第3話

「もうすぐ家につくわ」


 不意にそう言った先輩の顔は、何故か少しだけ憂鬱そうだった。


「家に帰りたくないんですか?」

「別に。でも、嫌なこととか思い出すから好きじゃないだけ」

「じゃあやっぱり俺のところに」

「その話はもう終わったでしょ。それに、誰かに養ってもらうとか甘い考えは持ってないの。女だからって仕事につかないとか家庭に入るとか、そんな古い考えは嫌いだし」

「なーんだ、先輩に養ってもらおうと思ってたのに」

「な、なによ男なら働きなさいよ!」

「それも古い考えだと思うけど」


 まあ、もちろん本気ではなく。

 それに本当に彼女がうちに来たとして、高校生のアルバイトくらいで誰かを養えるなんて到底思っちゃいない。


 だからちゃんと本題を。


「先輩、俺の働いてるとこでバイトしません?今日もこの後仕事だから、聞いてみますよ」

「それであんたが辞めて寄生虫になるとか言わないでしょうね」

「まさか。先輩と一緒に働けるのなら今より退屈しなさそうですし」

「どういう意味よ」

「別に」


 しかしまあ思った通りの、いや思った以上の反応をしてくれる人だ。

 でも、どうしてこんなにわかりやすい反応ばかりしてくれる先輩に、友達がいないのだろう。


「先輩、もしかして性格悪い?」

「は、はあ? 急になによ失礼ね」

「いやだって、友達いないって言ってたから」

「そ、それは……別に仲良くなりたいような人が学校にいなかっただけよ」

「ほー、それなら俺とは仲良くなりたかったんだ」

「ち、違うわよ!たまたま……そう、たまたま便利そうな後輩がいたから利用しようってだけ、それだけよ」


 と、赤面しながら。

 利用しようとしてる当人にそれ言うかね。


「まあなんでもいいです。先輩と話してると楽しいし」

「そ、そう?私って結構話とか面白い?」

「全然。わかりやすいだけで」

「ムカつく!」


 そういう反応が楽しいんですよ、とまでいうと怒らせてしまいそうだったので、そのあとは適当に笑って誤魔化した。

 

 そして水前寺と表札のかかった一軒家の前で彼女の足が止まる。


「着いたわ。じゃあまた明日、七時に迎えにきてくれるかしら」

「一人で大丈夫ですか?なんなら添い寝でも」

「怒るわよ?」

「はい、すみません……」


 ここまで軽口が飛び出すのも自分でいうのもなんだけど珍しい。

 彼女には、つい調子に乗ってからかってしまう。


 ただ、何事もほどほどが一番。

 やりすぎるとろくなことがない。


「ではまた明日。バイト行ってきます」

「……あがってけばいいのに」

「何かいいました?」

「な、なんでもないわよ!さっさと帰れ」


 何をあたふたしてるんだと、首を捻りながら言われた通り帰ろうとすると、彼女が一言「今日はありがとう」とだけ。


 それに対して振り向きもせずに手を上げて応える俺は相当キモいやつだったと思う。


 でも、これ以上先輩を見ていると本当に離れるのが名残惜しくなりそうだったので見れなかっただけだというのはここだけの話にしておこう。



「というわけなので明日、バイト希望の人を連れてきていいですか?」


 俺のバイト先は近所のカフェ。

 高校生のバイトなんてコンビニか飲食店くらいに限られるし、遅い時間まで働こうと思ったら、融通のきく個人経営の店を選ぶしかなかったからとか、そんな程度の理由。


 そもそもアルバイト先を選ぶことにそう大層な理由はない。

 志もありはしない。


 でも、縁はあるものだ。


 店長を除くスタッフは俺一人。

 忙しい割に時給が安いのであまりバイトが長続きしないのだが、俺はその縁とやらに縛られて律儀にここでこき使われているというわけ。


「ほんと?うん、大歓迎よ!で、カッコいい男の子? それとも可愛い男の子?」

「女の子ですよ。残念ながら」


 タジマカフェと毛筆で書かれた和服な看板が目印のこの店の店長である田島さんは、こんな言葉遣いではあるがれっきとした男だ。


 見た目はちょび髭のダンディな感じ。

 ただ、中身は女子。


「なーにそれー、つまんなーい。もしかして、彼女?」

「違いますよ、学校の先輩です」

「なーんだー、てっきりカオリンが抜けがけしたのかと思ったー」

「カオリンはやめてください」


 こんな店長だが、オカマだと言うと決まって「違うわ、オネエよ!」と大声で否定する。


 その違いを誰か教えてくれと言いたい。


「とにかく、明日連れてきますから」

「アイアイサー。ふふっ、でもカオリンがお友達を連れてくるなんて、どんな風の吹き回しかしらね」

「ただの人助けですよ」


 実は店長のことはここで働く以前から知っている。

 両親の仲人をつとめたのが彼ということで、時々うちに遊びに来ていたのだけど年々中身が女性に、見た目がおっさんになっている気がする。


 まあ、歳だな。


「じゃあ洗い物と明日の仕込みお願いね」

「はーい」


 カウンター数席と小さな丸テーブルが二つだけの狭い店だが、夜には多くの客が店の扉をたたく。


 店長の作る料理がうまい、というのもあるけどそのほとんどは彼と話すことが目的。


 だいたいが恋愛や仕事の悩みで、それに対して店長はいつも親身にこたえている。


 そして今日も。


「でさータジー、三回もデート行ってんのにフラれるとかあり得なくない?もー、女ってわかんねーよー」

「バカねー、あんたが必死だから誘いに乗ってくれてただけでしょ。まさか好きな相手としか遊ばないとでも?」

「わかってるけどさ……でも、嫌なら嫌って言えばいいじゃんかよ」

「嫌じゃないのよ。ラブじゃないだけ。これ結構大事よ、わかる?」


 こんな感じでクダを巻く常連の話にいつもアドバイスしたり時には説教したりと。


 しかしまあ。わかるようでわかんねえ。

 嫌じゃないけどラブじゃない、か。


「カオリン、ビール二本持ってきて」

「はーいただいまー」


 夜のこの店はもはやカフェというよりBAR。

 うんにゃ、それよりは居酒屋みたいな感じだな。


 いつもの顔ぶれといった感じに見慣れた客でカウンターが埋まり、慌ただしい時間帯になると俺も店長も話どころではなくなる。


 ガヤガヤと、モダンな内観とはかけ離れた親父達の下品な笑いが飛び交う店。


 それが俺のアルバイト先であり、明日、先輩に紹介する予定の店というわけだ。


「そろそろ時間ね。カオリン、あがっていいわよ」

「ではお先に。明日はよろしくお願いします」

「おけおけー。なんなら明日から働いてもらってもいいわよん」

「え、でもまだ面接も」

「カオリンの紹介ならいい子に違いないもの。私、人を見る目はあるんだから」

「……ありがとうございます」


 オネエだし、下品だし、酒臭いし顔も怖い。

 それに店の時給は安いしその割にハードだし、正直言っていいバイトとは程遠い。


 でも、店長のこういうところがあるから俺は未だにここにいる。

 いや、いさせてもらってる。


 結局こういう人の元で学ぶことの方が、学校や塾で形骸化した知識を溜め込むよりよほど為になる。


 それに。


 友達がいないという寂しい先輩には、ここくらいパンチの効いた厚かましい店の方がいいんじゃないか。


 店を出たところでそんな事を考えている自分にふと気づいて、少しため息をつく。


 ……また、先輩のこと考えてたな。

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