第18話

「あー、フラフラする。頭痛いわ」

「飲みすぎですよ。ったく、これだから大人は」

「いいじゃんたまにはー。それより、ミッキーはお腹いっぱいになったー?」

「ええ、もう食べられないです。ご馳走さまでした」

「いいのよ全然。また儲かったらみんなでいこーねー」


 帰り道。

 泥酔寸前の店長を俺と先輩で抱えて、三人でタクシー乗り場まで。


 そして彼を無事タクシーに放り込んでから、今度は二人で先輩の家を目指す。


「なんか楽しかったわ。店長さん、ほんと面白いね」

「いい人ですけど、手のかかる人ですよ。ほんと、俺の周りの先輩はそんな人ばかりだ」

「なによ。誰のこと言ってるのそれって」

「さあ。心当たりでもあるんですか?」


 とか。冗談まじりに会話をしながらも、さっき店長に言われたことを思い出す。


 大切にしろ、か。

 まあ、そのつもりだけど。


 だけど。


「ねえ、私がいない間、店長と何話してたの?」

「な、なんでですか?」

「だって、戻ってきたらあんたの目真っ赤だし。怒られて半べそかいてたんでしょー」

「じゃあきっとそうですよ。あんな人の言葉に揺さぶられたのが癪で悔し涙でも流してたんでしょうね」


 全くその通りだ。

 柄にもなく泣かされるなんて悔しくて仕方ない。

 しかもあんな飲んべえにともあれば尚更だ。

 

 全く……


「で、今日は泊まっていかなくても大丈夫ですか?」

「さすがに二日続けてってのも申し訳ないし……」


 ということは、先輩は今日もいてほしいということなのか。


 でも、彼女からそう言われない以上、俺の方からは……


 ……あー、店長も余計なことを言ってくれたもんだな、ほんと。


「俺なら大丈夫ですよ。不安なら、泊まりますけど」

「……いいの? 明日学校だけど」

「先輩と一緒に目覚めて学校に行くなんて、ちょっと大人な感じでそれもありかなと」

「べ、別に一緒には寝ないわよ」

「布団持ってきてたくせに」

「なんか言った?」

「いえ、なんでも」


 店長のおかげか、昨日の不安そうな先輩はどこかに消え、すっかり明るくなった。

 もしかして、彼女が悩んでるのを察しての食事の誘いでもあったのだろうか?


 だとすればさすがだ。

 やっぱり、あの人から見習うことはまだまだ多い、な。


 高校生でありながら、日を跨ぐ時間に帰宅ということを平然とできるのは俺も先輩も家族がいないからであって何も羨まれることではない。


 自由の代償がそれだというのなら、やはり多少の不自由さがあるくらいの方が人間は幸せなのかもしれない。


 なんてことを先輩の家に戻ってからつまらない深夜番組しかしていないテレビを見ながらしみじみと思う。


「お風呂、先入る?」

「今日は先輩からでもいいですよ。俺、もうちょっとゆっくりしたいので」

「じゃあお先に。……覗かないでよ」

「覗きませんって。先輩がシャワー浴びる音で色々妄想しながら楽しみますので」

「ば、ばか……」


 この手の冗談にまだ免疫がない先輩は顔を赤くしてさっさと風呂場に行ってしまった。


 本当に可愛い人だ。

 可愛いしわかりやすいし、純粋だし。


 でも、今日も当たり前のように彼女の家で寝転んでいる自分を客観的に見ると、やはり卑怯な人間に思えてならない。


 ただ、あの時偶然先輩の下駄箱から画鋲が流れ出るところを見たのが俺だっただけ。


 そのあとくだらない呼びかけをして、それがたまたま先輩の目に留まっただけ。


 先輩が、たまたま相談できる相手がいなくて困っていたから俺という都合のいい人間が選ばれただけ。


 俺は何もしていないしできてもいない。

 それなのに、これでいいのだろうか。


 そんな考え事をしていると、気がつけばシャワーの音が聞こえなくなり、先輩が髪を拭きながらリビングに戻ってきた。


「空いたわよ。早く入ってきて」

「ええ、ありがとうございます。先輩は先に寝ててください。俺もゆっくりさせてもらいますので」

「先に寝たら襲われそうだからイヤ。出てくるまで起きてる」

「もしかして寝れないんですか? だったらそういえばいいのに」


 いつものように冷やかしたつもりだったのだが、先輩は少し困った様子で俺を見た後で、


「早く出てきて」


 とだけ。


 それを聞いて俺は、さっさと風呂場にいくと湯船に浸かることもなくシャワーで髪と体を洗ってからすぐに風呂を出た。


 ……なんだよさっきの顔は。

 添い寝でもしてほしいのか、とまでは言わないけど、あんな顔されたらゆっくり風呂にも浸かれないじゃないか。


「あがりましたよ」

「うん、じゃあ寝よっか」

「お、ついに一緒に眠れるんですか?」

「バカ。今日も私は下で寝るの」

「はいはい」


 すぐに布団を用意して、消灯。

 その頃にはもう夜中の一時過ぎ。さっさと寝ないと明日がしんどいなと、先輩の寝相をみようなんて発想よりもまず、目を閉じることに。


「おやすみなさい、先輩」

「おやすみ」


 そしてしばらく。

 目を瞑ったままジッと眠気を待つ。


 しかし眠れない。

 

 先輩がそばで寝ているから、というよりもさっきまで騒がしい店の中にいたせいで興奮しているのだろう。

 頭が冴えてしまい全然寝付けない。


 それでも寝ないと明日が辛いからと、無理矢理眠ろうとしていた時に先輩の声がした。


「ねえ、起きてる?」

「……ええ、一応」

「そっか。うん、ごめんね今日は」

「なんですか急に。謝ることなんてなにも」

「ううん。私がこんなんだから、薫に迷惑かけてる。でも、私……感謝してるから」


 沈黙を破った先輩は、弱々しい声で言う。


 ただ、なんでそんな話をされているのかがわからない。

 感謝なんてされるようなことをした覚えもない。


「俺の方こそ、先輩と一緒で楽しいので。それに、たまたま俺が先輩の目につくところにいただけの話です。何も感謝されるようなこと、してません」

「またそうやって……薫の悪いとこよ。あのね、私……薫がいてくれてよかった。たまたまかもだけど、でも、いてほしい時にそこにいてくれたって事実はかわらない。それじゃダメ?」


 先輩の質問に俺はなんと答えたらいいかわからない。

 ダメだとも言いたいし、ダメなもんかとも言いたくなる。


「……先輩、ありがとうございます。俺なんかを頼ってくれて、こっちこそ感謝してます」

「うん。まだ頼ることばっかだけど……明日からもよろしくね」

「ええ、こちらこそ」


 と言った時に、何故か急に眠気が襲ってきた。

 何故かな、少しだけ気持ちが軽くなったせいか。

 ふぁーっとあくびが出て、そのまま先輩におやすみということもなく、フッと意識が遠くなっていくのがわかった。


「私、薫のこと……」


 何か先輩が、とても大切なことを言っていたような気がしたのだが、もちろんそれも聞き取ることもなく。


 俺は夢の中へと誘われた。



 多分朝になった。


 瞼の向こうにうっすらと光を感じる。

 

 そして、心地よい声で呼ばれて意識がはっきりと。


「おはよう、薫」

「……おやすみなさい」

「こら、もう朝よ」

「冗談です。おはようございます、先輩」


 たった二日のことだけど、先輩の家に泊まり先輩に起こしてもらい、先輩の作った朝食を食べるだけで随分長い間、先輩と過ごしてきたような錯覚に陥る。

 

 それくらい彼女といる時間が、安らぐのだろう。

 誰もいない身軽さより、誰かの重みを感じる生活の方が、やっぱり生きている実感というものがある。

 でも、多くの人がその重みに耐えきれず、捨てたり壊したりするんだろう。


 俺は……どう、だろうか。


 朝食を終えて、家に着替えを取りに行ってから先輩と一緒に学校を目指す。


 早朝の早い時間帯。

 川沿いを歩いてしばらくすると見える踏切を超えて少し進んだところに俺たちの通う学校が見える。


 朝練をする運動部の掛け声を聞きながら半開きの正門を抜けて、昇降階段を上がり下駄箱で靴を履き替える。


 先輩は恐る恐る下駄箱の蓋をあける。

 すると。


「……手紙、だ」


 中にあったのは一通の手紙。

 その辺で買ったようなシールで封をされたシンプルなものに俺は、


「ラブレターじゃないんですか?」


 なんて軽く答えた。


 まだ、何も見ていないから軽いことが言えた。


「読んでみたらどうです?」


 とも。


「そうね。じゃあ、開けちゃうわよ」


 びりっと封を切り、中の紙を先輩は勢いよく取り出して。

 目を大きく見開いたと思うと、その手紙をふわっと手から落とした。


「ど、どうしたんですか?」

「……これって」


 彼女の声が震えている。

 俺は何が書いてあるのかと、手紙を拾い上げて中身を読んだ。

 そこには、


「お前だけ幸せにはさせない」


 という怪文書が。

 新聞の切り抜きを張るなんて古典的なものだが、迫力は充分だった。


「……おいおい」

「な、なんなのよこれ……私、私」

「落ち着いて先輩。向こうに行って座りましょう」

「私……なんで……」


 徐々に気が動転していくように焦点が合わなくなる先輩の手をひいて、校舎裏まで逃げるように移動した。


 その間、俺は軽率な自分を悔いた。


 もっと慎重になるべきだったし、もっと真剣であるべきだった。

 先輩の嫌がらせも、なんとなく時間が解決するのではないかとか、俺が一緒にいることでストーカーも諦めるんじゃないかとか、いいようにばかり考えていた。


 とんだ間違いだ。

 先輩に対する犯人の恨みは、そんな生半可なものじゃないようだ。


「どうしよう、私……こわいよ……」

「大丈夫です先輩。落ち着いてください」

「……うん」


 それに、この人の性格や性分というものをもっと早く理解するべきだった。

 いや、知っていたのに都合のいいように解釈していたのは俺だ。


 臆病で強がりで真面目な彼女が、こんな嫌がらせにビビらないわけがない。

 ただ、俺はあの画鋲を無言で拾い上げる彼女のイメージを引きずっていた。


 彼女はまだ大丈夫だとでも? とんでもない、もうボロボロなんだ。

 それなのに、俺は……


「先輩、今日は帰りますか? 俺、送っていきますよ」

「……いい。それだと負けたみたいだから」

「勝ち負けじゃないですよ。俺が今日中に犯人をつるし上げてやりますから」

「な、なにか心当たりがあるの?」

「……ええ、まあ」


 これはまるっきり嘘だ。

 はっきり言って全校生徒数百人の中の誰なのか、さっぱりわかっていない。


 ただ、犯人の考えってものがなんとなくわかったような気がした。

 それだけを頼りに、俺は犯人を捜すつもりだ。


「俺に任せてください。助けてと言われたら最後まで仕事しますよ」

「……うん、頼りにしてる。でも、私も学校には残る」

「大丈夫ですか? 無理しなくても」

「いいの。それに……」

「それに?」


 まだ震えが残る彼女は、おぼつかない手つきでカバンをゴソゴソと。

 何かを取り出した。


「サンドイッチ、作ってきたの」

「先輩が?」

「うん。一緒にお昼食べようかなって。だから、帰らない」

「……じゃあ、楽しみにしてます、それ」

「あ、言っておくけど朝早く目が覚めたからちょっと気まぐれで作っただけだからね。その辺勘違いしないで……って笑うな」

「ぷっ……はいはい、わかりましたよ」


 全くだよこの人は。

 自分のことより昼飯のことを考えるなんて。


 それも、俺と一緒に食べたいとか言われたらさ、帰すわけにもいかないだろ。


 いや、帰したくない。

 帰してたまるかという話だ。


 

 

 

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