第264話『波瀾』

 



「――これ以上はここに居ても無駄か……」


 相変わらず重い空気の地下牢の中でゼントはため息交じりに呟く。目の前には地面で無防備に寝転がるセイラが。

 はしたないと言えばそれまでだが疲れているのだろう。何とか寝床まで移動させたいがどちらにせよ手が出せない。

 仕方なく鉄格子の前から立ち上がると迷いなく体の向きを変えた。これならまだ家でユーラの相手をしていた方が建設的だ。




「――ああ、ゼントぉ。明日も会いに来てくれる?」


「…………」


 数歩動き始めた時、後ろからセイラの声が掛かった。眠っていたはずなのに気配だけで気づいたのだろうか。

 立ち去ることを咎めるわけでなく、口から願ったのは単なる再会だった。だがゼントは初め、煩わしそうに冷めた目で振り返る。



「久しぶりに会えて良かった。あなたがいなかった一週間、すごく寂しくて時間も遠かったし、寝て過ごそうにも必ずといっていいほど悪夢を見るし……」


 地面に横たわりながら、純粋な光と見紛うセイラの瞳は涙に塗れて輝いていた。手足はあらぬ方向へ投げ出され、体は子どものように震えていて。

 その少しだけ儚げに思える姿を目に入れてしまったら、放っておくのでは心に棘が残る気がした。

 ゼントが暫く無言でいると彼女は更に瞳を潤ませて、心配そうな声で語り掛けてくる。



「ゼント、来てくれるでしょっ? ……まさか来てくれないの……?」


「分かった、分かったから、でも今日のところは帰らせてくれ」


 あざとく弱々しく自らの無防備を晒す。だがゼントは耐えきれず二つ返事を返した。

 やはりこれが彼の性分らしい。口でそう言ってしまうあたり良心は残っている。



 しかし今日はもうここに居る精神的余裕はなく、足を止められる理由にはならなかった。

 傍に居てやれなくて申し訳ないという気持ちと、面倒事から早く離れたいという自己中心的な欲求で複雑になっている。

 薄ら眼で見送るセイラを尻目に、ゼントは駆け足で階段を走り上がった。


 通りまで飛び出すと新鮮な空気に安堵を覚えて呼吸を整える。通りの人は多いがこちらの方がよっぽどましだ。

 彼女の元に居た方が良かったのだろうか、今日もセイラは牢の中で孤独な夜を過ごす。

 いや、少なくとも今日は……もう限界だ。付き合う心構えをして出直せばまだ……



 一先ず家に戻って、午後は割とのんびり過ごす。しかし頭の大部分をセイラに支配されながら。

 そして壁に寄りかかっているとユーラが全身で覆いかぶさってくる。でも嫌ではないし、まだここに居る方が安穏だろう。


 一応、町からいつでも脱出できるように用意はしておいてくれ、と呼び掛けた。

 でもジュリとユーラはもうこなれたように軽い返事で流し聞くだけ。もっと厳戒な反応を期待していただけあってゼントは本当に分かっているのか訝しがる。

 しかし彼女らも幾度となく方針転換を喰らって飽き飽きしていたのだ。だからさっさと心が決まらない優柔不断なゼントが悪い。



 そのままいつも通りに三人で夕食を摂って、いつも通りにユーラに抱き着かれた状態で寝て。

 疲れはすれども凪の日常がどれほどありがたいことか。セイラの件が無ければそれも容易に実現できたのだが。


 そして、また翌朝になってしまった。誰も頼んでないのに。



 ゼントは朝餉を口に頬張ると朝早くから例の場所へ向かう。どうせ昨日と同じことになるなら午後はゆっくり過ごしたい。

 むろん、気持ちは進まないがある意味責任感のような強迫観念に襲われて、足は自然と動いていた。



「あっ、ゼントっ、来てくれたのねっ」


「ああ……」


 来てしまったの間違いかもしれない。足を運ぶとセイラは妙に色めいた声ですぐさま話しかけてくる。よほど会いたかったのだろうか。

 昨夜はそのまま地面で寝たのか、床の中央から低めの挨拶だった。寝そべった状態で手をひらひらと振っている。

 ゼントが昨日と同じく鉄格子の前で座り込むと彼女は這って同じく近くにやってきた。


 でも考えてみればセイラと時間を掛けて話をする機会は今までにない。ちょうどいいと気持ちを前向きに修正しつつ。

 しかし世間話も程々に、さりげなさを装って虎視眈々かつ積極的に情報を聞き出そうとしていた。



「そういえばセイラ。事件現場に居た時、ライラに会わなかったか?」


「ああ? あの白と黒の娘? 」



「白黒じゃない、あいつはいつも黒だっただろ」


「あれ、そうだっけー? なんか記憶が……」


 首を傾げつつ頭を押さえるセイラ。ようやく自分自身の体の異常に気付いたのだろうか、にしても遅い。

 呆れかけるゼントの思考も傍らに。セイラは記憶を精一杯辿りながら説明を続ける。



「でも事件現場では会ってないわねー。まさか、もしかしてあの子が犯人だと思ってるの?」


 彼女は歯を見せきしきしとした笑いを浮かべる。にんまりとした笑顔はこの状況では不気味に、でも気さくに映る。

 同時に、図星を突かれたゼントはつい動揺を隠そうとして、いつもより無気力に返す。



「いや、別に……」


「言っとくけど彼女は違うわよー。今回の事件には一切関わってない」


 隠したつもりの心を見透かされるように。だが彼女はライラの正体を知らないからそんなことを言えるのだ。

 迷いなく言い切れる辺り僅かに違和感を覚えるが、自身の状況も理解していない者の言など意味を成さない。

 そう考えゼントは諦め、細かい部分まで気を配れなかった。

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