第5話
藍沢薫という人間の嫌な部分の一つ。
嬉しいくせにそれを見せないところ。
「で、話ってなんですか?」
本当は話の内容なんてどうでもよく、もうしばらく先輩と一緒にいられることが嬉しいくせに、そんなことを真顔で実につまらなさそうに言うのだから本当につまらない人間だと、我ながらそう思う。
「なによ、私と話すのがそんなに嫌なの?」
「いえ、別に。でも、学校の中で俺と一緒にいるのは極力避けた方がいいんじゃないかなって」
「なんで?」
「ほら、俺って嫌われ者だしある意味有名人ですし。それに、先輩って人気あるんだから、男といるところを見られて……って何笑ってるんですか」
「だ、だって……ぷぷっ、あんたって、結構自意識過剰よね」
「正当な自己評価ですよ」
「だってだって、自分で自分を有名人って……ぷー」
「……ちっ」
散々人を笑っておいて怒る資格なんてないのかもしれないが、狙ってもないことで笑われるのはまあまあ屈辱的だな。
今度から先輩のツンデレが発動しても、ちょっとは我慢しよう。
「あーおかしい。あのさ、そんなに誰も彼もがあんたのこと考えてるわけないじゃん。あんな話を大真面目に議論してるのなんて一部の暇人よ。私みたいに何も気にしてない人だってきっといるわよ」
目に溜まった涙を拭きながら語る彼女の言葉は、もちろんその通りだと思う。
ただ、一方で人というのは自分の意思とは関係なく長いものに巻かれる性質を持っている。
俺のことを犯人扱いしたい奴が学校で影響力のある連中だったら、きっとそんな話に興味のない連中も、揃って「あいつが犯人だ」と騒ぎ立てる。
そうすることで発信者のご機嫌取りにもなるし、自分が的にされるのを避けることもできるから一石二鳥というわけだ。
「つまり俺はこの学校の上位カースト連中に嵌められたってことですよ」
「なにそれ。そこまでわかってるんなら言い出しっぺを見つけたらいいじゃない」
「それこそ先輩と同じです。やり返したって結局」
結局何も生まれない。
だから何もしない。
自分がじっと耐えて不幸を背負い込めばいい。
そう言おうとした時だった。
「それって、何の解決にもなってないじゃん」
昨日俺が、彼女に言ったことがそのまま。
ブーメランのように俺に突き刺さった。
「……自分のこと、棚にあげてよく言いますよ」
「そのセリフ、そっくりそのまま返すわよ。薫が言ってくれたじゃない。逃げちゃだめだって」
「そんな某ロボットアニメの弱気な主人公みたいな呟きはした覚えがありませんが」
「に、似たようなこと言ったでしょ?」
「さあ。でも、まあ確かにその通りですよね。先輩のいじめも俺の冤罪も、放置すればするだけひどくなるみたいだし」
それに、今年もあと数カ月でまた先輩の誕生日がやってくる。
その時にはきっと、去年の話が再燃して俺のことを忘れてた連中さえもそのことを思いだすに違いない。
もっと言えば、去年味を占めた真犯人が、どうせ俺の犯行になるだろうと思って、また同じ犯行を繰り返す可能性もあるわけだし。
「はあ。とにかく解決しないといけないことがお互い山積みですね」
「そうね。案外私達って似たもの同士、かも?」
「似てませんよ。俺は先輩みたいにわかりやすい性格してませんし」
「あー、またそうやってバカにする!一応先輩なんですけど」
「一応、知ってます」
これまでずっと、俺は自分の問題を解決しようなんて気にはならなかった。
いつかこの学校も卒業し、高校時代に受けた被害やいじめなんてものは過去の話になると。
それに学歴にはこの学校を卒業したという事実しか記載されない。
そこで何があって、何を学んで誰と過ごしてどういった成長を遂げたかなど、経歴のどこにも書く必要はなく、ただただ学校の名前だけを大きく記載して、そこに書かれた学校名でその人の価値が決められるだけ。
だから高校時代の思い出とか、それこそ青春なんてものは必要ないと、そう思ってたんだけど。
「薫も、自分のことはどうでもいいとか言わないことね。そんなこと言ってる人に『逃げるな』って言われても説得力ないから」
「間違いないですね。以後気をつけます」
「素直でよろしい。じゃあ、そろそろ教室戻るからまた昼休みにここで」
先に校舎の中に戻っていく先輩の姿を見ながら俺は、昼休みが待ち遠しくなった。
退屈で、ただ昼飯を食べて眠るだけの無駄な時間を今から心待ちにしてるなんて、ほんと俺も単純なものだ。
まあ、男なんてそんなものだろう。
◇
「遅い」
これはデジャブだろうか。
校舎裏の階段で仁王立ちする彼女の姿は、確かに朝も見たような気がする。
「どんだけ早いんですか。教室からダッシュしたでしょ」
「た、たまたま授業が早く終わったから出てきたのよ。それに、ここに来てることを他の人に見られたらまずいんでしょ?」
「まあそれは。で、昼飯は?」
「あっ……」
何をそんなに慌てていたのか。
全くの手ぶらでそこに立つ彼女の姿はやはり滑稽だ。
「全く。そんなことだろうと思ってパンを買ってきてますから。どうぞ」
「くれるの?」
「あとで代金は請求します。うちも苦しいんで」
「ケチ」
と言いながらも、彼女は差し出したあんぱんをさっと手に取り躊躇なくガブリ。
「うん、美味しい」
口にあんこをつけたマヌケ面の美人が、にっこりと。
その姿は、やっぱり滑稽で仕方なかったのだけど、でも笑ったりはしなかった。
見蕩れてしまった。
「……」
「何よ、私甘いもの好きなの」
「あ、いえ。そうですか。今後の参考にします」
「言い方がいちいち冷たいわね。今度はパンがなければお菓子でも献上しますっていえばいいのに」
「あんたはどこの女王様ですか」
なんちゅう圧政だよそれ。
「それより本題を。朝から変わったことはないですか?」
「そうね。特にはないけど」
「そうですか。なら平和ですね。世間話でもしましょう」
ついこの間まで、遠くから眺めるしかなかった先輩が、今は俺の隣であんぱんを頬張っている。
それが当たり前かのように俺は澄ましているが、内心は気が気じゃないってもんだ。
心臓は高鳴るし、目線は自然と彼女の方に引っ張られるし、微妙に空いた二人の隙間だってどうやったら埋まるのかと、ケツをじりじりと、悟られない程度に彼女の方に寄せているし。
そんな幸せで不思議な時間はあっという間に過ぎていく。
これが青春というやつか。
なら、青春ってやつも悪くないな。
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