第27話

 三島聡子という女と話したことはおそらくない。

 おそらく、というのは俺が、先輩へ嫌がらせをした犯人探しをしているときに誰彼かまわず正門で声をかけていたときに彼女に一方的に話しかけたことがあったかも、と思ったから。


 もしそうであれば向こうは俺のことを覚えていて、警戒もする。

 彼氏である海田会長に嫌がらせのことを聞かれて、誰かが探っていると勘づいている可能性だってある。

 

 だから随分と回りくどいことをした。

 俺は、彼女の下駄箱に手紙を入れることにしたのだ。


 そして宛名は水前寺瑞希。

 それくらいやれば、向こうだってバカでない限りその手紙の意図に気づくはず。


 それは見事に的中した。

 下駄箱で手紙を確認した三島は、焦った表情を浮かべたあとで手紙をそっとカバンにしまった。


 その反応を見て、彼女が呼び出した場所に来るという確信はあった。


 だから迷うことなくその場所へ。


 放課後の、校舎裏へと向かった。  



「三島聡子さん、ですよね?」


 校舎裏でイライラしながら人を待つ彼女に、随分と白々しく声をかけた。


「何よあんた? 私、人を待ってるんだけど」

「その人は来ません。いわば代理です。水前寺先輩の」


 三島聡子を呼び出した手紙の内容はシンプルだ。

 一言だけ。「手紙のことで話があります」だった。


 身に覚えがないことなら彼女はここには来なかっただろう。

 だから今彼女がここにいることが、すなわち嫌がらせの手紙の犯人が三島聡子だと証明してるようなものだ。


「ふーん。あんた、あの子の彼氏?」

「いえ、ただの後輩です。で、早速本題にうつらせて頂きますが、なんで先輩に嫌がらせを?」


 これもまあ白々しい聞き方だ。

 その動機だってとっくに察しはついている。


「……そもそも、なんで私がそんなことしたって思ったの?」

「三島先輩のお母さん、水前寺先輩のお父さんと駆け落ちしたんですよね。だから」

「ふーん、知ってたんだ。あ、出海に何か聞いたのってあんたね。まあ、それなら言い訳しても無駄か。ええ、その通りよ。父親がそんなことして、私の家庭をぐちゃぐちゃにしておいて自分だけ学校の人気者だなんて、そんなのムカつくじゃん」

「逆恨みですよ。先輩は何も悪くない」

「でも、私の彼氏だって拐かして。その気もないのに構ってほしいって態度を取るから、みんなを惑わすのよ」

「……それは当たってますね」


 そうだ。先輩はいつもそうだ。

 強がってるくせに構ってほしそうにして。

 だから男は、俺みたいなやつはコロッと騙される。


「だからってそれも相手の男が勝手に勘違いして暴走しただけです。くだらないことはもうやめてください。今なら先輩も許すと思います」

「別にあんなやつに許してもらう必要なんてないわよ。私のお母さんを返してよ!」

「……」

「それに、なんで付き合ってもない奴があんな女の味方するわけ? そういうとこも気に入らないの。どうせあんただって、あいつにうまく利用されて面倒ごとを押し付けられてるんでしょ?」

「はは、間違いない。耳が痛いですよそれ」


 三島聡子の言うことは最もだ。

 俺はうまく使われてる。

 でも、それをわかっててなお、そうしたいと思わせるのもまた、この人の言うように先輩の人たらしな部分なのだろう。


「あんな女、用が済んだらあんたのことなんか綺麗さっぱり忘れるわよ。そしたらあんただって私みたいに、あの子のことを恨むわ。そうに決まってる」

「半分正解ですけど後半は違いますね。俺はあの人を恨まないし、誰も憎まない。そんなことして何になるんですか?」

「綺麗事よ。なんでそんなこと」

「経験則です。それに、恨むより許すことの方がよっぽど難しいしそうできる人の方が立派だって、俺は知ってますから」


 俺は知っている。

 かつて友人が俺にそうあってくれたから。


 今思い出すことじゃあないけど、浩介は本当に優しいやつだな。


 多分、今も浩介は苦しんでいる。

 自分が本当は窃盗の犯人でしたと名乗り出たいはずなんだ。

 でも、それをすれば俺のやったことは本当の意味で偽善になる。

 それを知って、黙って俺の意図を汲んでくれているのだろう。


 それを卑怯だとは思わないし、そうしてくれる方が俺にとってはありがたい。

 でも、そのせいであいつを苦しめている。


 ……今度、謝らないとな。


「じゃあ、私はあの子を許せと? はは、笑わせないでよ。そんなことできるわけないじゃない。第一あんたに私の気持ちなんかわかるわけない」   


 わかるわけない、か。

 そうだ、わからない。


 俺はお前の気持ちなんかわからない。

 わかってやるつもりもない。

 わかってしまったら、俺も彼女が憎くなるだろう。


 まあ、そんなことはあり得ない。


「……うちの両親は死んだんです。会社が倒産して。自殺しました」

「な、なによ急に? そ、それで同情してくれっていうなら」

「うちの親父の会社を潰したの、水前寺先輩の父なんです」

「え?」


 俺は知っていた。

 最初からではない、途中で気づいたのだけど。

 俺の両親の会社を妨害して潰したのは、先輩の父親だった。


 水前寺という名前にどこか聞き覚えがあったけど、まさかとは思っていた。


 でも、初めて彼女の父親の部屋に入った時に何かの賞状に書かれた社名を見てピンときた。


 先輩の父親こそが、まさに両親の仇と言える相手だったのだ。


「でもそれはあくまで先輩の父親がやったことですから先輩は関係ありません。それに、最後に死を選んだのは両親ですから、自殺させられたって恨むのもちょっと違う気もしますし」

「そ、それは……それはあんたがあの子に惚れてるからってだけでしょ」

「そうかもですね。でも、先輩と知り合う前にその事を知ってても、きっと俺は先輩を好きになってました。。俺は先輩が好きです。そして先輩の父親がどんなにクズな人間だったとしてもそれはそれです」


 そうだ。

 それはそれ。

 先輩は、やはり俺の大好きな先輩なのだ。


「先輩はいつも誰かのことを真っ先に考えて、優しくて、そのくせ強がりで。でもポンコツで、すぐ泣きそうになるくせにちょっと先輩面して、それでもすぐにボロが出て。そんな先輩が大好きで仕方ないんです。たとえ、彼女の家族友人全てが俺を不幸に陥れたとしても、そんなことを彼女が望んでいないことを俺は知っているから。だから逆恨みなんてしませんよ」

「……なによそれ。結局あの子が好きってだけじゃんか」

「ええ、そうですね。でも、先輩がいい人だっていうことは俺が保証しますから。三島先輩も、それだけはわかってやってくださいよ」


 俺が頼めるのはここまでだ。

 もう、これ以上は言えないし言うこともない。

 

 これで無理なら土下座かな。

 と、考えていると三島先輩が口を開く。


「……そんなこと、知ってるわよ。あの子は誰に対しても笑顔で、優しくて。そんな彼女の悪いところなんてずっと探してた。でもなかった。それがムカついた。もっと悪いやつだったら、私だってもっと面と向かって嫌いって言えたのに……」

「はは、それじゃ今度先輩の悪いところ教えてあげますよ。何も完璧じゃあないですから、あの人」

「……そうね。じゃあ、次回はそれ、楽しみにしてるわ」

「はい、こっそりと先輩にバレないように会いましょう」

「あはは。付き合う前から尻に敷かれてんのね。あんた、そういや名前は?」

「薫。藍沢薫です」

「可愛い名前じゃん。じゃあまたね、薫」

「はい、また」


 納得してくれた、とは程遠いかもしれないが。

 多分これでよかったのだろう。


 三島聡子が心の底から先輩を恨んでいなかったことがラッキーだったとしか言いようがない。

 でも、これで大半は片付いた。


 あとは……


「先輩、そこにいるんでしょ? 盗み聞きは趣味悪いですよ」

「……バレてたんだ」


 さっき両親の話をした時に、柱の陰でごそっと何かが動く気配がしていた。


 まあ、聞かれてたんならそれでもいいけど。


「薫……さっきの話」

「先輩は知らなかったでしょうし、本当は墓場まで持っていくつもりでした。でも、まあいいじゃないですか別に」

「……私、あなたに何て言ったらいいのか」

「じゃあ愛してるとでも言ってください。その方が俺も嬉しいので」

「な、なんでそんなに平気なの? あ、あなたの両親を殺した仇の娘なんでしょ私って?」

「殺してませんし殺したとしてもそれは先輩がやったわけじゃないから。それだけでしょ」

「で、でも……」


 こうなることはわかっていた。

 だから言いたくなかったんだ。

 こんなことで先輩に距離を置かれるのだとすれば、そっちのことで親を恨みそうだよ全く。


「先輩。俺は先輩が好きです。だからいなくなったりしないでください。もしいなくなったら、先輩の父親を見つけ出してぶっ殺しそうですから」

「わ、私なんかのどこがそんなに……そんなにいいの?」

「さて、どこだと思います?」

「……可愛いとか?」

「ぷっ。自分でいいますそれ?」

「も、もう! 真面目に考えてるんだから」

「そういうところもです。全部好きですよ、先輩」


 言いたくないことを。

 言ってはいけないことをさらけ出してしまったから、多分素直になれた。


 俺は先輩が好きだ。

 水前寺瑞希という一人の女性が、たまらなく大好きだ。


 素直じゃないところも、素直なところも、強がりなところも、強がれないところも。


 そして、嘘つきなとこも。


「先輩、一ついいですか?」

「な、何よ返事なら、あ、あの」

「先輩の靴箱に画鋲を仕込んだ犯人。あれ、先輩ですよね」

「え?」


 今となればどうでもいいことだった。

 全部三島先輩のせいにして終わらせてもよかったし、そうだったからといって何かが変わることでもない。


 でも、まあ一応。せっかくここまで推理したんだから最後まで。


「ストーカーはほんと。でも嫌がらせは嘘。だけど途中で本当に三島先輩から嫌がらせの手紙を受けて戸惑った。そんなところですね」

「……いつから気づいてたの?」

「海田の話を聞いて確信した感じですね。何が何でも目撃者がいないのは無理あるし、あの量はちょっとやりすぎです。それに、画鋲に眉一つ動かさない先輩が手紙の時はしどろもどろ。そりゃわかりますよ。どうせ、ストーカー被害に遭ってて助けてほしいのに誰にも言えなくて、自主的に手をあげてくれる俺みたいな奴を探してたんでしょ」

「……なんでそんなに察しがいいのよ、あんたは」

「先輩の考えることですから。わかりますよ」


 好きな人の考えることくらい、わかる。

 だって、先輩が何を考えてるんだろうって、四六時中そんなことばっかり考えてるんだから。


「……そんなめんどくさくて卑怯で嘘つきを、どうして好きなのよ。私は薫の思うような人間じゃ」

「めんどくさいのは否定しませんけど嘘つきだとは思わないですよ。ストーカー被害に遭って怖くて誰かにSOSを出そうとした結果なんだし。それに」

「それに?」

「……先輩が嘘をついてくれたから、だから俺は好きな人と仲良くなれたんだし、むしろ感謝でしょ」


 今まで一度も言えなかったのに。

 今だけで何回先輩に好きって言ったんだろうか。


 でも、何度でも言いたい。

 この先一生でも、言い続けたい。


「先輩、好きです」

「……ほ、ほんと?」

「じゃあ嘘」

「な、なんで?」

「大好きすぎるんで」

「な、なによそれ! ……じゃあ、それ、証明して」

「証明って。何すればいいんですか?」

「毎日おはようの時とおやすみの時と、それからご飯食べる時もずっと好きって言って。そうじゃないと、私信じない」

「ほんと、めんどくさいですね先輩って」

「だ、だって」

「大好きです。なんなら毎分でも言い続けます」

「……うん」


 先輩からの言葉は聞けなかった。

 涙目で真っ赤になった彼女にそこまでさせたら気絶してしまいそうだし、そこまでは求めたなかった。


 でも、


「薫……ずっと一緒にいてね」


 その言葉があれば充分だった。


「じゃあ、帰りましょうか」

「うん、今日はうちに来るよね?」

「はいはい。その前にバイトですけどね」

「あ、そうだった。じゃあ、一緒に行こ?」

「もちろんですよ。あ、大好きですよ」

「もー、適当に言わないで!」

「あはは、バレたか」


 二人で夕暮れに赤く染まりながら帰路に着く。


 その間はずっと無言だった。

 でも、そっと繋いだその手の温もりだけが、先輩とのこれからの日々を確信させてくれる。


 ずっと、彼女とこうして歩いていくんだと。

 

 

 


 


 

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