第219話『氷心』

 



「――それにしても遺跡か、嫌なことを思い出させてくれる」



 家まで向かう途中、ゼントはセイラから聞いた情報を少しだけ気にかけていた。

 その単語を聞くだけで、半年前の悲痛な過去を想起せざるを得ない。



 遺跡というのは、簡単に言えば古い時代の遺物が眠る構造物だ。外観は苔むした岩が並べられたり、無機質で固い幾何学模様だったり。

 多種多様だが一つだけ言えることは、どれも人々の美術的価値観にはそぐわないこと。年代、用途、それらも一切が不明。数の差こそあれ各地に点在する。

 入り口と思わしきものは地下、平原などあらゆる地形で見つかり、中には宙に浮いているものや水中、果ては何もない空間にすら存在すると言われている。


 未発見の遺跡、ただでさえルブアの町周辺は数が少ないのに新たに見つかるのは極めて稀だ。

 ここから南に位置する亜人の森には、ここらでは比較にならないほどの大きさと数の遺跡があるのだが。

 ゼントが負を極めた記憶もそこにある。手の届かないところへ逝った恋人、そして地獄を見た諸悪の根源が。



 端的に述べると、内部には侵入者を阻む罠が大量に仕掛けられているのだ。だから無学な者が知らずに入ると呆気なく命を落とす。

 ゼントが最後に入った遺跡は罠の質も桁違いだった。

 決して油断していた訳では無い。しかし戻ることも叶わず、よりによって史上最大に悪辣を極めた罠に嵌められたのだ。


 結果、紆余曲折はあれど彼は一人になる。愛した一人はおろか、同行した冒険者も全員中で散り散りになり行方知れず、おそらくもう生きてはいまい。

 そして最後に恋人と会話した時間、その内容は今思えば空気と共に異常だった。




 そうして考えていく内に、彼の頭にはひとつの謎が浮かび上がる。恋人との約束を、軽く捉えてしまっている自分がいる。それは何故か、と。

 もうどうでもよくなってしまった? いや、そんなはずはない。恋人と過ごして出来た気持ちはそんな簡単に捨て去れるものではない。


 もし仮に、仮にだ。全ては過去のものだと認識していたとして、では何故自分は恋人のことを愛さなくなってしまったのだろうか。単純に時間が経ちすぎたのか。

 いや、愛さなくなったというには少し語弊がある。彼女の最後言葉は今なお彼を蝕み続け、少しでも破ろうものなら罪悪感を結びつける。


 これは単に良心からくるものか、愛した記憶が本能的にそうさせるのか。

 何にせよ、言葉だけが時間の摩耗を逃れてゼントに刻み付けているのだろう。




「――はぁ……」


 自身のことながら納得のいく答えが出てこない。分からないという事実だけが一人歩き。

 やがて過ぎ去りし日々は苦痛を伴う精神的負担になり、現実の全てから目を背けたくなる。



「どうかしたの?」


 ここ数日において彼の心境の変化の原因は、ただただ癒しを求めていたのかもしれない。あくまで仮説ではあるが……

 家にはユーラやジュリが居るので弱い姿は見せられなかった。常に意識を張り詰めっぱなしで、身体は休められても心の底からの憩いではない。


 だから今、横に居てくれて気なんて使わなくていい存在が大変ありがたかったのだろう。

 多少の無作法はあってもきっと悪気がある訳じゃない。寧ろ命を救われたことは数知れず。

 そして力や知恵といった取り柄も無い自分に懐いてくれている。誰が悪いというわけでもないが、態度が軟化するのも致し方ない。



「いや、なんでもない。早く行こう」


「うん」


 ……今は無条件に呑み込むしか選択肢がなかった。


 横から心配してくれるライラにそう答え、心地よい風を掻き分けるように通りを進んでいく。

 日の光のもと、返す彼女の笑みには若干の邪はあれど、ごく普通の恋する少女と大差ない。


 彼が初めてライラの姿を認識した時から何も変わっていない光景。

 でも変化が訪れる。それはゼントの少女に対する気持ち、まるで初めて異性というものに接触したかのような気分だった。

 要は、ゼントがライラを意識してしまっていたのだ。そして髪飾りも、あくまできっかけに過ぎないけれども、印象を一新するのに一役買っている。


 ここまで意欲的に、自らの意思で行動するのは生まれて初めてだったのだろう。



 ◇◆◇◆




 しばらく、だがそう時間もかからず家の前までたどり着いた。ライラには少し離れたところで待っていてもらい、ゼントは魔術具を取りに行く。

 初めから家に来るのであればここを集合場所にすればよかったのだが、彼女なりにユーラたちへ配慮していたのかもしれない。


 玄関から直通の部屋に入ると――慌てた様子の二人が居た。ライラが近づいてきた気配に怯えて、というよりは……

 ただ疲れているらしく、まるで立った今まで何かをしていたかのように息を切らして、床の上に大胆に寝転がっていた。



「二人とも、何をしているんだ?」


「え!? 何もしてないよ……!? それよりもお兄ちゃん、今日のお出かけはもう終わり?」



「いや、必要な物を取りに来ただけだ。またすぐに出る」


「そ、そっか。行ってらっしゃい」


 試しに声を掛けてみると分かりやすく上ずった高い声が聞こえてきた。

 隠し事をしていることはすぐに分かる。しかしゼントは内容にあまり興味がない。

 だから魔術具を何とか背中に担いで運んでいる時、彼女らの冷ややかな視線の中でも物ともせず部屋を縦断する。




「――よし、今度こそ行こうか」


 足早にライラの元まで運んだ大剣を躊躇いもなく彼女へと手渡すゼント。

 いつものように漆黒の外套に身を包み、今回も準備万端だ。

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