第263話『加限』

 



 ――場所はまた息苦しい地下牢獄の中、


 鉄格子のすぐ外で地面に胡坐をかいて座り込むゼントの姿があった。どうやら初日から長期戦を決め込む算段らしい。

 セイラも以前仰向けの姿勢のまま。違いがあったとすれば足を牢の奥へ向けて、ゼントとは顔が逆さまになるように見つめている事。

 終いにはその状態で彼の顔へ手を伸ばし、愛おしそうに表面をべたべたと触れている。


 ゼントは特に嫌がったり抵抗したりしない。しても意味が無いし、むしろ折角の慕う心が離れていってしまうかもしれない。

 何より彼自身の体が疲れ切っていて逐一伸びてくる手を振り払うのに倦怠を感じていた。

 しかし本来の目的もできる限り全うせねばなるまい。適当に会話も織り交ぜつつ隙を伺う。



「ねえゼント? 聞くけどさー、襲撃の法則なんて知ってどうするのぉ? 私を助けてくれることとは関係あるように見えないけど?」


「現状それしか方法が思いつかないからだ。セイラが早く協力してくれれば情報が無いとしても。それが分かって他に人手が割けるんだが」



「じゃあ余計に話したくなくなっちゃうなー。だって教えたら私は用済みなんでしょー?」


「…………」


 だめだ、苛立って下手に話しても目的からますます遠ざかるだけ。艶やかに笑うセイラを前にゼントは口ごもる。

 しかし彼女はそれ以上に、途轍もなく重要な情報をまだ喋っていない気がする。この不可解な事件、その違和感を根底からひっくり返してくれる絶大な何かを。


 何故こんなことを思うのかと言われれば、当然セイラの様子がおかしいからだ。まるで真犯人に塩を送るような。

 こちらとしては分かりやすく単純だが非常に強力な妨害をしてくる。全てを見越した策があるというならまだしも。



「セイラはどうやってその法則を見つけんたんだ?ずっと考えてみたんだが検討も付かないんだ」


「うふふ、生きてこの町から出られたら全て教えてあげる。ゼントにとってもこの町から早く立ち去りたいんでしょ? なら早く決めちゃいなよ」



「……なんでその法則を教えてくれないんだよ」


「前にも言ったでしょ、あなたが知ったところで意味なんてないのっ。私は意味が無いことをする体力なんて残ってないからね。それよりもう少しこっちに顔を近づけてくれない? 手を伸ばすのは疲れちゃったっ」


 セイラを助けたいという気持ちの一切を無視するかのように、彼女は質問の返事を曖昧にしては、ゼントの頭や頬を撫で続ける。

 二人は一見、砂糖を生み出し続けるかのような甘い関係に思えた。その通りであればまだ良かったが、しかし現状は深刻そのもの。


 死はもうすぐそこまで迫っている。いい加減にしてほしいとゼントの顔は明らかに嫌悪感を示した。

 体も自然に牢の前から遠ざかろうとしている。だがすかさずセイラは持ち前の理知で牽制を入れた。



「あー、そうやって私のことを嫌うなら、本当に何も教えてあげないよー」


「どっちにしろ教えてくれないだろ……? セイラは早く死にたいんだな」


 猫のように気まぐれで、いやそれ以上にたちが悪い。何をやっても、例え危機的状況にその身が置かれていたとしても、向こうからすり寄ってくることは決してないのだから。

 これでは濡れ衣を着せられたとて殺人の片棒を担いでいるようなもの。犯人を捕まえたいという思いは無いのか、あるいは……


 彼がここに居る理由は二つだけだった。カイロスに言われて頷いてしまったのと他に手が無く仕方がなかったから。

 見ていると死にたがりに思えてくるセイラに、これ以上は諦観の念すら覚えた。しかし彼女はそれを否定する。



「そうは思ってないから私は、ゼントに妥協した打開策をずっと前から提示しているよー」


「…………」


 またゼントは考え込んで口が動かなくなる。筋違いではあるが助かりたい意思があるなら尊重したい。

 しかしよくよく考えてみると、もう無実の証明は不可能に近い。だから脱獄を助けるという選択は至極合理的とは言えまいか。

 代わりに町に居られなくなる上、ほとんどの場合、二度と帰ってこられなくなるが。


 思えば何故自分はその選択肢を取らなかったのだろうか。そうだ、カイロスに本末転倒だと止められたからだ。

 だが改めて考えてみるもそれほど問題は無いようにみえた。然らば……とそこまで考え行動の枷を外しかける。

 だが、あと一歩のところで頭を振り踏み留まった。法を犯して日常を手放すのだ。流石に一存で決めていいはずがないし躊躇いはあるべきものでもある。



「善は急げ、もし心をきめてくれるのなら実行は早いほうがいい。処刑日がきまって日がちかづくと警備がどんどん厳重になるから」


 直前になって同情心が芽生えたよからぬ考えを持つ者がいても、正面から性根を叩き潰すために、とセイラは続ける。

 至極真っ当な判断だろう。ここで殺人鬼の容疑者を助ける者がいるかは疑問だが。




 話しているとセイラは徐々に薄目になってきている。単純に眠いのか、伸ばしていた両手も重力に負けて落ちた。

 それに心なしかだんだん言葉に呂律が無くなってきている。まだ声は意味を成しているし、文脈がおかしいわけではないが若干聞き取りにくい。

 彼女の色相の薄い瞳も虚ろというか理知が無いというか。何と言えばよいのか分からないが。とにかくセイラという人格を宿してはいなかった。

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