第230話『散花』
手を伸ばす少女が求めるのはただ一つ。もはや落としてしまった髪飾りのみ。
だがよもや首を無くしてまだ生きているとは。もう彼女は生き物でもないように思える。
ゼントと対になって銀の髪留めを奪い合う形だった。互いに一歩も譲る様子は微塵も無く。
「――ゼント!! お願い!! それだけは返して……!!」
「放せ化け物!! 俺の名前を呼ぶな!! それにこれはお前の物じゃない!! 俺が“ライラ”に贈った物だ!!!」
ではその咄嗟に出た名前は一体誰のことを指しているのやら。
懇願する少女の声にもゼントは条件反射のように即答する。そしてその理由は吝嗇でもなければ、ある一つの想いから来るものだった。
だから彼は驚きつつもすぐに反応して髪留めを我が物にせんと強く握って手繰り寄せる。
目の前にはもうライラなど居なかった。瞳に映るは自身を惑わせ貶めた赤い悪魔か。
ゼントは死に物狂いの形相だ。心の憤怒にも満ちて髪飾りを掴んで引っ張る。
肩や鋭利な切断面を持った首なしの化け物、比較的落ち着いてはいるがその声がどこから出しているのかも分からないのに。
伸びている手は正に乙女のように白くか弱く繊細なもの。それが付いている先を見なければの話だが。
でもそこから引き出される腕力は人外そのもの。梃子でも働いているかのように強烈だ。
本来ゼントの力は少女に遠く及ばない。取り合いになれば勝てるはずなどなかった。
しかし彼は身の全ての力を注ぎ、例え腕が引き千切れそうになっても決して放さなかっただろう。
であれば、大して丈夫でもない小物が行き着く先は言うまでもなく……
――パキンッ
短く軽くも鈍い音が想い出と共に無下に響き、刹那の合間に罅が入り砕け散った破片は宙に舞う。
ゼントの迷う脳内にもその音ははっきりと響いた。まるで生きる目的が欠けてしまったかのように。
地面に散乱したのは数個の
彼女のために見繕い彼女のために贈った物。彼女が居なければここにあるはずがない物。
でもまだ分かり合えたかもしれない可能性を互いに失した。
一方が抱くは喪失感であり、他方はこの上なく憎しみと怒りを覚える。
「――ああ、くそっ!」
奇声紛いの悪態をつくゼントだった。悔しさにも潰れ、勢いで自分の顔をひっかいてしまうそうになって。
幸いそれぞれ花弁の形はまだ保っている。だが化け物相手においそれと隙を見せるわけにはいかず、拾い集める余裕など無いに等しい。
苦渋の決断だが手の中の一欠片を除いて髪飾りを諦める。心臓が張り裂ける思いだったがそうするしかなかった。
では次はどうするか。化け物がいつまでも殺してこないのなら今はここから隙を見て逃げ出すだけだ。
今は体を拘束されてはいない。周囲に屹立する肉のような壁もよじ登って早く……
向こうはと言うと、壊れて散らばった破片を見て微動だにもしていなかった。
まるで絶望の淵に立たされ、そして希望もなく突き落とされたように絶句。
自分のものでは無いのに、自身の手で壊したようなものなのに。
ゼントは憎しみの目で様子を見つめては、勝手にその憶測を呼び出すとますます腹が立った。
もう振り返ることにも嫌悪して、奇麗に踵を返すと真っすぐ走って壁に向かおうとする。
だが、何者かに片手を掴まれ妨害された。その相手は言うまでもなく。
「お願い待って!! 話を聞いてよ……! 私はあなたの傍に居て護りたいだけなの」
「うるさい…手を放せ……」
「……私が本気を出したらどうなるかなんて分かってるでしょ?」
「なら、手を放して二度と俺の目の前に現れるな」
迫りよるライラの声を、ゼントは振り向きもせず冷たく突き放した。
悔悛の情も見せず、ましてや脅しにくるとは、いよいよ彼の心も容易には居られない。
同時に掴まれた手から感じる冷たい感触は、底知れぬ恐怖も相まって鳥肌を立たせる。
そして全ては無意識下によって行われていること故本人は知る由もないが、ゼントが赤い悪魔と認識する者と会話を交えていることが不思議で仕方ないのだ。
似た例を出すならそう、ちょうど十日前にも味わっている。殺気を帯びた少女に物怖じせずに言葉を放った出来事だ。
本来なら問答無用で切りかかっても良いものを。それができないのは迷いがある証左だ。
想像を絶する光景を目の当たりにしてしまえば常識的な判断を下せないのも無理はない話だが。
「――ねえ、ゼント。こっちを向いてよ。昔みたいに私だけを見て」
「俺は多分最初からお前を見ていたつもりはない。それに会って高々数十日のお前が昔なんて言葉を使うな、虫唾が走る!」
「……じゃあ最後に一度だけでいいから顔を見せて」
「うるさい、黙れと言っているんだ!! 手を離さないなら今度はその手を叩き切って――」
少女の声は性質が別のものに変化していた。まるで別人のように落ち着いて、でもはっきりと聞き覚えがある声。だが構わずゼントは行動を起こした。
術中に嵌ることも厭えず、化け物とはいえ人間の姿をした者など斬りたくなかったがそれでも仕方なく。
そうあろうと思い、怒り集中して再び切断してやろうと振り返ったその時――
ある顔が目の前に居て……彼は握っていた剣を離してしまった。
何故なら、そこに居たのは帰らぬ人となった懐かしい女性だったから。
赤黒くはなく、最後の記憶と何一つ変わることない“ライラ”が優しい微笑みを投げかけてくる。
その瞬間、冷めた体の温度が戻ってきてくれたかのように、ゼントの心はじんわりと熱くなっていた。
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