第8話
先輩がエプロンをつけて仕事をする姿には個人的にグッと込み上げるものがあった。
いい。すごくいい。
嫁に来ないかと、歌い出したくなるほどにその立ち姿はかなり俺のタイプだった。
だからというわけではないが、今日の俺は動きが悪く、いいところを見せるどころか珍しく店長に「あんた熱でもあんの?」とドヤされたくらい。
怒られたことは素直に反省しかないが、先輩の前でカッコ悪いところを見せてしまったことについては結構辛かった。
空回り、というやつか。
「はーい、二人ともおつかれー。もうあがっていいわよー」
「店長さん、お疲れ様です。あの、私こんなのでよかったですか?」
「モチのロンでバッチグーよ!お客さんもみんな喜んでたわー。カオリンよかずっと戦力ねー」
などと俺を煽りながら、チラチラとこっちをみるオカマはニヤニヤしてる。
こいつ、いつかまじでぶっ飛ばしてやりたい。
「明日からもよろしくねミッキー。カオリン、ちゃんと送ってあげるのよー」
「もとよりそのつもりですよ。お疲れ様でした」
ちょっとイライラしながら、さっさと店を出ると後ろからついてきた先輩が、俺を追い抜いて覗き込んでくる。
「な、なんですか?」
「ふふっ。カオリンだって」
「揶揄わないでくださいよ、ネズミー」
「ミッキー! なによその間違い方!」
「ミッキーはいいんだ……」
最初はどうなるかと思ったが、思った以上に先輩が店に馴染むのは早かった。
店長にも気に入られたようだし、何より本人が楽しそうなのだからそれが一番ホッとするところ。
「いいお店ね。私、毎日仕事いくの楽しみかも」
「慣れたらこき使われますよ。それに、給料安いし」
「でも続けてるってことは、カオリンも気に入ってるってことよねー」
「カオリンはやめろ」
全く。余計なネタを提供してしまったものだ。
でもまあ。
先輩にそう呼ばれるのは。
悪くない。
◇
「じゃあ、ここで」
「うん、わざわざありがとね」
夜道を二人で歩きながら先輩の家に向かう間は、ずっとバイトの話ばかりだった。
それくらい彼女にとっては楽しくてインパクトのある一日だったのだろう。
そしてあっという間に家に着くと、彼女が家に入る前に俺に聞く。
「そういえば、薫の家ってこの辺なの?」
「まあ、近くといえば近くですが。両親と住んでた家は売り払われて、今はオンボロアパート暮らしですよ」
「それってもしかして駅裏のあの古いアパート?」
「ええ、そうですけど。それがなにか?」
「別になんでも、ないけど」
いかにも何かありますと言わんばかりに言葉を詰まらせながらそう話す先輩は、俺が深くツッコむ前に「じゃあ、また学校で」と言ってさっさと家の中に戻ってしまった。
全く慌ただしい人だ。
でも、また明日ここに迎えにきて先輩と学校に……
そんな事を思いながら家の近くにきて大事な事を思い出した。
明日は休みだ。
◇
というわけで休日の朝。
先輩と会えない一日の始まりにうんざりしながらも、いつもの習慣でばっちり目が覚めてしまう。
こんなことなら連絡先聞いておけばよかった。
そうすればせめて電話くらいできたし、そこから発展して遊びにいこうなんてことも……まあ、今となれば全てもしもの話だが。
はあ。っと大きくため息をついてから俺は建て付けの悪い窓をガラガラと開ける。
二階建て木造築四十年のオンボロアパート。
しかしワンルームで風呂トイレ付きで、家賃はなんと一万円という破格の値段。
天涯孤独になった俺にとっては奇跡とも言える住処だ。
そして窓を開けるとそこからは街の風景が……ってあれは?
アパートの下をうろうろしている人影に見覚えがあった。
うん、間違いなく水前寺先輩だ。
「なにやってるんですかー?」
「あ、薫? ぐ、偶然ね」
二階の窓から見下ろすように彼女に声をかけると、まるで偶然通りかかったかのような大根演技をかましてくる。
……乗っかってやるか。
「奇遇ですね。何してるんですか?」
「え、ええと……そ、そうね。散歩かな?」
「へー。じゃあ頑張ってください。失礼します」
そんな意地悪を言って窓を閉めると、外で先輩がギャーギャーと何か言っていた。
そしてすぐに階段を登る足跡が聞こえ、俺の部屋のドアをガンガンと、強めに叩く音が。
「はーい。あれ、先輩どうしたんですか?」
「せ、せっかく来たんだから家にくらいあげなさいよ!」
「え、散歩してたのでは?」
「意地悪……意地悪!」
カッカする先輩を揶揄うのはクセになるほど楽しくて仕方ない。
しかしいつまでも玄関先でこんなくだらないコントをしていても近所迷惑なので、さっさと部屋にあがってもらうことにした。
「へえ。案外広いのね。でも、なんもないわね」
「まったく。来るつもりなら昨日そう言ってくれればよかったのに。はいお茶」
「だ、だから今日は偶然」
「ではお散歩に勤しんでください。そこまでお見送りしますから」
「……もうっ!」
「冗談ですよ。でも、ほんとに何の用事?」
「別に。一人だったらご飯とかどうしてるのかなってちょっとだけ、ほーんのちょっとだけ気になっただけよ」
ちょっとだけという部分を強調するあたり、往生際の悪い人だなと呆れながらも一応俺のことを気にしてくれてたんだと知ると、さっきまでの憂鬱な気持ちはもうどこかに吹っ飛んでいた。
「たまには外食もしますけど、基本的にはカップ麺ですね。自炊よりこっちの方が安くて楽で」
「ダメよそんなの。不健康すぎるわ」
「それに料理も面倒だし、仕事で料理して家でも料理なんて嫌ですし。まあ、誰か作ってくれるような人でもいればいいんですけどねー」
わかりやすい振りだ。
こんな言い方しかできない俺も随分素直ではないと自覚はしているが、それでもこの状況でそういえば、俺が先輩に料理をしてほしいことくらいわかるだろう。
なんて思っていたが。
「なによ、料理してくれる彼女募集中ってわけ? ふーん、ふーん」
イマイチ伝わっていないようだ。
それどころか変な誤解をしている。
ふーんとか言ってるけど、なんかイライラしてる感じだし。
「わかりましたよ。先輩、俺のためにご飯作ってください」
「え、それってもしかして」
「もしかしませんただのお願いです。言葉通りの意味です」
「な、なんだびっくりさせないでよ。でも、まあそこまで言うなら仕方ないから作ってあげなくもないけど」
「あ、そこまで言われるなら結構です。お湯沸かします」
「もー! なんでそうなるのよ!」
「あはは。嘘ですよ、先輩の料理楽しみです」
「期待しないでね。別に普通だから」
ということで、今日は思いがけず先輩の手料理を味わえることに。
そっちに気が向いてしまって、自分の部屋で先輩と二人っきりだということはすっかり頭から飛んだまま、冷蔵庫を見てみると。
何もなかった。
「……チョコしかないです」
「はあー? 野菜とか、お肉とかないの?」
「それどころか調味料すらありませんね。確かに料理なんて……いや、ここでそんなものしたことないです」
よく考えたら冷蔵庫の他にキッチンにあるのはヤカンくらいのもの。
元々荷物が多いことを嫌う性格だから布団とテレビ以外何もないような殺風景な部屋なのだけど、キッチンには普通あるべきであろう調理器具なんかが一切ない。
よく生きてたなこれで。
「フライパンも包丁もなんもないじゃん! こ、こんなんじゃ無理よ」
「ですね。じゃあまた今度でいいですよ」
今度でいい。また次回で。都合のいい時に。
本当は今すぐそうしてほしい時、俺は決まってそう言葉にする。
要するに、あまのじゃくなのだ。
しかし。
「ダメ。せっかくなんだから行くわよ」
「どこに?」
「買い物よ。調理器具と食材、買わないと」
「別に無理しなくても今日くらい」
「だーめ。私、やらないといけないことを先延ばしにするの嫌いなの」
俺に料理を振る舞うことが彼女の人生においてやらなければならないことなのかという疑問はあるけど、まあせっかくの好意には甘えさせてもらう。
ここから否定する方がカロリー使うし……
いや、このまま断ったら後悔で死にそうだ。
「じゃあ、お願いします」
退屈な休日になるはずたったのだが、一転して俺は先輩と買い物に出かけることに。
人助けをした恩恵を授かった、くらいにでも思っておこう。
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