第9話

「そういえば薫って何が好きなの?」

「なんですかその質問は。先輩が好きだとでも言わせたいの?」

「た、食べ物の話よ! 流れでわかれバカ!」


 駅裏にある俺の住むアパートから徒歩十分ほど行ったところに、大きな複合施設がある。


 スーパーやゲーセン、洋服店やチェーンの飲食店までそろっているが、最近は一駅向こうに大型ショッピングモールができたため、昔ほどの賑わいはない。


 まあ、人が少ないくらいの方が入りやすくて俺はいつもここにきているのだが。


「全く。薫ってしっかりしてるようで生活とかは案外ずぼらなのね」

「何事にもやる気がないだけですよ。バイトだって、飯食わないと死ぬから働いてるだけですし」

「なんかつまんない人生ね。生きがいとか、それこそ趣味とかないの?」

「趣味、ねえ」


 いつか先輩に言った、「人助けが趣味」なんて言葉を思い出してしまった。

 あれは黒歴史だな。早く忘れたい。


「ないですよそんなの。日々平凡これ一番です」

「じゃあ……恋愛とかもしないの?」


 さっきは蔑むような目で、本当につまらないものを見るような目で俺を見下しながら質問してきたというのに。


 どうして恋愛というワードを出した途端、そんなに恥ずかしそうに顔を赤くする?

 照れるなら最初から言うなよ。


「恋愛ですか。しますよ、普通に」

「するの!?」

「びっくりしすぎでしょ。しますよそりゃ。人間なんだから」

「……そう」


 嘘じゃない。

 俺はいつだって誰かを好きになりたいとか、誰かに好かれたいとかそんな当たり前の感情を持っているとちゃんと自覚して生きてきたつもりだ。


 ただ、好きになるような人間も、好きになってほしいと願うような相手も、ついこの間までいなかっただけの話。


 今はそれが見つかった。というだけの話。


「じゃ、じゃあ彼女とかは? いたことあるの?」

「なんで今いないこと前提の質問なのかは置いといて、いません」

「ふ、ふーん。そうなんだ」

「俺が彼女いたら何か不都合でも?」

「な、なにもないわよ! ただ、先輩として後輩の恋愛事情をちょっと心配してあげてただけよ」


 と。明後日の方向を向きながら先輩が言ったところで俺も質問をする。


「先輩こそ、彼氏とかいないんですか?」


 聞きながら少し胸の奥がキュッとなったのは、きっとこの手の話に慣れていないからだろう。

 訊きたくないようで訊きたいようで。

 でもやっぱり訊きたくない。


 そんな質問をなんでするんだろうと、自らの浅はかさに悔いているところで先輩が言う。


「いない。いたことない」


 と。可愛げに。


「私、顔とか身長とか、それこそ勉強できるとか足速いとかそんな理由でみんなが好きだった子のことも、今まで一度も何とも思ったことないの。多分、そういうステータスで結婚した親が反面教師になってたんだと思うけど」


 訊いてもいないが先輩は話してくれた。

 彼女の両親は見合いだったと。


 両家ともそれなりの家柄で、金や地位にまず惹かれ、そして互いに幸運なことに美男美女ということもあり、この人と結婚すればきっと周りから羨まれるに違いないという理由で結婚を決めたそうだ。


 そんな話を両親それぞれから訊かされていたそうで、彼女はそんな大人にだけはなりたくないと、ずっとそう思って育ってきたとのことだった。


「でもね、結局人間なんて中身とか言われても目に見えないし。わかりやすくそういったところで好きになるのが本当は普通のことなんだろうなって、頭ではわかってる。でも、なんかダメなのよね」

「へー。俺は可愛い人がいたら素直に「あ、好きだな結婚したい」って思いますけど」

「なんか軽いわね。でも、それなら好きになった人くらいはいるの? 可愛い子と出会ったことくらいは、いくらあんたのつまんない人生でも一回くらいあるでしょ」


 なんともまあ自分のことが見えてない質問をする人だなと。


 ええ、ありますよ。一回というか一人だけ。

 最初は綺麗だなって。そして知るほど可愛くなって。そんな人を一人だけ。


「……もういいでしょ。それより着きますよそろそろ」

「あー、誤魔化した! ねえねえ、いるの?」

「そういう先輩は? 見た目や能力じゃなくて中身で、先輩がいいなと思った人間はいないんですか?」


 別にこの質問に大した意味はない。

 ただこの話題を終わらせるために訊いただけだ。


 それに、その相手がいると言われても困る。

 だって、それが俺である可能性なんて期待できないから。


 中身? そんなものがいいわけあるか。

 俺は張りぼてで中はスカスカだ。

 善人ぶってはいるけど、それだって本当に自己満足でやってるだけのことだし、とても人に尊敬されるような奴でもない。


 ただ。


「……秘密」


 なんでこの先輩はいちいち可愛いリアクションなんだよ。


「はあ?」

「秘密だもん! 絶対に言ってやんない!」


 と言って。また明後日の方向を向く。


 なんだこの人は。

 可愛すぎるだろ。


 それに、ツンデレと評してみたけどこの先輩、案外デレが多い気がする。

 

「それ、俺ってことでいいんですか?」

「な、なんでそうなるのよ!」

「だって。そうとしか聞こえないし」

「じゃあ耳がどうかしてんのよ!」

「そっか。俺じゃないんだ。まあいいです。ショックなんでスーパーでさっさと買い物済ませて料理して、終わったらさっさと解散しましょう」


 困らせるためにそんなことを言ったわけではない。

 違うと言われたら普通にショックなだけだ。


 でも、こういう時に決まってというか、思った通りのことを言ってくれる先輩が、俺はやっぱり……。


「別に、あんたじゃないとも言ってないけど……」


 その言葉にはもちろん返事をしない。

 聞こえなかったふりをして、さっさと先を急ぐと、先輩は慌ててついてきた。


 振り向くと涙目で、死ぬほど顔を真っ赤にしていたので「なんかゆでだこみたいになってますよ」と言ってあげた。


 もちろん怒られた。


 でも。


 そんなやりとりが死ぬほど楽しいのだから仕方がない。

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