第247話『混濁』

 



 ――地面の倒れるように伏したフォモス。体には毛布が掛けられ

 顔は真っ青で目を閉じたまま、まるでひどい悪夢に魘されているかのよう。


 彼の姿を見た時、群がる群衆の中から真っ先に飛び出たのはゼントだった。愕然と、というよりは独善的な怒り。

 そのままカイロスに勢いよく突き当たっては感情任せに問いただす。

 傍で付いていたハイスも一瞬遅れ後に続いて駆けだす。


「おいカイロス、一体どうなっているんだ!? なんでフォモスが……」


「ああゼント、珍しいな。こんなに騒ぎになっていれば当たり前か。はあ、四件目か、しかも住宅街のど真ん中じゃあ隠せるものも隠せない」


 カイロスは疲れ切っていた。鋼のように熱い男も今日は意気消沈と。

 しかしゼントが気になっているのはそこではない。



「そうじゃない、ここが襲われると分かっておきながらどうしてこんなことになるんだ!?」


 加えて言うなら被害にあったのがフォモスなのは明らかだ。より身近な者が被害者であるのにカイロスの反応は冷たすぎやしないか、と。

 いや、しかしこの考えは押し付けかもしれない。彼も彼なりに苦労が重なり、感覚が麻痺してしまっているのだろうか。

 対してどんな言い訳が返ってくるのかと思いきや、カイロスの呼応は異質なものだったと言える。



「――ん?? 悪い、が何の話をしているんだ? 俺たちが被害者の出る場所を知っているはずがないだろう?」


「え……だってセイラが言って――っ!!」


 思っていた答えと違ってゼントは思わず口走った。だが途中で何かを悟ったのかあっという間に両手で口を押さえる。

 これは口外してはいけないことだったのかもしれない、と。しかしそう思ったところで情報は自らの口から洩れてしまっている。



「――セイラ? セイラは事件の調査にかかわってないぞ、彼女の業務は事務と受付だからな」


 カイロスは冷静で理屈に沿った説明を。その最中、ゼントは目を開ききったまま。

 しまいには今のは全て失言だったと、自ら申し開きをする始末。



「い、いや、悪かった。なんか、焦って思考が飛んでたんだ……」


「ああ? まあそんなこともあるだろう。悪いがこっち現場の検証や後処理やらで忙しくてな。もし手が空いたらそこで気絶しているフォモスを介抱してやってくれ」



「え、気絶?」


「第一発見者が言うには建物の一階で意識を失っていたらしい」



 ゼントの目の丸さは際どくなる。てっきり、フォモスは死んでいるものとばかり考えていたから。故にカイロスの薄い態度に憤慨していた。

 しかし考えてみればそうだ。被害者は軒並み体の原型を留めていないのだから、フォモスだと分かる時点で彼は須らく生きているべきだ。


 何と短絡的で愚かな早とちりだろう。しかしこれがセイラの言う、被害者を少なくした結果なのだろうか。どちらにせよフォモスが無事なのだから良かったのかもしれない。

 だが死傷者が出たのは確かなようだ。それが自分の知り合いではないと分かった瞬間、気持ちが冷めてしまうのはあまりよろしくないのだが。

 それでも良かったと安心してしまうのだから人間は不思議、かつ利己的な生き物だとゼントは思う。



 それにしてもセイラの発言は一体全体どういうことだったのだろう。

 彼女の予想は見事に的中していた。では何故カイロスには伝えていないのか。

 他言できない事情があった? しかしそれでは何故自分には教えてくれたのだろう。


 こればかりはセイラから直接聞いた方がいい。カイロスに最後まで事情を話さなかったのは何か裏があると思ったから。

 彼には申し訳ないと思いつつも、ゼントは自分の直感に従い、そして好奇心に屈服する。



 見るとカイロスは後ろに居たハイスと話している。ハイスはフォモスの無事を喜んでいるようだ。

 だがすぐに真剣な表情になってやり取りをし始めた。内容までは聞こえなくとも小難しい話であることは想像できる。


 この間に何とか隙をついて一人だけでセイラの元へ行けないだろうか、ゼントの胸の内には醜い欲心が漏れ出る。

 しかし流石に倒れているフォモスを放って駆けるのは憚られた。だからカイロスとハイスの二人に対してこう言い出す。



「まずはフォモスを協会の医務室に運ばないか? それで回復を待って事情を聴くというのは?」


 さりげなさを装った提案だが、こうすればフォモスを放置することなく協会へ行ける。

 一人だけでという条件は達成できずとも、向こうについてから一人になる時間はいくらでも作れるはずだ。



「――いや、それには及びません。自分で歩きます」


 ゼントが静かに片笑んだ瞬間、しかしそんな彼の心を乱す出来事が起こった。

 幸か不幸か、今まさにちょうどフォモスが悪夢の彷徨から目覚めてしまったのである。

 声の方へ振り返ると彼が頭を抱えながら起き上がる姿が目に入った。



「でもその前に聞いていただけませんか? ここで何があったかを……」


 次いでカイロスたちも声に気づいて駆け寄ると、彼は待ちかねたようにゆっくりと続ける。

 周囲の状況を見舞うことも能わず、しかしながらえたいことがあるようで。


 フォモスの視線は鋭い眼光に満ち、明け透けた嫌悪感に周囲の者は息を呑む。

 しかし落ち着いた態度で語り出した。彼が、ここで何を見聞きしたのかを。

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