第279話『想望』

 



「――代償ってどういうことだ? 人間でなくなる? セイラの姿を見る限り彼女はもう人間じゃないだろう」


 それからのゼントの態度は酷く冷たいものに変わっていった。話を聞く限りセイラが一方的に利用されているように思えたから。

 彼のその様子を向こうもどことなく感じ取ったらしい。やや焦った様子で、表情は笑顔が引きつり、加えて説明も若干たどたどしかった。



「一先ず聞いて。力を得た代償として、彼女は内外ともに人間の形を保つため、他の人間を取り込まなくてはならなくなった。つまり食人が必要になったということ」


「はっ……? ちょっと待ってくれ……食人ってなんだよそれ…………なんでそんなことに」


 もうずっと衝撃的な情報が続いて発覚していき、思考の処理が追い付いていない。

 辛うじて重要な箇所を抜粋して聞き入れられてはいるが、先ほどから頭痛が止まらない。

 大事なことなのに気力が削がれて怒りが湧き出ない。逆に自分はこの世で最も不幸なのではと暗い感情が出てくる。


 しかし食人――その言葉が脳の中から離れない。言葉だけでも気持ちが悪いのに、それ以上に考えが纏まらず頭を抱えるしかない。

 白いライラはゼントの発した疑問の声に答えるように説明を加えた。



「彼女に植え付けた力は人間には制御できなかった。絶えず強くなろうとして本人の意思とは無関係に肉体を変化させ続ける。それを抑えるために人間を形作っていた設計図、つまり遺伝子を新たに取り込む必要があるの」


「遺伝子? 」


 ただでさえ大雑把にしか把握できないのに、これ以上分からない単語を出さないでくれとゼントは願う。

 彼の視線はもう地面に伏して、いや、もう目は開いてすらいない。集中するために不要な外界の情報を遮断するためだ。



「あくまで私が考察した仮説だから細かいところまで理解する必要はない。数日間観察していたけど完全に以前のセイラと変わりない暮らしを送りたいなら、平らげるのは五日に一人くらい…? で済むはず。でもそれ以上食べないでいると多分人格も外見も今みたいにおかしくなってくるみたい」


 延々頭を押さえているゼントに気を使ってか、慌てて事態の悪さを紛らわしてくれる。

 しかしその内容は決して和むようなものではなかった。仮説とはいうが元の彼女の性格的に適当なことを言うとも思えない。

 つまり、ここ最近のセイラの様子がおかしかったのはこのためか。物事の辻褄が奇麗に合わさっていく。



「つまり、殺人はセイラが自ら……いや、でも体質のせいで仕方なくだよな……?」


「……ゼントの好きなように解釈したらいい」


 まるで他人ごとのように、いや実際他人事なのだろう。あたかも目の前の男にだけ気に掛けているように振る舞う。

 加えてライラは随分と身勝手で利己的な性格のように見えた。仮に彼女が自己紹介通り、理性を司る者なのだとしても思考が理性的とは限らないものなのか。



「じゃあライラの目的が済んだら、セイラを元に戻すんだよな?」


「それは契約上できない。どんな形であれ力を得ることは彼女が望んだこと。事前に何が起こるか分からないと伝えたし、危険も承知の上だと言ってくれた」


 絶望的な状況の中で微かな希望を見出そうとして口を開くが、それもあっけなく打ち砕かれる。

 終いに何とか捻り出したのは疑問という一筋の声のみ。



「そこまで危険を冒してまで、セイラはなんで……?」


「彼女は力が欲しいと私に言ってきた。彼女にとってはそれだけで危険を冒すには十分だったんじゃない? 詳しくは本人に聞いて、今は寝ているみたいだけど」


 ゼントの質問にはあまり興味が無いみたいだった。そして彼女は無関心な表情で後ろに視線を動かす。

 そこには先程からずっと佇んでいたセイラの姿が。ずっと動かないと心配していたのだが、ライラの話を信じるなら今は意識がないのだろう。




「一つ聞きたい。セイラをおかしくさせたのはおま……ライラの考え、つまりえっと……本体の意思とは無関係なんだよな」


「そう。」


 ゼントはこめかみを頻りに指で叩いている。精神的疲労がいよいよ限界に近づいている証拠だ。


 最初の事件が起こった時期を考えれば彼女が犯人のはずがないのだが、それが知れたところで誰が真相に辿り着けるのだろうか。

 結論としては、ライラは人を殺してなどいなかった。もしかしたらずっと彼女は彼女のままなのかもしれない。その事実と希望的観測でどういうわけかゼントは安心できる。



「……で? さっき聞いた協力してほしいというのは何だ。俺も化け物になってあいつと戦えって?」


「違う」



「じゃあなんなんだ」


「この女と私の本体をぶつけたい。そのためにゼントには本体を誘き寄せる餌になって貰いたい。大丈夫、奴には指一本触れさせないから」


 大した自信だ。凄まじく心の底から感心できてしまうほどに。

 初めて会った時から彼女は自信家ではあったが、それは傲慢というより、実際、世界の全ては取るに足らないものなのだろう。


 何はともあれ、事態の概要はだんだんと見えてくる。しかし今の喫緊の問題はその方法へと変わった。


 もう後戻りができないところまで来ていることはゼントも薄々分かっている。しかしまだ平穏な日常を取り戻せることを期待していた。

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