第278話『枯淡』

 



「――私は……そう、言うなれば彼女の理性を司る存在。本体の人格を構成する理性そのものとも言える。私たちは元々一つだったけど本体から強制的に捨てられた」


 白いライラは引き続き今置かれている状況についての説明をしてくれた。

 しかし突然の荒唐無稽な一幕かと思えば、一番に吐いて出た台詞も一見理解できない。

 形而上学の話でもしているのか。疑問は山ほど浮かべられるが一先ず無視だ。

 ゼントの頭の理解が進まないまま白い彼女は続けた。



「今の本体、つまりゼントが知っているライラは私の逆、感情だけの存在になった。感情だけになった存在はどうなると思う?」


「??」


 今まで朧気ながらも何とか理解しようと努力してついてきた彼だったが、いよいよ質問をされて頭のはてなが極まる。

 苦々しい顔をしながら沈黙を保っていると、白いライラが呆れたように言ってきた。



「じゃあ聞き方を変えようか。理性を失った者が辿る結末はどうなると思う?」


 言い換えられた言葉を聞いてゼントはようやく息を吞む。そこまで言われて分からないはずはないから。

 つまり彼女は暴走して、会話も交わせないような狂人になってしまったというのか。



「私は本体を正しい方向へ導く義務がある。だから踏み外した道を正すために私は本体に還りたい。そのため、一時的に奴を無力化する必要があるの」


 ……ゼントは体を拘束されながら、説明をよく吟味しながら静かに聞いていた。

 隅から隅まで理解できていたわけではない。しかし今の状況、そして何をどうするべきなのかだけは頭の中の雲が少しずつ晴れてきている。

 そして白いライラからの説明はついに核心に迫ろうとしていた。


「だけど、本体から捨てられたときに自分自身で戦う力も一方的に取られてしまった。私一人ではどうすることもできない。だからこの元人間に協力してもらっているというわけ」


 そう言うと白いライラは一瞬視線を後ろに遣る。追うとそこには想像通り、背を向けたまま棒立ちになっているセイラが居る。

 どういうわけか顔を見せないまま、ぴくりとも動いていないのが気にはなる。それに協力してもらっているとはどういう……?



「この人間には力を与えた、能力は本体とほぼ同格と言える程にね。もう自身の戦う力が皆無な以上、私にはこうするしか方法が残されてなかった」


 不思議に思っても、思わなくても、現実は変わらない。ただ彼女の言葉が真実として受容されるだけ。

 ゼントはその内容に至極驚いた。今彼女は力を与えたと言ったが、その結果がセイラの今の姿なのだろうか。

 四肢も胴体ももう人間の形を離れ異形と化している。セイラの面影はもはや頭部だけと言っていい。果たしてセイラに見返りは十分にあるのだろうか。


 しかし同時に、少しだけ安心を抱いていた部分もある。

 セイラが元から化け物で人間の暮らしに溶け込んでいた訳ではないと分かったからだ。



「そうか……じゃあセイラが何人も人を殺したのはお前が指示したんだな?」


 確信があったわけではないが、それ以外考えられなかった。でもなければセイラが無意味な殺生をするはずがないと。

 聞こえてくるであろう答えはほとんど決まっている。望んだ答え以外を彼は信じたくはない。

 だがその予想とも違う反応が白いライラからは返ってきた。



「……お前じゃない」


「えっ?」



「私にはライラという名前がある。お前じゃないから」


「そうか、でもだな、せめて俺の知っているあいつと区別しやすいように――」



「関係無い。私の事は絶対にライラって呼んで」


「ああそうか、わかったよ。ライラ、それで……」


 呼び方なんてどうでもいいじゃないか。本体と区別されるのが余程気に障ったのか。

 話し方が少しだけ元のライラと似ている。やはり目の前のライラも彼女の一部ということなのだろう。

 強情に名前を呼ばないという選択肢もあったが、彼女の性格を思えば面倒くさくなることが容易に想像できた。


 それに何よりこちらは体を拘束されていて、場の権利を握るのは向こう側だ。下手に刺激をしない方がいいのは理解している。

 今の流れは何だったのだとは思いつつ。しかし逸れた話を早く元に戻すべく、思考の隅へ押し込める。




「ああ、殺人を私が指示したかどうかって質問だっけ? 回答しておくと私が人を殺せと命令したわけじゃない、でも殺人が必要だったのは確か。でないと彼女は人間でなくなるから」


「人間でなくなる? どういうことだ?」


 話が一度こんがらがったこともあって余計に内容を分かりにくくしている。

 思考が鈍っていて何度頭の中で反芻しても理解できない。だから思わず聞き返してしまう。



「弱い人間が身の丈に合わない力を、何の代償も払わずに得られると思う?」


 ライラは口元に小さな、しかし確実な笑みを残して言う。

 代償というのがいいものではないことくらい容易に想像がつく。そしてその内容も……

 ゼントは生まれて初めて殺意というものが湧きそうになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る