第11話

「はいできあがりー」


 ようやく昼飯が完成した。


 まあ、料理が得意だという先輩の話は全く嘘ではなさそうだ。

 最後にチキンライスをくるっと卵で包む手際は見事だった。


「あとは……ええと、先に向こうで待っててくれる?」

「運びますよ。ここまで手伝ったついでですし」

「いいから。待ってて」


 いつになくまじめにそう言われたから、俺は黙って部屋の方へ。


 最後くらい自分でやりたい、ということだろうか。


 テーブルの上を片付けていると、先輩が両手に皿を持ってやってくる。


「はい、お待たせ。私特製のオムライスよ」

「……これって」

「い、一応後輩のリクエストだから、特別よ特別! 変な意味はないからね」


 二つ並んだオムライスの、俺の前に出されたそれにはケチャップで歪なハートマークが。


 そしてその中に。


 ……


「なんて書いてるか読めないんですけど」

「え? あれ、なんで? めっちゃ垂れてるー」


 真っ赤に染められたオムライスは、全然うまそうじゃなかった。


 でも、一応ハートマークは希望に沿った形で書かれていたからもしかして。


「もしかして、好きです藍沢君とでも書いてました?」

「そ、そんなわけないでしょ! ありがとうって書いたつもりだったんだけど……って言わせないでよ!」

「ありがとう……」

「だ、だって一応色々してくれてるから日頃の感謝の気持ちくらいいいかなって……も、もちろんあんたがなんか書けっていったからそうしただけだけどね」

「ぷっ……」

「こら、笑うな!」


 何が日頃の感謝だ。

 それでさっき、フライパン買ってくれたんじゃなかったの?


「先輩。そんなに感謝されるほどのことは何もしてませんよ。それとも、先輩は一度受けた恩は一生かけて返してくれるタイプの人ですか?」

「い、一生!? そ、そんなタイプあるわけないでしょ。それより、味の感想を言いなさいよ」

「ですね。いただきます……ん、うまい」


 うまい。その一言だ。

 店の味、というよりは家庭の味といった素朴なものだけど、不思議と箸が進むうまさだ。


「美味しい? だったらよかった」

「ええ、とても。母の味、ですね」

「なんかそれ嬉しくない」

「でも、こんなにうまいんなら毎日でも食べれますよ。うん、ほんとうまい」


 お腹が空いていたというのもあるけど、先輩のオムライスは俺の胃袋をがっちり捕まえた。


 一人でガツガツと、あっという間に完食してからもう一度先輩の方を見ると、何故かスプーンをもった手を止めたまま、じっとこちらを上目遣いで見ている。


「た、食べないんですか?」

「……毎日、食べたい?」

「へ?」

「わ、私の料理、毎日食べたいって、それお世辞?」

「ふぇ?」


 え、どういう状況?

 よく見ると、いやよく見るまでもなく先輩の顔が大袈裟でもなんでもなく林檎みたいに真っ赤だ。


「どうなのよ」


 顔はそのまま、一転して低い声で不機嫌そうに聞いてくる。


 さて、どう答えるのが正解か。


「……食べたいって言ったら、毎日作ってくれるんですか?」


 質問に対して質問を返すのはあまり答えとしては好きではない。


 でも、素直に「毎日作ってください」なんて言えるような無邪気さを俺は持ち合わせていない。


 さて、先輩はどうでるか。

 まだ赤いままのその顔を覗き込むと、


「ど、どうしてもってお願いされたら……まあ、あんたは後輩だし先輩として仕方なく作ってあげなくもない、けど」


 ひどい答えだった。


「……ぶはっ」

「な、なんでそうなるのよ!」

「だ、だって……ぐっ、ぷぷっ」

「わ、笑うな! もう作ってやんないからね!」

「あはは、わかりましたわかりましたから、腹痛いって」

「もー!」


 どう答えるのが正解だったのかはわからないが、照れる彼女も怒る彼女も両方堪能できたのだから、俺の回答は間違ってはいなかったのだろう。


 笑うだけ笑って、しばらくしてから先輩を見ると、涙目で恨めしそうに俺を睨んでいた。


「意地悪……」

「すみませんでした。ちょっとあんまりにも面白かったもので」

「ふん。もう頼まれても作ってやんない」

「またお願いしますって。それに、今度は俺の方こそ先輩に礼をさせてください。今日はしてもらってばかりなんで」

「別に。したけりゃ勝手にすれば」


 と。さもご機嫌斜めな様子で答えるも、何をしてくれるのかなと期待するように俺をチラチラみる先輩に。


「じゃあ、今度ご馳走させてください」


 なんて言ってみた。


「ご馳走? そんな、別にお金ないんなら無理しなくたって」

「必要なことに使うお金くらいはありますよ。高価なものは無理ですけど、どうですか?」

「……じゃあ、奢られてあげる」


 毎日彼女が何か作ってくれるのも、そりゃあまあ嬉しいのだが。


 俺はお返しという隠れ蓑を使って。

 人生で初めて女性を食事に誘うことに成功した。


 とまあそんな具合で楽しいお昼のひと時が終わったところで、先輩は家に帰ると。


「送っていきますよ」

「もちろんでしょ。それに、明日のバイト前にはちゃんと迎えにきなさいよ」

「はいはい。とりあえずいきましょうか」


 家に帰るだけだというのにここまでするのは少々過保護な気もするが、俺の住んでるアパートの周りは人も少なく、昼間でも一人で歩くのはちょっと気味が悪いところなので先輩一人で歩かせるわけにもな、と。


 逆によくここまで一人できたもんだな。

 もしストーカーとやらが本当にいたら……ん?


「ねえねえ、明日はどこに」

「しっ。先輩、ちょっと歩くスピード、早めますよ」

「え、どうしたの?」

「いいから、ついてきてください」


 咄嗟のことだったので説明する暇はなかった。


 誰かにつけられている。


 確信があったわけではなかったが、違和感はあった。


 家を出たあたりから誰かの視線を感じたし、それがずっとついてくる気持ち悪さが消えない。


「え、なになに?」

「……いいから、行きますよ」

「あっ」


 先輩の手をとって、俺は少し走った。


 その手は小さく、とても柔らかい。

 ぎゅっと力を込めたら壊れてしまいそうに。


 もちろんそんなものを楽しむ余裕なんてなく、さりげなくも急ぐようにその場から先輩を連れ出した。

 

「はあ、はあ……もういいかな」

「はあ……な、なんなのよ一体」

「先輩、多分ストーカーされてました」

「え?」


 やっぱり気づいてなかったか。

 もちろん俺も見たわけではないけど。


「なんか視線と気配がしました。もしかしたら先輩に嫌がらせをしてるやつかもしれないですね」

「そんな。休みの日はなにもされたことなんて」

「エスカレートしてるのかもですね。さてと、もう大丈夫そうですし、さっさと帰りましょう」


 惜しい気もしたが、俺は握っていた先輩の手をさっさと離すことに。


 先輩も気が動転してか、照れるわけでも戸惑うわけでもない。

 それに、これ以上握っていたらこっちも冷静じゃなくなりそうだし。


 しかしその時、グッと俺の手は握られた。


「え?」

「……怖いから、握ってて」

「い、いいんですか?」

「と、特別だから。今回だけ、だからね」


 震えているのは怖さからなのか。

 それとも緊張からなのか。


 燃えるように顔を赤く染め上げる先輩を見ていると、それすらもわからなくなる。


 ただ、向こうから繋がれたんじゃあ離す理由もない。


 さっきよりほんの少しだけ力を込めて握り返し、俺は彼女を引っ張るようにして、また歩き始めた。

 

 

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