第234話『観想』

 



 ――時刻は少し巻き戻り、場所は渓谷近くの森の中。そこには一人の少女が死人の如き面相で突っ立っていた。

 人間の形を取り戻しいつもと変わらぬ姿で、しかし明らかに理性的な様子ではない。


 縦に切り裂いた腕からは大量の血が流れ続けている。出血多量、なぜ未だに立っていられるのか不思議でならない。誰が見ても玉響の命というのに。

 しかしながら、それもすべて人間であったらの話だ。せっかく忘れられていたのに、嫌でも思い出してしまっていた。




 そしてここぞとばかりに、私の中に潜む煩い邪魔者が高らかな笑い声をあげる。

 お前に構っている余裕などないというのに、落ちるまで落ちた絶望に苛まれ続けているというのに。



『――あはは、ほら、これでわかったでしょ。人間なんてみんなあんなもん。今までどんなに尽くしていたとしても、恩を全部忘れて貴方のもとから逃げ去っていく』


「ちがうちがうちがう、あれはお前のせいだ!! なぜ余計なことをした!? 私はただこのままの形で彼と一緒に居られたらよかったのに……!!!

 どうしようどうしようどうしようどうしよう、いや、まだだ。今から追ってまた捕まえれば……!」



『どんなに綺麗で美しい花でも、例え想いを込めて毎日愛でていたのだとしても、いつか必ず花びらが散って枯れる、必ずね。……違わないでしょ?』


「うるさい! 私は花の話なんかしてない! 花の…………

 あ、ああああ、貰った髪飾りも壊れた……! どうしてくれるの!?」



『私はゼントを護れっていう命令に従っただけなのに、そんなに無様に蹲ってどうしたの? 考えうる中で最適な行動をした、後の結果はあなたが焦ってとった行動のせい。だからどうこう言われる筋合いはない』


「じゃあ私は……これからどうしたら……!!」



『……思うに、貴方はゼントという存在に偏執するあまり人間に深入りしすぎている。現実と妄想の区別がつかなくなっていたり、もう少し冷静になって――』


「――冷静になれだと!? この状況で冷静になれるやつが居るのなら、それは相手を愛していないって言っているようなもの。そんなことがなぜできる!?

 ゼントの傍に居られない生にいったい何の意味がある!?」



『それを言うなら生き物自体に生きる意味なんてないでしょ。生きる意味を無理に作るべきでもない。ふむ……全てを虚妄だと罵り何事にも動じなかった昔の貴方は何処へ行ったの? 今引き返せばまだ間に合うから、早く情報を共有しに……』


「うるさいうるさい!! 私は生まれた時から私、誰の指図も受けない!!

 ああ、なんでこんなことに……お前が私の中で無駄なあがきをしなければよかったのに!」



『無駄かどうかは今に分かるものではない、そんなことも分からないなんてもう頭がだめみたいだね。いっそのこと、私が原因の元を始末してあげようか?』


「彼に手を出すな! もしそんなことをしたら……」



『別に傍に居たいだけなのなら、本人の生死は問わないんじゃない?』


「ふざけるな!! 私が一体何のために遠回りにやってきたと思ってる」



『……貴方は本当に彼のことを愛していたの? 本当に相手を想っているなら多少強引でも対話をするべきだった。貴方は絶対ゼントの手を放すべきでなかった』


「そんなこといったって、化け物の私が何を言ってもゼントはきっと真面に聞いてはくれない。見たでしょう、あの恐怖に慄く顔を……」



『はぁ、今までは大人しく見守っているつもりだったけど、いっそのこと体の所有権を奪ってあなたの姿で……』


「やっぱり、初めからお前なんていなければ全て良かったんだ……お前さえ……」



『あ、これはいよいよ本格的にまずいやつだ……本格的に――』




 ――それきり声はぷつりと絶えて、本能はそれ以上何かを言ってくることはなかった。それもそのはず、自分で自分の脳髄に手を突っ込んでいたから。

 そして私は、私の中に残る最後の理性を、体から引き千切って地面に投げつけた。

 地面には打ち上げられた魚のように、今は無様になった白っぽい肉を蔑みの目で見る。



「……今までにも邪魔をしていたこと、私が気づいてないとでも思ってたの?」


 そうだ、全部こいつのせいだ。心が自分だけのものであったのなら私は……私は……!!

 もういい、何もかもどうでもいい。自分に与えられた役割など溝に捨ててしまえ。


 今はただ、正体を暴かれた雪辱を果たす。何もなければ私は人間のままで居られたのに。

 そのあとは記憶を直すか、また姿を変えて彼に近づけばいい。それで何もなかったことにできる。


 まずは敵の正体を探ろう。さっきの場所に戻って、何か痕跡が残っているはず。竜の時と一緒だ。

 目的は不明だが、少なくともあの攻撃は人間単体でできるものとは思えない。つまり人間を超えた何者かの仕業だ。

 動機的にあの銀髪の女が怪しい気がするが、悪事を行っていると確定していない者に危害を加えるわけにもいかない。



 あれこれと考えて試行錯誤に悩んでいると、先程投げ捨てたあいつが喋りかけてきた。

 本体から離れてもなおしぶとく生きているらしく、これまた最後とばかりに。

 過去へ戻れたらいいのに、と悶える私に対して、諧謔の笑みをたっぷりにして言った。



「――彼の傍に居られるだけの日々は幸せだった?」

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