第251話『誘惑』
「――それで、何があったのか教えてくれないか?」
あれから二人を宥め部屋を一通り片付けた後、二人は言い訳もせず自ずと床に正座する。
そして互いにゼントの判断を仰ぐかのように目線から光を立たせていた。
当たり前だが先に口を開いたのはユーラだ。不満を露わに、懇ろにゼントへ申し開く。
「お兄ちゃんはユーラを心の拠り所にしてくれるって言ったよね? なら離れている時間は少なくした方がいいと思ったの。だから付いていこうと思ったらジュリが邪魔をしてきて……」
「あー……」
少し前にも思ったが……まるで初めて会った時に戻ったようだ。今の精神が壊れた直後の彼女と。
この後ジュリから話を聞こうと思っていたが必要はなくなった。なぜなら彼女の行動の意図は明白だったから。
全てを察した故に息をつく。そしてユーラは予てより口を尖らせ半べそをかきながらゼントに擦り寄ってきた。
「ねえ、ユーラは悪くないよね? ジュリが酷いんだよね?」
「ああ、ユーラは悪くない」
「だよねっ、だったらジュリを叱ってよ!」
「そうだな……でも俺はジュリも悪くないと思う。だってやっぱり家の中の方が安全だから、引き留めるのは当然だよ。それに一番は俺がユーラの気持ちを汲めず勝手に一人で行動したのがいけないんだから。ジュリにユーラのことを見守っていてくれと頼んだのも俺だし……」
ゆっくりと一つずつ根気強く説得すると、ユーラは首を傾げて表情は訝しんでいる。
だがこれといって反論は無い、不満はあるようだが納得はしてくれたようだ。
「……じゃあ悪いのは、お兄ちゃん?」
「え、あ、ああ、そう…だな……」
「ユーラに悪いことしたって思ってる?」
「え、まあ……」
誰が悪いわけでもないが強いて言えばそうなのかもしれない。元々ユーラが人格を崩し、そしてこのような思考に戻したのは彼のせいなのだから。
だからおそらく次に来るであろう言の葉も受け入ればならない。何より教会から引き取るときにそう決めたのは自分だ。
「――じゃあ悪いことしたお詫びに、今後ユーラがいいって言うまでずっと傍に居て!」
「あ? ああ、それくらいならいくらでも……」
またしても手の平で踊らされているゼント。何を言われても婉曲な肯定しかできず。
だが自分の模糊たる返事にしばらく後悔することだけはすぐに理解させられた。
了承するや否や、ユーラは何も言わずすぐに飛び付いてきた。目を丸くして見返してみても彼女は逆に満ちることのない
屈託のない気さくな表情にゼントは全てを察するだろう。自分の仕出かした過ちの全てを。
そして今更引き返すこともできず、黙って受け入れるしかない。
慣れたものだが真っすぐに抱き着かれ身動きが取りにくい状態。一時間、いや半日くらいならまだ何とかなったかもしれない。
しかし夕食時も約束を体現したように離れず、料理は火を使うから危ないというと……
するとユーラは怪訝な顔を見つめてきて、かといってこちらが押し黙りそっぽを向くと今度は蕩けた顔をしている。
やがて就寝時はより要求の激しさが増した。一緒に寝ることは日常茶飯事なのだが、ユーラはそれだけでは飽くことを知らず、要求を更に足した。
「ユーラのことをぎゅっと抱きしめてね。あと撫でるのも忘れずにね」
願いそのものは難しいわけではなく、初めてのことでもないので構わないのだが……
恥じらいも躊躇もなく言ってくるあたり、いつからかユーラの中で吹っ切れたのかもしれない。
そして瞳にはやはりと言うべきか濁りがあった。毒々しい赤、それは彼女がこの世に生を受けた時から代ることのない同一性なのかもしれない。
かつてを取り戻してきたと慶んでいいものか。しかしゼントはどうやっても純粋にはうれしくはなれない。
戻ったら戻ったで、つまり最後の異常な様子に直るということ。あってはならないはずなのに、このままの彼女を望んでしまう自分が居た。
この邪な思考は罪になりえるのか。不完全な形を留めてほしいと願う自分に嫌気が差して、舌が痺れるような感覚を覚える。
結局、ユーラの変化に素直なれず、なれない己にますます罪悪感が湧いてくる。
だからなのか、ゼントは彼女の要求を何も言わずに従う。頭を撫でている最中、彼はじっと何かに耐えている仕草を見せていた。
一方、ジュリは離れた部屋の隅から見守るように眺めている。割って入るわけでも声を出すでもなく、ただじっと見つめていた。
最近、ジュリはゼントから距離を取るようになっている。以前は頻りに寄ってきて体の触り心地に彼は満更でもなかったのだが、近頃はそれが無くてちょっぴり寂しい。
自然とそうなったわけではなく意識的、まるでユーラに遠慮するかのように。
なぜこうなったのかは分からないが、今のゼントにとっては少々都合が悪い。なぜならユーラとの二人だけの空間を邪魔してくれる者がいないから。
さりげなく視線を送って合図してみるが、動く気配は無し。挙句に爽やかな笑顔を返される始末。
もう一度言う、なぜこうなってしまったのか。もしかしてジュリに嫌われるようなことをしたのだろうか。
ゼントは悩み、そして苦難から逃れること叶わず。
平穏であることはこの上なく素晴らしいことのはずなのだが。
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