第261話『深切』
「――セイラ、俺だ、ゼントだ」
「……言わなくても分かってるわよぉ」
相変わらず心許無い薄明かりがセイラを照らす。声には多少の陽気さが感じられるが体はぴくりとも動かさずに返事した。
まるで寝起きで苛立っているかのようにも感じる。ともかくゼントは意識状態を確かめながら対話を計る。
「じゃあ、俺がここに来た理由も分かるか?」
「えぇー? そんなの私が分かるわけないじゃない」
少々とは言えないほど面倒くさそうな様子、想像以上に精神を削られているよう。その証拠にいつにもまして受け答えが朧気だった。
多少口調が乱れている事ならつい最近にもあったが、今日に関してはより酷かった。
症状は精神退行とでも。ゼントの頭には一瞬同じような症状が浮かび、嫌な気持ちになる。
「セイラ、様子がおかしいけど大丈夫なのか?」
「あまり大丈夫じゃないかもー。最近ずっとね、最近と言ってもこの牢屋に入る前からずっと毎晩のように悪夢を見ているの」
「それって、どういう……?」
「夢の内容はちょっとずつ違うんだけど、行き着く先は結局同じ、私が私でなくなる」
細くか弱く出てくるは誰にも明かすことのないであろう吐露、誰かに向かって話をしているというよりは独り言のように。
悪夢――ゼントも最近はよく見る方だが毎晩というわけではない。明らかに異常、原因となると例の化け物関連ではと真っ先に頭に浮かぶ。
奴が彼女に何かしたのだろうか。襲撃現場の近くに居たのだ、その可能性は十分あり得る。
だからだろうか、何となくその悪夢の内容が途轍もなく重要な気がした。
「その夢の内容は……?」
「自分の全身が指先からちょっとずつ腐っていってね、化け物みたいな見た目になったり、あるいは頭がおかしくなったのか発狂して自殺衝動が抑えきれなくなったり……ここ数日で悪夢の全ての種類を見た気がするわ」
思い出させるのが酷とは思いつつも、情報を聞き出すためにはやむを得ない。
そしてその内容は予想通り興味深いものだった。まるで意図的に操作されているかのように。
やはりセイラの身に尋常ではないことが起こっている。だからと言って解決方法がすぐに浮かんでくるわけではないが。
一番厄介なのはセイラを含む身の回りの者に擬態されることだ。しかしその心配は少ないと思っている。
なぜなら、彼女の性格はそんなに器用じゃない。他人に擬態して、しかも回りくどい演技をするはずがないからだ。
思い込みは危険とは分かりつつも、なんとなく当たっている自信はある。長いこと彼女と一緒に居たからこその勘というやつだろうか。
「多めに見積もっても私は、一週間後にはこの世にいないでしょうねぇ」
「…………」
自身の行く末を理解してはいるようだが口調からは余裕が落ちる。しかし様子や声色を聞く限りまた考えを改めさせられるという。
表情から達観は少なく悲愴だけが漂う。なのに……
ゼントは耐えきれなくなって、尋ねてみた。
「セイラは……いったい誰の味方なんだ……?」
「それはもちろんゼント、あなただけっ!」
突然の子供っぽさに驚かされる。明るく元気で、でもこの場での無邪気は不気味でしかない。
憔悴しきっているわけではないのがせめてもの幸いか。
ゼントは鼻白みながらも冷静に続けた。今回来た話の本題を切り出すために。
「俺もセイラの味方のつもりだ。でも、じゃあなんで俺を含め周りに隠し事をするんだ?」
「ゼントこそ私の味方なら早く私をここから出してよ。町から出ていくつもりなら尚更それでいいじゃん」
必要なことを伝えるや否や、セイラは目を見開き鉄格子越しに迫ってきた。
しかし手足に力が入らないのか地面を這うように。酒で例えるなら酩酊期を超えて泥酔状態だ。
思考が麻痺して自分自身で体の異常に気が付いてないのだろうか。どちらにせよこのままでは命に係わるというのに。
「それはできないって言っただろ…! セイラは生きたくないのか!?」
「もう、なんにしろおわりよぉ。私にはわかる、抗ったところで結局意味はないの。あなたが助けてくれない限りはね」
何だろう、やたら滅多にというか頑なに脱獄を助けるよう誘導しているように思える。
本当にそれしか道は無いのか、であれば行動に移すだけの根拠を教えてくれればいいものを。
ゼントは息を呑み覚悟を決める。これは真相を知るがためやむを得ないと悟って。
「……セイラ、前回話した交換条件を覚えているか?」
「なんだっけ? ああ、助けてくれたら全てを話すっていうやつね」
「順番を逆にしてくれないか。セイラが今全てを明かしてくれたら、俺が脱獄を手伝うことを確約する」
「うーん?」
意を決した発言だったのだがセイラの反応は芳しくない。というよりも意味を理解してくれていないような気がする。
話を聞いた後はもう後戻りができない、全てを捨てる覚悟ができたというのに。
「――ゼント、そこまでだ。お前が手を汚す必要はない」
その時だった。地下の暗闇に紛れるように、カイロスが現れたのは。
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