第30話

「見て見て! おっきいね」

「はしゃがないでくださいよ。先輩、子供みたい」

「わ、私だってまだ子供だもん。薫が冷めてるのよ」

「達観してると言ってください」


 先輩は随分水族館がお気に入りのようだ。

 ここは確かにこの辺どころか、日本でも有数の大きさを誇る有名な場所。

 多くの観光客や家族連れが連日押し寄せて、大きな水槽を優雅に泳ぐ魚たちをキラキラした目で眺めている。

 皆とても幸せそうだ。もちろん俺も幸せだ。


 最も。


「ねえ薫。次あっちいこ。ねえ早く」

「はいはい」


 俺はこの人と一緒だったら場所なんて関係ないけど。


「そういえば、さっきの子から連絡きた?」

「あ、携帯みてなかった……ってなんじゃこれ」


 デートの邪魔になるからと、マナーモードにしてカバンの奥深くにしまい込んでいた携帯を取り出すと。


 無数の着信履歴が。


「こわっ……悪戯にしてもやりすぎでしょ」

「全部あの子から? ふーん、随分愛されてるんだあ」


 まだ、駅のホームでのことを根に持っている先輩は随分と疑り深い目で、不快そうな目で見てくる。


「これが愛なら重すぎて潰れますよ。ん、メールも入ってる」


 思わず癖で、未開封のメールをあけてしまった。

 すると画面に


『藍沢君、絶対に私と付き合ってね』


 という文字が現れて、さあ大変。


「……私、帰る」

「いやいや、待ってくださいよ。これ、絶対おかしいって」

「おかしいのは薫だもん。この女たらし」


 先輩はまた、機嫌を悪くしてしまった。

 帰る、なんて言いながらもその場を動かないのはきっと、俺からの弁解を待っているのだろうけど、何をどう説明したらよいかさっぱりだ。


 一体、あの早川って子は何ものだ?

 そして何がしたい? いや、付き合いたいのか、俺と。


「とにかく、連絡は無視します。こんな非常識な女にかまってられません」

「絶対に? 絶対連絡しない?」

「せ、先輩ちょっとメンヘラになってますよ」

「するかしないか聞いてるの。どうなの?」

「……しませんよ、絶対」


 鬼電に謎の告白、相手は知り合ったばかりの同級生。

 それだけでも拒絶するには十分だけど、加えてあの女はデートの邪魔をした。

 それがすべてだ。絶対に関りなんて持たない。


「じゃあ、携帯は今日私が預かる」

「ほんとメンヘラみたいですよ先輩」

「何か?」

「い、いえ……」


 怒った先輩は怖かった。

 本気で怒らすととんでもないことになると、あの鋭い目を見てよーく理解した。


 はあ。尻に敷かれてんな俺って。

 まあ、先輩のお尻なら大歓迎だけど。


「じゃあ、見終わったらランチにしよっか。ここでてすぐのとこに美味しそうなお店あったし」

「パスタの店ですね。いいですよ、任せます」

「あ、でも」


 先輩は思い出したように言うと、その後すぐに黙り込む。


「なんですか?」

「……まだお昼だから」

「だから?」

「そこで、告白は、なしだよ?」

「……はい」


 突然照れた。

 デレた、ともいうべきか。


 しかしもちろん可愛かった。



「ねえ、ほんとに心当たりないのあの子?」


 水族館から移動して、向かいのパスタ屋に入って注文を済ませ、今まさに頼んだパスタが運び込まれてきたところで先輩が。

 今は怒った様子というより不思議そうに、そう尋ねてきた。


「知りませんよ。俺、友達いないんで」

「それ、胸張っていうことじゃない」

「先輩こそ、友達いないくせに」

「で、でも私は一応、モテてるもんね」

「ぷっ、それ自分で言う人初めてですよ」

「だ、だって」


 自分で言って恥ずかしくなったのか、パスタをフォークでくるくると。

 食べもせず、ずっとクルクルしながら顔を赤くしていた。


「とにかく、あの子のことは忘れましょう。学校で絡んできても知らん顔しますし」

「そうね。せっかくの休みなんだし。よーし、デザートも食べちゃお」


 まだパスタが残っているのに、焦ってデザートを選ぼうとする先輩は、ちょっと無理しているような感じもした。


 気にするなというのも無理な話か。

 はあ。こんなんじゃこの後で付き合ってくれなんて、難しいな。


 食事を終えてからは全くの無計画。

 フラフラと買い物でもして、本来なら夜に雰囲気の良い店に行くつもりだったのだけど、どうもそんな気分じゃない。


 もちろん先輩と付き合いたいという気持ちはいつも全開だけど、それでも他の子に付き合ってと言われて、慌てて先輩に告白した、みたいな展開が嫌なのだ。


 それは先輩も同じようで。


「買い物済ませたら、今日は帰ってゆっくりしよっか」

「ですね。あーあ、あの女のせいでなんかさっぱりだよ」

「いいじゃん。また次もあるし、それに」

「それに?」

「それに……ずっと一緒にいてくれるんでしょ?」

「も、もちろんですよ」

「あ、なんで言葉詰まったのよ」

「い、いやそれは……」


 不意打ち過ぎる。

 この人、デレるタイミングがわからん。

 それにいちいち可愛いから困ったもんだ。


「ま、今日は私の機嫌を取ることに集中してね」

「はいはい。ていうかずっと一緒なら付き合ってるでいいんじゃないですか?」

「ダメ。ちゃんとしたいの」

「……わかりましたよ」


 どうして頑なに先輩が付き合ってくれないのか。

 その理由に特段意味はないのだろうし、壮大などんでん返しが待ってもいないだろうというのは、別に自信過剰ではなくてもわかる。


 だって。


「でも、告白って返事もらうの不安ですよね。フラれるかもだし」

「そ、それは相手の気持ちがわかってないからでしょ?」

「俺には先輩の気持ち、わかんないなあ。何もいってくれないし」

「い、一緒にいてって……それでわかるじゃん」

「わかりません。ペットか召使いくらいの感覚かもしれませんし」

「……好き」

「え?」

「好き……。薫のことは、好き、だもん」

「それって、人としてとかそういうオチはないですよね」

「な、ないもん! 私だって薫のこと大好きだもん! もーヤダ!」


 なんか気持ちが溢れかえって自爆して。

 両手で顔を隠しながら一人で悶える先輩を見ていると。


 不安なんて何もなかった。

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