第29話

「薫、早く準備して。着替えて歯磨いてトイレ済ませて」

「オカンですかって。先輩、水族館から魚は逃げませんよ」

「でも……は、早く行きたいの!」

「はいはい、急ぎます」


 思った以上に水族館デートが楽しみで仕方ない様子の先輩に急かされながら、朝から慌ててお出かけの準備をしているところ。


 最も水族館が楽しみなのか、デートが楽しみなのかは本人のみぞ知るところ。

 俺はばっちり後者だけど。


「じゃあ行きますよ」

「ええと、ハンカチ持ったし飲み物持ったし、財布と携帯と、ええと」

「だからオカンかって。財布と携帯があればなんとかなりますよ」

「もう! オカンオカン言わないの! 私は」

「そうでした、俺の大好きな先輩でしたね」

「……不意打ちはダメ!」


 朝から先輩が真っ赤に。

 幸先のいい朝だ。


 ちょっと怒り気味な先輩と、歩いて駅まで。

 早速切符を買ってホームへ。


 最寄り駅は地方の何もない駅で、つい数年前までは自動改札もなく駅員が切符を切ってくれていたようなそんなところ。


 そこから電車で、水族館のある隣の市まではおよそ三十分。

 たったそれだけの時間で、随分と都会になるのだが、どうしてそこまで差がついたのかと、自分の地元と中核都市との格差を嘆くように、ぼんやりと空を眺めていると先輩が一点をじっと見つめていることに気づく。


「何かありました?」

「ううん、あの子……昨日コンビニにいた」

「ああ、ほんとですね。なんか同じ学校って言ってたから、まあ住んでるとこが近いんでしょ」

「へえ、お話してるんだー。で、名前は?」

「……確か早川って。下の名前までは聞いてません」

「ふーん。で、結局なんて声かけられたの?」

「それは……」


 連絡先を教えてほしかったそうです。

 と、馬鹿正直に伝えるのもちょっと、なあ。


 別にやましいことはないが、先輩がまた不機嫌になるのだけは避けたい。

 あくまで何もなかった。なんなら立ち読みの注意をされただけ、くらいで済ませたい話題だったが。


「ねえ、藍沢君だよね」


 言葉に詰まっていると、少し離れたところにいた、自称早川さんがこっちに向かってくる。


「え、あ、」

「ねえ、なんで昨日連絡先教えてくれなかったの? ねえ、なんで?」

「お、おい。空気読めお前。俺は今」

「知ってる。デートしてるんでしょ? でも関係ない。連絡先、教えてって言ってるじゃん」

「だ、だから断っただろ昨日」

「だからなんでなの? 彼女いるから? それともこの彼女が怖いから?」

「……」


 俺はこの短い人生で女子と本格的に絡んだ経験なんてほとんどない。

 いや、多分先輩くらいのものだ。

 あとは挨拶したり、用事で話したりすることはあったけど、基本的に嫌われ役だったので女子と接した数は人よりはずっと経験が少ない。


 でも、そんな俺でもわかる。


 この女、マジでめんどくさい。


「ちょっとあなた、急になんなんですか?」

「先輩は黙っててください。人気者の、水前寺先輩は」

「え、なんで私のこと」

「知ってますよ。あの学校で先輩のこと知らないやつなんていませんし。でもって、その先輩が、下級生の冴えない、なんならクズみたいなやつと付き合ってるんじゃないかって噂も、同じくらい有名ですよ」


 下級生の冴えないクズというのが誰であるかは聞くまでもない。

 まあ、いくらコソコソしてたとはいえ、四六時中一緒だからなあ。

 誰かに見られて噂されるくらいは当然、だな。

 俺にとってはむしろいいことだけど。


「で、藍沢君。連絡先教えてくれないの?」

「……先輩、どうします?」

「いいんじゃない教えてあげたら? 別に減るもんじゃないし」

「……じゃあ、ええと……はいこれ」


 慌ててスマホを取り出して、そして電話番号を見せると目の前のコギャルはさっさとその番号を自分のスマホに打ち込む。


 そして空電話をかける。


「……これでいいか?」

「ちゃんと登録して。私、早川桜はやかわさくら。あなたと同じ二年生よ」

「わかったよ、登録しとくから。だからもういいだろ」


 もうすぐ電車が来る。

 多分こいつもここにいるということは同じ電車に乗るのだろうが、車内にまでこの問題を持ち込みたくない。


 今日は先輩との楽しいデートなんだ。

 幸先よくそのスタートを切ったはずなのに、出先ですぐに出鼻をくじかれて、正直ウンザリだ。


 さっさとどっかに行ってくれ。

 かわいい子にこんなことを思うようになるなんて、俺も随分変わったと思うが、今はそんな自分の成長物語を懐古している場合ではない。


 先輩も隣でずっと足をゆさゆさしてる。

 相当イラついてるなこりゃ……


「ほら、もうあっちいけよ」

「……付き合って」

「は?」

「私と、付き合ってよ藍沢君」

「はい?」


 その瞬間、電車がホームに入ってきた。


 するとコギャルは、「ちゃんと連絡返してよ! あと告白の返事もね!」

 と、元気よく発声しながら改札口へ走っていった。



「……浮気者」


 当然の帰結だった。

 電車で並んで座ってくれているのが奇跡的なほど、今日俺がデートをする相手のお方はお怒りだった。


「あのですね、あれは何かの間違いですって」

「聞かない。浮気者の言い訳は聞かない」

「……」


 こんな時だというのに、怒って頬をぷくっとさせた先輩の横顔可愛いなっておもってしまうのは少々不謹慎だろうけど、俺はそれくらいこの人が好きなのだ。


 だから浮気なんてするはずないのに。

 どうしてこうなっちゃうかなあ。


「あの、早川って子、ちょっとおかしいんですよ。それに付き合ってってのももしかしたら告白じゃなくて」

「告白って言ってた」

「……だとしても、別にあの子に告白されたからって何もありませんよ。第一知り合いでもない子から急に告白されるなんて絶対怪しいですって」

「じゃあ怪しくなかったらいいんだ」

「あー、もう……」


 何を言っても無駄のようだ。

 しかしせっかくのデートでこれはない。

 一日不機嫌な先輩を連れまわして終わりなんて展開で、どうやって付き合ってくれというところにまで結びつこうか。


 やっぱり、早く機嫌とらないとな。


「俺が隙だらけなのがいけませんでした。すみません。でも、あの子絶対に何か裏がありますから。連絡も返さないし学校で会っても無視します」

「別にそこまで言ってない。私、メンヘラじゃないもん」

「で、でも俺は先輩が好きなんだから、先輩以外の女子と話したいとは思わないですよ」

「……ちゃんと好き?」

「ばっちり好きです。大好きです」

「……ふん。じゃあ、今日ちゃんとそれを証明しなさい。私のわがままに一日付き合わせるから覚悟しててね」

「ええ、覚悟しておきます」

「じゃあ、もっかい言って?」

「え、何を?」

「ちゃんと、好きだって……」

「はい。死ぬほど愛してます」

「も、もー違うでしょ!」


 ようやく。

 少し機嫌を持ち直してくれた。

 というより、拗ねてみたかっただけなのかもしれない。


 やっぱり先輩は可愛い。

 だから好きだ。


「あ、着いたわよ」


 電車が止まり、プシュッと扉が開くと一斉に乗客が降りていく。

 その人混みについて行くように、俺も先輩と電車を降りる。


「せっかくの休みだから今日は楽しみましょう」

「うん。誰かさんが可愛い女の子にナンパされないように見張っておくから」

「じゃあ、手を離さないでくださいね」

「……うん」


 改札を出て、仲良く手をつなぐ。

 こうして先輩の手を握るのは、もう何回目かも数えていないが毎回新鮮な気持ちでドキドキする。


 こうしていると、なんか青春してるなーって、しみじみ。

 

 でも、その青春に迷い込んできた謎多きコギャルは一体なんなのか。

 そんなことは、目の前に水族館が見えてきたころにはすっかり頭の片隅に追いやられていた。

 

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