第227話『奔流』
――その後ゼントは依頼を完遂すべく、蹌踉樹の本体に火をつけた。
抵抗もしなくなったその木は無残に燃え果てつ。中の空洞が大きいためかあっという間に炎に巻かれる。
まるで諸行無常、自然界の強者だったのに今は空しくも見えた。地面の根の先まで壊死したことを確認して残りは帰還するだけ。
流石に今日は心身ともに消耗が激しく時刻も午後に掛かっていれば、後に予定していた依頼は明日に回す。
二人は来た道を戻り、渓谷の上へ戻る。途中、なだらかな坂を見つけてはのんびり登って行った。
片や壁のように反り立った岩山、片や断崖絶壁だが道は安全そう。
その道中で突然ライラがゼントの体に抱き着く。無遠慮なその行動にゼントは我に返り。
「うわっなんだよ、いきなり?! 一体どうしたんだ?」
「何でもない。でも何となくこうしたかっただけ」
「……そうか」
「うん、そう」
いつもなら“歩くのに邪魔だ、直ぐにどけ”とでも言うべきはずなのに今のゼントの顔はそう、満更でもないといった様子だ。
寧ろ身の拠り所とすらしていた。自然と腕は彼女の背中へ回しかけ、心はもはや陶酔の域。
そして隣の少女の肌は白く顔は幼く、いと儚いように見えて実は誰の助けもいらないほどの強者で。しかし薄弱な心は飽くなきまでの支えを欲している。
関係はさながら水魚の交わり。互いに無くてはならないかけがえのない存在だった。
少し道から外れた日ではあったが今日も明日もその先も、何も変わらない日常が続いていく。
その過程で二人の間柄はより強固に、親密に、そして目に見える桎梏にすら成り果てて――
――いくはずだった。こんな異常事態でも起こらなければ……
それはあまりにも唐突で無稽で、意味不明なものだった。
だが二人の間を分かつには十分すぎる一撃でもある。
突然、前方から巨大な岩が凄まじい速度で飛んできたのだ。
なんの脈絡もなく、魔獣が思いつきそうな単純すぎる攻撃だった。
だがあまりに速い速度は誰もが餌食になる。
当たれば人なんて簡単に、虫のように潰れて死ぬだろう。
そしてその狙いは正確無比にゼントを狙っていた……
当然自身の横の少女に感けていた彼が反応できるはずもなく。
そうでなくとも人間の鈍い反応速度では回避に移すまでの術がない。
――だが、ちょうど狙われている者の傍に居た少女にはそれも効かず。
咄嗟に飛んできた岩を認識し、標的が自身でないことを知るや身を投げ出して護る。
自己犠牲ではない。でも魔術具を構える時間は無く、押し倒して逃れる時間も無く。
仕方なく、自身の腕を広げて硬質化させて人一人ほどの大きな盾を作る。
そしてゼントの前に飛び出しては全てを受けた。全ては無意識の内に……
直後にやってくる猛烈な衝撃に彼女はその身一つで耐える。ゼントを護るという約束を果たすがために。
常人であれば丈夫な盾を構えたところで足場が持たず盾ごと吹き飛ばされるのが落ちだが、人間でもなければ何らそうでもない。
ガキンッ――と鈍く重い金属同士が擦れるような音。
ライラはそのあとすぐに巨岩が飛んできた方向を確認する。
だがちょうど前方の坂の上り切った奥に敵は居るらしく、ここからは気配も確認できない。
加えて面倒なことに攻撃が一回で止むことはないようだ。
また彼女は自身の体で出来た盾を構え、二,三の衝撃に耐えきった。
だがまだまだ止まらない。これほど大きな岩がその辺に山ほどあるはずがないのに。
だが少なくともこのまま受け続けるだけでは埒が明かない。せめて場所を変えなければ――
「ゼント、大丈夫!? 危険だから早くここから離れ――ッッ!!??」
耳を劈く攻撃を耐えながらも、須臾の合間を縫って後方を確認し想い人の安否を確かめる。
もし
だが――そこにあったのは更に思ってもみない光景だった。
ライラが思わず顔を引きつってしまう程の――
人間の姿を投げ出してまで彼を護ったというのに。
――そこにあるは、茫然自失と立ち尽くすゼントの姿だった。
まるで悪魔にでも魅入られたかのように強迫の表情、淀んだ視線はライラが作り上げた盾へと局地的に注がれる。
懐疑と恐慌と不信。砲撃にも近しい猛撃の最中、彼女は全てを察してしまい咄嗟にゼントを抱き締めて地面から飛び立った。
人間では絶対ありえない跳躍を成し、盾を構えたまま渓谷の上まで一気に跳ねる。
そのまま傍にある森の中へ逃げ込む。延いては更に深い森の奥地へと。
持ち上がる体にもゼントは微動だにせず、ライラの行動の全てを受け入れているように見える。
だが実際は違った。考えられなくなって体を投げ出しただけ。
全てを理解したライラ表情は悲痛に歪み、目には涙が……
やがて森の茂みに辿り着くと、ゼントを木に凭れ掛けさせた。
攻撃はひとまず考える必要が無いが二人の間には先程のような会話も無い。
ライラの腕には赤い肉が露出した盾が張り付いている。
それは一部だけではあるが、惑うことなき彼が嫌悪し恐怖する赤い悪魔の見た目だった。
そして平気で体に纏わせる少女に裏切りの念を抱き、全てを理解するやその場から無言で逃げ出すのも至極当然であろう。
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