第245話『火種』

 



 ――ひとまず一旦は、冷静に選択肢を選びなおすことが必要になった。

 ゼントはもう動く気力が無く、唯一物理的に動かなくていい頭を動かす。


 彼の中に、今すぐ町から出なくてはという強迫観念は既に存在しない。

 ある意味セイラとの会話があったからだ。こればかりは彼女が来てくれたことに感謝しないというわけにはいかない。

 一度冷めた頭を再起動して、朧気ながら過去を顧みる。



 よくよく考えてみれば、件の化け物が人を襲って喰らう理由は何故だ?

 カイロスから聞く限り、奴が犯人であることはほぼ間違いない。

 ではいよいよ正体がばれて食料の確保先を選ばなくなったのか、恐怖で追い詰めるためか、あるいは単に腹いせなのか。


 ゼントはようやくそこまで考えを絞り出して、しかしふと思考を止めた。

 思えば奴が自分の傍に纏わりつく訳も分からなかったのだ。単純に冒険者として初めて仕事をしたから?

 いずれにせよ分からないことしかない。化け物の気まぐれでしかないかもしれないのに、真面に付き合うだけ無駄なように感じた。



 何度目かも分からない堂々巡りを行った後で、ではこれからどうするのかという混乱に満たされる。

 なんやかんやで結局今も町に居続けていた。直接的な危害こそないが不安は絶えない。

 だからと言って臆病で行動を起こすこともできず、今は我が家に引きこもることしかできなかった。


 決して強固ではなくむしろ脆弱な守りのこの家で。ただ一つの心の支えはユーラとジュリの存在だ。

 現に今も、項垂れたゼントの体に彼女らは寄り添っている。それによって無意識になっていた苦痛の表情も和らぐというもの。

 両腕は二人の体に触れ、自然と力いっぱいに抱き寄せる。何の取り柄も無い自分に付いてきてくれた彼女らさえいてくれればいい、そう思うようにすらなっていた。



「――ごめんな、こんな兄ちゃんで……」


 それは決してゼントの意思ではない、心の奥底に抱え込んだ深層意識から出た言葉。

 こんなことを言うはずではなかった、しかし言葉でしか伝えられない気持ちもある。



「大丈夫だよ、ユーラが付いてるから。ほら、ジュリも一緒だよ」


 意図せず出てしまった言葉に対しあからさまに慰められて、ゼントはもう己が恥ずかしくてたまらなかった。

 卑屈なのはいつものことだがそれ以上に自分が惨めで、とうとう堪らず泣き出してしまう。


 二人の前なのに、ずっと強い姿であろうと努力してきたのに。

 必死に涙を堪えようとするが一度決壊した感情は留まることを知らず、押し寄せる波の如く溢れてくる。

 目を抑えて見せないようにするのが精々、けれども手の隙間を縫って液体は外に零れていった。



「ほ、ほら! お兄ちゃん、大丈夫だよ! だ、大丈夫だから!」


 ユーラが慌てて宥めてくれる。だが今はその優しさが険しい棘になるのだ。

 とは言えその行為を無下にすることなど彼には到底できず、だからこそ余計に苦しめられることになる。

 言葉にできない想いが涙となって流れていく、精神はとうに限界を迎えていた。



 ――その後、ゼントはついには耐えきれず、声を上げ小一時間にわたり慟哭を極めた。

 次いで落ち着いたかと思ったら泣き疲れてユーラの上で眠ってしまう。


 まるで子どものように、しかし表情からはいくらか憂いが消えている。

 その間、眠る彼を我が子のように見つめるユーラ、その瞳は少しだけ淀んでいたかもしれない。



 そしてゼントが夕方に目覚めた時、見計らったかのように夕食が出来上がっていた。

 買ってきたばかりの食材で、品数は疎らで安物ばかりなのに、料理はとてもおいしそうな香りと見た目をしている。

 ゼントが起きたのも匂いに釣られてだった。眠ってしまったことに顔を赤らめながらも二人に手招きされて席に着く。


 量はささやかながら、久しぶりに感謝を噛みしめながら食事ができる。

 野心が無ければ欲望も無い。ただこの小さな幸せが守っていければいいと思った。



 しかし、かれこれ丸一晩過ごしてもゼントの浮かない表情は続いている。

 昨夜、誰かが化け物に襲われ殺されたかもしれない。そんな考えが少しは頭を過るが、言ってしまうと比較的どうでもよかった。

 結局自分の身は自分で守るしかないのだ。あの化け物が関わっているとはいえ、他人の心配までしている余裕はない。


 顔を洗うために仕方なく家の外へ出る。屋外は怖いがどちらにせよ生活のために水を汲みにいかねばならない。

 眠くとも気を張り巡らせて玄関の扉を開けた。外はまだ日が昇って間もなく、薄めいた光の地面が広がっている。

 靄も程よく立ち込めてゼントが好きな景色ではあった。今は純粋に楽しめないのがつらい。




 ――そしてその時だった。町の方から何者かの足音が聞こえてきたのは。


 ゼントの全身の毛は悪寒で逆立ち、一瞬で臨戦態勢に入る。

 しかしどうにも足音の間隔が重くこちらを襲いに来た者には思えない。


 不思議に思いながらも剣の柄に手を掛けたままで。だがその姿が緩やかな坂の下から見えるとすぐに胸を撫で下ろす。

 赤みがかった特徴的な茶髪とすばしっこく有利な低い身長。顔からは露骨とも言っていいほど疲労が見えて満身創痍といった具合だ。


 何かがあってここへ来たのは明らかだった。

 向こうもゼントが入り口に立っていることには気づいたようで、開口一番に強く願い出た。



「――アニキ! フォモスが連絡もなく帰ってこないんだ! 一緒に探してほしい!!」

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