第226話『虚弱』

 



 ――ゼントは心の中で数を数え始める。


 それにしても、この機に及んでかくれんぼとな。昔懐かしのわらしの遊びではないか。

 そんな呑気なことを思えるのは傍観者だけ。なぜなら当の本人には想像を絶する恐怖が舞い込んでいたから。

 子どもっぽくて敢えて数を口にすることはしない。自分がより苦しむとも知らずに。



 ――ひとつ、ふたつ、みっつ……


 後ろで何か物音がする。地響きのような……いや、氷がぶつかる音か。

 ライラが戦っているのか? なんにせよ今は考えたくなかった。


 十数えればいい。ただそれだけのことなのに、ゼントは耐えられる自信が無い。

 一つ数えるごとにその分不安が倍増しているみたいで、あと半分以上もあるなんて想像したくない。



 ――よっつ、いつつ、むっつ……


 出所の分からない恐怖が湧き出る。あのライラが迫って来た時と近い。殺気が薄いというべきか。

 もしかしたら次に目を開けた時、ライラは居てくれるのだろうか。あるいは自分がどこか遠い所へ行ってしまうような気がした。


 頭がおかしくなってきた。必死に自我を律するが、自身の中に眠る衝迫から逃れられない。

 数が遠い。声に出して数えていれば体感はもっと短くて済んだのだろうか。今や後悔しても意味のないことだが、どうにも否定的な意見しか出てこなかった。



 ――ななつ、やっつ、ここのつ……


 でも次第に数える速度が速くなる。実際に速くなっていたのか、あるいは半ば気絶状態だったのか。

 とにかくここまでやってきた。長くて短い、まるで神話に出てくる荒唐無稽な奇跡の当事者になったよう。


 ようやくこの暗闇から解放される。達成感と共にそう希望が見えた瞬間、じりじりと瞼が開きかけていた。

 無意識にライラとの約束を破っている事を彼は理解していない。後ろで何が行われていたかも顧みず、浅慮に歓喜に振り返る。



 しかし、すぐにだらしなく垂らした頬を引き締めることになった。


 そこには数舜前にはいたはずの敵はおろか、ライラの姿も確認できないのだ。

 かくれんぼをしているのだから当たり前か、とは問屋も卸さない。

 ほんの少し前まで両者の争う音は聞こえた。それは確実なことなのに。


 異変はそれだけではない。ちょうど彼女の居たあたりに大地の奇麗に抉れた跡がある。

 人間が一人で、それも経った数秒で作れるとは到底思えない。つまり乙の仕業と予想できる。

 何かがあったのだ。残念ながらゼントが分かるのはそれだけ。


 そしてそれは自然の理の如く、真情を介して一目散に辺りを見渡す。だがいくら探しても在るのは正面の蹌踉樹のみ。

 彼の全身には痛みすら伴う冷汗が噴き出した。まるで自分が死んでしまったのかと思えるほどに体は冷えて身震いする。


 ライラのことを信用していないわけではない。だがもう精神が限界だった。

 安心できるものが無い状況にただただ弱い子どものように縮こまっていく。



「――わあ!」


 もう心が鈍化し始めていた。自身の心を守るために。

 だからその突然の呼びかけにもすぐに反応できず。

 ゆっくりと目を見開きそして、恐る恐る後ろを振り返る。



「十秒間ちゃんと目を瞑ってた?」


 あどけなく顔を綻ばせながら、見下ろすライラがそこには居た。

 刹那の合間にゼントは自身の信じる神にでも出会った如く真の喜びに包まれる。

 その笑顔を見ていると彼はこの上なく心が安らぐのだ。


 足へ注がれる力は無に消え失せ、地面に無様に尻もちを搗く。

 だが同時に目を瞑る前の情景を思い出し、よろめきながらも彼女に駆け寄ってこう尋ねた。



「そういえばライラっ!その、どこも怪我はしてないか?」


「私が怪我をしているところを一度でも見たことがあるの?」


 首を傾げるような仕草にゼントは、焦って損したような気持ちと一緒に心からの安堵を覚える。

 やはりあれは見間違いだった、と。それと同時に呑み込めきれない状況への疑問が浮かぶ。



「ところで……戦っていたあいつは?」


「もう倒した。ほらあそこ、穴が出来たところの中で氷漬けになってるよ」


 まるで何にもないようにライラは指さす。言われた通り立ち上がって遠目から見ると、確かに氷の欠片が見えるような見えないような。

 そしてゼントは失念していた。本当にかくれんぼがしたかったなら、わざわざ向こうから姿など現すはずが無いことを。


 そもそも突然遊び始めることにも疑問を持つことはない。

 何故ならライラが傍に居てくれれば他のことなんかどうでも良かったから。







 ☆―――――――――――――――――

 ゼント君の精神状態についていけない人もいるかもなので少し補足しときます。

 はっきり言って今の彼はノイローゼ状態。ユーラやジュリなど、庇護対象への責任から来る精神的重圧。そして同じくユーラやサラなどの周りで支えになっていた人の消失。度重なる不安に心が適応できていない状況です。現に詳しく書いていませんが睡眠時間がおかしくなったり、人に会いたくなくなったりなど異常が出始めています。

 鬱とはまた違うので自殺願望等がないのが幸いですが、やはりこの状態が続くと壊れて後戻りできなくなるでしょう。

 現状唯一の支えはライラと言って差し支えない。だから今まで以上に彼女の言動に振り回されもする。彼もまた脆弱な人間の一人なのです。

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