第252話『誤想』

 



 ――光陰は矢の如く、かつ一方的に過ぎてもう一週間が経過しようとしていた。


 あれからゼントは一歩も外に出ず、家の中に引き籠っている。


 初めはささやかだったユーラの要求も日が経つごとに徐々に異様さを増し、しまいには一昨日の就寝前、唇同士の接吻を求めてきた。

 流石のゼントも断ったものの、その時の彼女の顔が脳裏に張り付いて今でも忘れられない。


 やんわり話題を変えようとしたつもりが、ユーラにははっきり拒絶と見なされたみたいだ。

 目は一瞬で赤々と染まり、毒を持った艶やかな花のような。そして必然というべきか、最後自分に襲い掛かってきた彼女と同じ目をしていた。

 ゼントは恐ろしくなり、だからと言って期待に応えるわけにもいかず。その夜、彼はユーラへ向かってひたすらに謝り続けるしかできなかった。



 その翌日――いや、以前よりずっとそうであったが、両腕両脚を広げて体に纏わりつき自由を拘束されている。

 それだけならまだしも、正面から抱きつくため顔が近いのだ。少し下を向けばユーラの愉悦の表情が、文字通り目と鼻の先に。


 久しく注目してこなかったが亜麻色の髪には艶が戻っていて、心なしかいい匂いがした。

 露骨に嗅ごうとすると彼女に反応されるのだが、漂ってくるものに関しては防げない。


 何故こんなことを語るのかと言えば、これだけ近いと流石のゼントとてユーラを女性として意識してしまうのだ。

 精神が幼くなっているとはいえ肉体の年は近い。この状態で、しかも操を立てた彼が手を出すなど言語道断、むしろ本人と傍らの獣は悦びそうだが。

 しかし彼だけはそうはいくまい。意識したくなくても己が感性は嫌でも理解させられている。



 ましてや一週間前、家に帰ってくる前はセイラの言葉が信用できるのかあれほど悩んでいたのに、いざとなっては行動もできない愚かしい自分。

 まさしく八方塞がりだ。このまま時間を浪費していけば、いつか自分の心が流される時も来てしまうかもしれない。


 約七日という時間は長く、自分からもやめてとは言い出せない状況、そろそろ限界が差し迫っている。

 しかしそんな時、皮肉だが救いとも言える事件は起こった。それは夕刻、ジュリの鋭い感知から始まる。


 何かに気づいた彼女は神妙な顔でゼントの肩を叩く。何者かがこちらに近づいてきたことを知らせる合図だ。

 ジュリはそのまま二階へ行き身を潜める。セイラがまたやって来たのかと思ったが、ジュリなら相手の正体も気配で分かるはず。つまりセイラではない。

 ではとうとう奴が来たのかと一瞬武器を構えたが、であればジュリがこそこそ隠れたりはしない。



 間もなく遠くから駆ける音が聞こえてきた。足音の間隔が広く、大きい体躯の者であると予想できる。

 やがて玄関の扉を叩く音が何度も聞こえ、恐る恐る扉を開けると――カイロスが居た。

 だが少々様子がおかしい。顔は青ざめ、息を切らしていてもおかしくないというのに、ただ宙一点を見つめ。


 そういえば、あれから時間が経っている。また殺された被害者が出た頃だろう。

 ここへ来たという時点でゼントは嫌な予感がする。わざわざ彼が赴くことなどほとんどないのに。

 加えて魂が抜けたようなカイロスを見て、今度はどんな最悪が待ち構えているのかと覚悟していたら……



「……セイラがっ」


「――っ!!」


 たった一言だけだというのに、ゼントの目は一瞬のうちに大きく見開かれる。

 一体何があったというのだ。まさか事件に巻き込まれた? いや、そんなことは……

 むしろ言葉が少ないからこそ、不要な心配が必要以上に大きく広がってしまう。



「とにかく、一緒に来てくれないか……?」


 カイロスは疲労困憊からか真面な説明をすることもできず、弱々しく乞いだけを告げられた。

 ゼントには断ることも断る理由もない。“この”状態から逃れられるのであれば……



「ユーラも付いて行く!!」


 ずっと体に張り付いていたユーラがそう叫ぶ。思えばこの異常な姿をずっとカイロスに見られていたわけだが……

 離れることなど二度と無いと思えるくらいには引っ付いていたので、もう引き剥がすのは完全に諦めていた。


 だがこのまま一緒に外へともなると話が違う。あられもない姿を町人全員に曝すのは羞恥心が制止する。

 だから一旦深呼吸をして、未だ体に張り付く彼女をそっと諭そうとした。



「悪いけどユーラは留守番を任せてもいいか? 外にはまだ危険があるかもしれないから」


「外は危険って、そんなにユーラは頼りないの?」



「そうじゃない、頼りになるからこそユーラには家の留守を任せたい。いつでも安心して帰ってこられる家があるのがどれほど素晴らしいことか。そして家で待っているものがその留守番という役職がどれほど大事な仕事なのか、家族の一員としてどうか分かってほしい」


「え…そっか。あ、そうだよねっ。家族の一員……夫の帰りを待つ妻かぁ……」


 例によって後半の言葉は細切れのように、当然ながらゼントの耳にも届かず。

 その甚だしい勘違いは互いにとって毒にしかならないが、今は仕方がない。


 一方ゼントは上手く行ったと思って握りこぶしを作っていた。気障な台詞が流れるように出てきたのは事前にじっくり考えていたから。

 どうすればユーラが家で留守番してくれるのか、一生懸命理屈を捏ねて作り上げたもの。

 唯一に何故そんな頬を赤らめ、憧れを体現したかのような表情をしているのか。それだけがどうにも分からなかったが。

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