第248話『欲心』
「――私はどうしても知りたいことがあって、ここで夜遅くまで調べ物をしていました。店主に無理を言って、集められた書物の内容を確かめていたのです」
フォモスは建物の壁に座って凭れかかったまま、彼の近くにいないと聞こえないくらい静かに細々と語り始めた。
顔は終始俯いていて、いや、むしろ自分から隠しているような素振りだった。
それは決して周りの誰もが静かに聴かれていて恥ずかしかったのではない。ただ心境として見せたくなかったのだ。
理由は話を聞いていれば分かる。人としては正常で、ある意味彼らしく、自らの自尊心を汚したくない一心なのだろう。
「そして明け方に突然、脈絡もなくいきなりの轟音と共に建物全体が揺れました。上からは短い悲鳴のようなものが。すぐさま階段を駆け上がって部屋を見ると……床は勿論、壁や天井のいたるところにまで、何と言い伝えたらよいのか……肉らしい見た目の白い物体が蔓延っていました」
辺りの誰もが黙って聞いていた。嘴を挟むなど蛇足に過ぎない。
フォモスは毅然と続ける。しかしそれはまるで自分自身でも頭の中を整理するような、迷いのある語りだった。
ゼントは一人、無意識に歯を噛み締める。その力は強大で自身の顎が悲鳴を上げるほどの。
特徴は完全に合致しないがほぼ奴とみて間違いないだろう。でなければ他に似る生き物など聞いたことが無い。
「それはどうやら何かの生物だったらしく、触れて見ると粘性があり体温もありました。私は怖くなって、身の危険を察するよりも速く一階に戻って蹲っていた……いくらか時間が経過して、再び上階から音がするとまた建物が揺れて、その衝撃で棚の下敷きになって意識を飛ばされたのだと思います」
表面上は神色自若を装っていても、溢れ出る恐怖までは隠せない。ゼントが一人で抱えていた思いが伝染したように。
留めとばかりにいきり立って最後に畳む。
「でも薄れゆく意識の中、これは確かに見えた。再びの揺れと同時、その化け物の影は人間のように姿を変えて町中を平然と歩いて夜の中に消えたんです。いくら混乱していたとはいえ理解できます、あれは人間ではないと!!」
先程とはまるで変ってすぐそこに危機が迫っているかの表情、実際彼は記憶を遡上して脳内で再現していたのだろう。
事実、話を聞いている全員が鳥肌を立たせ、緩急分かたれた陳述で無意識に拳を握りしめていた。
フォモスの話はこれで全てだ。最後に顔を見上げると虚しく問う。
「支部長、聞いてもいいですか? この家に二階に居た住人はどうなりましたか?」
「血だまりはあっても遺体は見つからなかった。しかしあの血の量を見ればまず間違いなく……」
カイロスが正直に伝えると、フォモスはもういいと手を上げ自身の顔に影を差す。
そして満身創痍で軋むであろう体で立ち上がり、ゆっくり協会に向かって歩き始めた。
彼の後ろに今度はハイスが先に並び、ゼントが続く。肩を貸そうかと尋ねたら問題ないと断られた。
足を引きずっているというのに、やはりフォモスらしい。無様は晒したくないのだろう。
カイロスはまだ現場を離れることはできず後で合流するそうだ。一先ずは分かれる。
協会までの道のり。ゆっくりとした足取りにゼントは浅慮な思考を巡らせる。しかし同時に感心した。
理解を超える光景を見たはずなのに、今なお心を強く正気を保っていることに。
何も知らない自分だったら間違いなく錯乱状態になって、周囲の迷惑も厭わず暴れまわったかもしれない。
「アニキ、付き合ってもらって悪かったと思う。だけれども他に頼れそうなのがアニキしかいなかったから……」
道中、ハイスが謝罪してくる。几帳面というか健気というか。
悪い見方をすれば巻き込まれたとも捉えられるが気にすることはない。
結果的にフォモスも無事だったのだから咎める者など居るはずもないが。
「まあ、頼られるのは悪い気分じゃない。俺以外にもっと適任が居ると思うがな」
それは返答としては、もはや性格が出過ぎていて謙虚なのか自卑なのか分からない。
しかし世辞としてはまずまずだっただろう。変な空気になることもなく和んだようだ。
協会についてフォモスを医務室に送り届けて、時機を見計らってゼントは一人で抜け出した。
向かう先は勿論セイラの元、受付のいつもの場所に彼女は今日も居る。
彼は元来の性格故か、人にものを尋ねる時は僅かに引け腰になるようだが今だけは違う。
最近だけで人が四人、露呈してないだけでそれ以上いるかもしれないのに、
確固として床を踏みしめ、セイラの居る受付机までまっすぐ歩いていく。そしてゼントの存在に気付くと優しく微笑む彼女に対して切り込んだ。
「セイラ、昨日お前が俺に伝えたことについて話がしたい。時間をくれるな?」
「あらゼント、随分といきなりね。でも今は仕事の途中だから、お昼休憩まで待ってもらえるかしら。今ここを離れたら業務に支障が出ちゃうじゃない」
予想外の返答にゼントは開いた口が塞がらない。まさかこれほど見事にやんわり断られるとは思いも寄らなかった。
仕事真面目な彼女らしい、とも言えるがなんだか避けているようにも思える。だから明らかに優先順位がおかしいだろうと指摘した。
「……なあ、今これ以上に重要なことがあるのか?」
「……まあ、それもそうね。いいわ、こっちにきて」
突き詰めるとセイラは観念したのか鮮やかな手の平返し、その声もひっくり返ったように鋭利さが灯る。
そして手招きして受付の奥へ誘う。妖艶な笑みを携え、まるで自分の懐に獲物を呼び込んでいるかのようだ。
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