第229話『落花』

 微グロ

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 真っすぐに見つめる彼女の瞳はとても弱々しく、一瞬でも目を離せば次の瞬間には闇に呑まれてしまいそうなほど。

 だが吸い込まれるというよりは、全てを跳ね返し照らしつけるような輝きがあるような気もした。

 しかし非情にもゼントの腕は剣を振ることをやめない。その美しい赤い瞳には既に価値を見出せていなかった。むしろ化け物と同じの、恐怖の色だ。


 同時に失望していた。殺せとせがんでも殺してくれないことに。

 だから、迷わずに刎ねた。当人がそうしろと言ったし自分でも好機だと思ったから。

 手に残るのは人体を切断する生々しい感触。魔獣の体ともこれまた違う、歪な抵抗感だった。



 ゼントが思うに、彼女の最大の失敗は二つ。まず正体を現したこと、そして赤い悪魔との関係を全く否定しなかったこと。

 焦っていたのだとしても弁明の素振りすら見せないのはおかしい。つまりもう自分で認めているようものだ。


 少女の目的は何なのだ? わざわざライラに擬態して近づいてきて、名前も恋人と全く同じものにして……

 あるいは……途中でライラと赤い悪魔が入れ替わっていたのか? いや、その可能性はほぼない。なぜなら彼女は初めから人間を超える動きを見せていたから。

 今思えば全ての辻褄が合うような気がする。人間社会の常識に疎かったり、人間離れした見た目もそうだ。


 目的が分からずともわざわざ自分の正体を隠していたのだ。どうせ碌なものじゃない。

 惨事になる前に分かったから良かったものを……そして万が一にでもこのまま逃げられるのなら協会で情報を共有しなくてはならない。


 先程の殺意しかない巨岩攻撃も確かに見ていたが、一体誰が自分の命をあんな回りくどく大掛かりな仕掛けで狙うというのだ?

 殺すなら真正面から堂々殺せばいいものを。敵の正体は見えなかった。つまり、ほぼほぼ自作自演なのだろう。



 頭の中では一緒くたになって、混ぜた絵の具のように黒く淀んだものになっている。

 だがやるべきことは明快だった。もう全ての悪夢は一時に終わったのだから。

 清々しく晴れやかな気持ちだった。だけども、流石にそれだけで全て片付くわけにはいかない。


 ゼントの放った斬撃は見事に化け物、いや少女の姿を模した首部分を両断する。

 思えば今着ている防具も剣もライラに貰った物、切れ味を含む品質は最高級と言っていいだろう。

 しかしそれで本人を切るとは冗談も大概にしてほしかった。


 上下に揺れ動く物体は劇的かつ抒情的で、同時に音も無く静的であっけなく。

 やがて時間を掛けず切断された頭部は、真下の彼自身の胸部へ面白味もなく落ちてくる。同時に切られた黒い髪もはらはらと周囲に散らばってゆく。

 しかし、今度は切断面からの血飛沫が一切ない。やはり相手は人間ではないとゼントは確信できた。


 そして、ふと下を見るとちょうど首元で長さが揃えられたおかっぱ髪の少女の頭が。

 瞳には密かに光が灯っているがそれももう風前の灯。それを見たゼントの中にあるのは、僅かばかりの達成感と後悔。



 ……どうしてだろうか。先程まで会話をしていた首が胸の中にある。狂気に塗れて笑ってやりたいのに、うまく笑えない。

 なぜかは分からないけれど、虚しくて、心が苦しくて、身が潰されてしまいそうな気持ちになる。

 不意に頭を両手で軽く持ち上げてみたものの、それ以上は何も感じない。神様が心を氷に変えておいてくれたのだろうか。


 いや、これは相手の策略だ。幼い少女の見た目をしているだけで、本当の姿は気色悪い見た目をしているのだろう。

 現に奴の下半身はどう見ても化け物のそれではないか。朽ちかけている奴の体を見てゼントはそう思う。


 周囲の赤黒い壁が徐々に迫ってきているような気がした。だからではないが少し焦る。

 早くここから離れよう。できれば魔術具も回収しておきたいが運ぶのに手間取るので今は放置するしかない。



 数舜の間に考え込んでいると唐突に両手の平での不思議な感触を覚える。

 気になって見てみると、今まで掴んでいた少女の頭部がどろどろに溶けていく。

 擬態が解けたのか少し黒が混じった赤、赤い悪魔の質感とまるで一致する。


 しばらく柔らかい肉のような触り心地をしていたが、やがて形を崩壊させて細かい塊が手から零れ落ちて地面へと吸い込まれていく。

 ゼントの胸の中に残ったのは乾いた血のような汚い染み。そしてもう一つ、はっきり形を保った物体が出てきた――



 ――それはライラに贈った銀の髪留め、



 花の大輪だけは今なお美しく、その正体に気づくや否や咄嗟に手を伸ばし掴もうとした。

 まるで最後の形見として欲するが如く、手を動かす勢いはすさまじいもの。

 だがそれを是が非でも取り戻したい者が、この場にもう一人はいるようで……



「――それだけはダメ!!」


 甲高い声はちょうどゼントの正面辺りから響いた。同時に彼の手に被せるようにもう一つの白い手が重なる。

 そしてその手と手の中心に髪飾りはあって、どうやら引っ張り合いになるらしく。

 顔を見上げると頭部の無い少女が手を伸ばしてきていた。今の声は間違いなくライラだったものだが……



 ――まだ生きていたのか。この死に損ないめ!


 再び青年の胸の中には失望と同時に沸々とした怒りが湧いてきた。

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