第262話『溜息』

 



 ――声がしてゼントが後ろを見るとカイロスが堂々たる足取りで暗闇から現れる。


 セイラとの話し合いにすっかり思考を奪われており、彼の存在をすっかり忘れてしまっていた。

 無論隠し事をしているわけではないので問題は無いが、もしかしたら脱獄の手伝いを見られた可能性もある。

 冒険者協会を束ねる彼が見たら流石に味方になってはくれまい。



「ゼント、俺たちの目的はセイラの無実を証明すること。それでは本末転倒だろう」


 ゼントの前に立ち尽くすとカイロスは冷静に説明を始める。

 しかし声の震え方がいつもと違った。我慢に耐えきれずひしひしと揺れている。



「あれぇ、盗み聞きなんていけないんだぁ! ゼント、私を嵌めたねぇ?」


「いや、俺はそんなつもりは……」


 静かな怒りを含んでいるカイロスを更に挑発するかのように、セイラは気味悪く笑う。

 怒っているというよりは愉快に身を染めて。何がそんなに面白いのか、迫りくる死の恐怖に耐えきれずとうとう頭が狂ってしまったのか。

 いずれにせよカイロスはその発言に堪忍袋の緒が切れてしまった。



「もう御託はいい! セイラ、何故何も話さない! 何か申し開きはあるか!?」


「私はゼントと二人っきりでお話してたのにー。もう、久しぶりに会えたのに気分が台無しよ」


 セイラは真面に取り合わず、一人で明後日の方向を見つめて自らの髪の毛を指に絡めていた。

 その不誠実な態度にカイロスは握り拳を作るも、怒りを通り越してついに呆れてしまう。事実、感情任せになっても状況が解決するわけではない。冷静でなければ余計に情報を引き出せなくなる。



「……おいセイラ、どうしちまったんだ? 最後に会ったときは普通だっただろ?」


「べつにー? 私はずっと変わらずに私だし」



「……もう一度聞く、何故情報を話さない。お前を助けるために必要だというのに」


「あなたには関係ないでしょー。こっそり会話を聞いてたくせに。早く二人だけにしてくんない?」


 セイラはゼント以外の者の存在を知ってから態度を露骨に悪化させた。

 軽薄を極めた様子にカイロスの額にはこれでもかと皺が寄り、表情は険しく歪んでいたことだろう。

 だが怒鳴り散らしたところで鬱憤を晴らすこともできない。その場で大きく深呼吸してゼントを見た。



「ゼント、いったん出直そう。お前の言う通りこれ以上は無駄だった」


「え、ああ、そうだな」



「え? ゼントはここにいてくれていいのに……」


 三度試してみたがやはりだめだった。ここまで来ると期待も薄れてくるというもの。

 カイロスも精神的に限界のようだ。だから脇から牢を挟んで差し迫るセイラを無視して階段を昇っていく。


 途中でゼントは気になってセイラの牢をちらと見るが、彼女は少し色のついた流し目で見つめてくるだけだった。

 なんだかその眼が獲物を見るような……視線の鋭さに少し鳥肌が立ってカイロスの背中を急いだ。


 建物の外までやってくると、同時にせま苦しかった空気からも解放される。

 だが操作の進展は何もなかった。それどころか絶望がより突きつけられたような気分になる。

 カイロスは途方もない大きなため息をつくと話し始めた。



「俺はあくまで話を聞いただけだから補完している部分もあるが……あれは明らかにおかしい、あの状況を楽しんでいるようにも見える。数日で何があったというんだ?」


「最後に会ったときは普通だった。やっぱり長いことあそこに居すぎて精神の疲労が大きかったんじゃないか?」


 腕を組んで唸るカイロスと疲れの表情を見せるゼント。まだ一日の始まりが近いというのに疲労困憊といったようすだ。

 しばらく考えこんだ後、苦肉の策を提案する。もう現状それしか道は無いのだ。



「ゼント、こうしよう。お前は今から毎日セイラの元へ通え。あいつはどういうわけかお前には心開いている。俺は引き続き聞き込みや現場検証で捜査してみる。まあ今回の事件はどれも証拠が無さすぎて期待は無理だろうが、でもこっちは完全に任せてほしい」


「え……ああ……分かったよ」


 あと数日あるのかも分からない余命を少しでも有効に使わなくてはいけない。例え救済対象が協力的でなくても……

 しかしゼントの反応は芳しくない。顔と心は曇り、今から対峙すると考えただけで頭痛がしてくる。


 なぜならあの状態のセイラを相手にするのは……骨が折れそうだ。酔っぱらいを相手にするようなものではっきり言って面倒くさい。

 しかし何度も言うように後に引ける状況ではなかった。手段を惜しむ楽観的余裕はない。



 二人はまた目を合わせて頷きカイロスは早速、駆け足で通りの人ごみの中へ消えた。

 ゼントはというと暫く葛藤の中に蹲っている。やるべきことは分かっているのに体が重いから。

 そして悩みに悩んだ挙句、カイロスに負けない大きなため息を吐き、落胆した様子で例の階段を下りていった。



「あっ、ゼントっ、私のために戻ってきてくれたのねっ!」


 ゆっくり下っていくと――とうとう体を起こすのも億劫になったのか、牢の地面で仰向けに寝転がる彼女の姿があった。

 そして吐息が混じった声とびっきりの笑顔で出迎えてくれる。奇しくも今までついぞ見たことが無い爽やかさ。


 ゼントは自分の精神が侵されないか心配になって、また溜息を吐いてしまう。

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