもないのに同棲っておかしくないですか?」

「そ、それなら今だってそうじゃんか。それに、ここはやっぱり父の家だし、自立したいというか」

「まあ、俺のアパートじゃあ壁も薄いし色々困りますもんね」

「騒音とかは別に気にしない人よ。でもちょっと狭いかなって」

「……ですね」


 ちょっと下ネタを言ったつもりだったが、先輩には届かず。

 こういう天然って、本気でやってるんだろうか? いや、そうだろうな。


「まあ、俺もいつまでもここのソファで寝るよりはいいかな。今度の休みでどこか探しに行きましょう」

「うん。二人で働いてたら何とかなるし」

「もはや夫婦ですねそれって」

「た、助け合いよ!」


 嫌なことがあったらいいこともある。

 昨日は謎のコギャルに散々振り回されたが、その反動なのか先輩と同棲なんて話が出るんだから、まあ悪いこともたまには必要だったのかもしれない。


 順調すぎるよりも多少の揺さぶりなんてものがある方が、恋愛は盛り上がるのだろう。知らんけど。


「そういえば今朝もあの子から連絡はなし?」

「ええ、ばっちり。音沙汰なしです。あんだけ無視したらそうなるでしょ」

「ふーん。まあそれならいいけど」


 不安もなくなったところで、二人で家を出る。

 一緒に学校に向かい、正門をくぐってから下駄箱のところに着くと、先輩は決まって一呼吸置く。


「……よし。何もないわね」

「もう悪戯は終わりましたって」

「ちょっとトラウマなのよ。手紙あった時、ほんと怖かったんだから」

「あんなに画鋲まき散らしてた人がよく言いますよ」

「わ、わかんなかったの加減が。もう、行くわよ」

「はいはい。じゃあ昼休みに」

「うん」


 こうして仲睦まじく学校に来て一緒にお昼を食べる約束までして、なんなら先に階段を昇る先輩が名残惜しそうに俺の方を見てくれるようなそんな日々になんの不満もないが、贅沢をいうなら彼女と同じ学年で同じクラスで、四六時中一緒なんてことも一度くらいは経験してみたかったなあと、ほんとこれ以上望んだら罰があたりそうなことを想像していた。


 そして、望みすぎた結果なのか。

 バチがあたる。


「あ! 藍沢君、昨日なんで返事くれないのよ」


 早川だ。コギャルだ。最悪だ。


「……」

「なんで無視!? ねえ、私よ? 桜、覚えてるでしょ」

「知らないそんな人。俺は先輩しか目に入らないんで」

「ちょっと、いいから話くらい訊きなさいよ」

「あーもううるさいな。なんなんだよお前」

「だから、早川桜だっていってるでしょ」

「……」


 少し怒った口調で俺の制服を掴んで離さないコギャルは、見た目だけでいえば可愛いから上だ。


 少し童顔で、でもしっかり美人な感じで。小柄で細く、何か小動物っぽさもある彼女は、普通の男なら話しかけられるだけで舞い上がってしまうほどだろう。


 ただ、俺は普通じゃないのでそれはない。


「お前の名前は憶えたくないけど一応頭に入った。で、昨日のあれはなんだ? 鬼電するわメールで告白するわ、あの後大変だったんだぞ?」

「へー。水前寺先輩って彼氏のメール見る人なんだ。メンヘラじゃん」

「どっちが。あんな着信残す方がよっぽどだよ」

「ねえ、藍沢君って本当に先輩と付き合ってるの?」

「ん、いや、まあ。あれ、うーん、付き合っては、ないのか?」


 不意に訊かれて答えに迷った。

 両想いで、なんなら向こうからも好きと言われてて、そのくせ付き合うのはお預けくらってるんですなんて、いちいち説明する方がバカらしい。

 いや、バカだと思われる。


「なんだ、付き合ってないんだ。だったら私と付き合ってよ」

「だったらってなんだ。俺に選ぶ権利はないのか」

「だって、先輩みたいな人と付き合うのって藍沢君には似合わないじゃん」

「似合わない? なんでだよお似合いだろ」

「なんでそんな自信あるのよ。不釣り合いもいいとこ。あなたみたいなのは私くらいの一般生徒の中でイケてるねってくらいの子とだって、それでも釣り合いがとれないレベルなのに」


 自信満々に話すコギャルの言葉を訊いていくつかひっかかったことがある。


 まず、なんで自分でイケてるっていうんだよ。

 まあ、可愛いのは認めるけど、それ自分で言うか? いや、先輩も言うか。

 

 それにどれだけ俺のことを下に見てんだこいつ。

 その理屈なら結局お前と付き合っても釣り合いとれてねえじゃんかよ。


「あのな、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。俺は先輩一筋だ」

「ふーん。じゃあ私が困ってるっていっても、話聞いてくれないの?」

「困ってる? 困ってるのはむしろこっちだよ」

「いいから。人助けだと思って私と付き合ってよ」


 人助け。

 その言葉に俺は弱い。

 困っているやつがいたら、無条件に無意識に無意味に助けようと、そう思ってしまうのが俺の性分。


 それをわかって言ってるのかは不明だが、しかし一応話を聞いてやってもいいのかと思ってしまったのは、やはり俺の弱さだ。

 もっともその弱さのおかげで、先輩と仲良くなれたわけだから何とも言えないが。


「……訊くだけならいいけど」

「そうこなくっちゃ。ええと、私、好きな人がいるんだけど」

「待て、その時点でもうおかしいぞ。好きな人がいるならそいつと付き合え。それが俺だったなんて三流なオチは訊かない」

「あーもう話の腰折らないでよ。いいから聞いて。私の好きな人っていうのが、私のこと友達としか見てくれないわけ。だからあんたと付き合って嫉妬させたいのよ。どう? いいでしょそれ」


 いいわけあるか。

 

「バカかお前。好きなやつになんて素直に気持ち伝えた方が言いに決まってるだろ。回りくどいことしてたらそれこそ嫌われるぞ」


 どの口がいうんだか。まあ、それは今はいいか。


「散々言った。でも、多分向こうは私が好きだってわかって安心してる感じ。キープみたいな? だからさ、そんなんじゃ乗り換えるぞって揺さぶりかけてやりたいのよ」

「揺さぶり、ねえ。まあ、確かにそんなものが恋愛には必要かもって、考えた時もあったけど……でも」


 でも。

 そうなると俺は、先輩とではなくてこいつと付き合うことになってしまう。

 たとえ嘘の関係だとしても、それはつまり浮気だ。

 殺される。先輩に。


「付き合うのは無理だ。何回言われてもそれだけは無理。わかったか」

「……じゃあ、デートしてよ。それくらいならいいでしょ」

「デートって。そこまでして」

「お願い! 私本気で悩んでるの。ね、お願いだから一日でいいから私に付き合ってよ」


 お願い。

 この言葉にも俺は弱い。


 人に頼まれてもいないのにお節介するタイプの俺が、お願いなんかされて見捨てようなんて気持ちには、やっぱりなれない。


 しかし、しかしだ。

 まあ、デート一回くらいなら。


「先輩に訊いてみる。それからでいいか?」

「なんで? 付き合ってもないのに」

「いいから。それが待てないならこの話はなしだ」

「ふーん。でも、わかった。じゃあそれで」


 一応話はまとまった。

 しかし一番肝心なことがこの話の中で抜けていたことに気づく。


「なあ、なんで俺なんだ? 他にも男なんていくらでもいるだろ」

「だって、藍沢君って友達いないじゃん」


 断定された。

 もちろん合ってる。でも、なんでお前が知ってるんだって話だ。


「それだけが理由か? 意味わからん」

「友達いる子だとさ、なんか他に説明すんのめんどくさいじゃん。それに、私知っるし。藍沢君がお節介な人だって」

「なんでだよ」

「正門で先輩のためにあんなことしてるような人が人の頼みを断ったりしないだろうなって。ね、当たってるでしょ?」

「……」


 悔しいけど正解だ。

 ああ、あんなことをやった影響が、先輩のみならず他の生徒にまで出るとは予想外どころか余計だ。


 ……目立つもんじゃないな。


「じゃあそういうことで。ちゃんと先輩に聞いておいてね」


 嵐のようにやってきたコギャルは砂嵐のように散々まき散らして去っていった。


 はあ。どうしようかなこれ。

 でも、先輩に相談するっていったし、一応昼休みに訊いてみるか。


 朝から同棲話なんて、気持ちの昂ることがあったせいか。

 その反動のせいか、やっぱり悪いことが起こってしまった。


 どこかで帳尻が合うようにできているもんだなと、深くため息をつきながら俺は、教室に戻ることにした。

 

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