第218話『変化』

 



「――そういえばゼント、依頼に行く前にやるべきことがあるでしょ?」



 それは、ゼントが急かして無意識にライラの手を掴んだ時だった。

 協会の窓辺から差し込む光に照らされながら、彼女は妖しい笑みを浮かべながら語り掛けてくる。



「え、それはなんだ……?」


「忘れたの? 私が使う魔術具を取りにいかないと……」



「ああ……そうか。えっと、でもそれのことなんだが……ちょっとその……」


「まさか、もう使わせないなんて言わないよね? 約束したでしょ? それに装備がそろってないといざという時、ゼント自身も危険に晒されることになるんだよ?」


 やんわり拒絶しようとしたのだが、初めから返ってくる言葉を予想していたかのように、瞳を光らせながら捲し立てる。

 同時にゼントの顔のすぐ目の前まで素早く接近した。強面に笑みを尖らせて。

 この時は不思議と恐怖は感じられなかったものの、近づかれて鼓動が早くなった。



 本当のことを言えば、ゼントは魔術具を貸す気が全くと言っていいほど無かった。

 なぜならライラは魔術具などなくても十二分に強い。能力を発動するまでもなく、それならば普通の武器で事足りるはず。


 それに盗賊の依頼、ライラが二回だけとはいえ慈悲もなく人を殺した時に抱いたのだ。

 血をとどめないあの大剣で、しかも恋人の形見で人殺しなんか二度とさせるものか、と。



 だけども昨日の出来事が尾を引いて、比較的どうでもいいことのように思えてしまっている自分もいた。

 人を殺すならまだしも、護身程度に持たせておくくらいなら……なんて、安易で本とかけ離れた思考すら生み出し始めている。


 ライラの調子を慮るに、断ると面倒なことになるのは目に見えていた。

 初めからそうと理解していて拒否する理由もないのであれば、強く拒絶する必要も無い。


 ある意味、接近された今の一瞬で意思が削がれたとも見て取れる。

 彼とて特段、思春期紛いの男子みたいに意地悪がしたい訳でもない。

 だから、こう返す以外の選択肢を取れなかった。いや、“取らなかった”と言うべきか。



「――そんなつもりじゃない。行くならさっさと取りに行くぞ」


 声は強気に出たように思えるがどこか弱々しく、ゼントの中に嫌な気持ちがあった訳じゃない。

 しかし達観したように焦点は遠く、広間の宙を舞う埃を見る。そして目を細めたまま自身にも分からない程度に小さく空気を零した。


 冷たくて熱い感情が交互に胸の内を撫でる。しかし決して中和せず、常に刺激がやってくる。

 生暖かく中庸ではないので精神的に休める日が一度もない。しかしこういった非日常を長い虚無の間に求めていたことも事実で……


 あらゆる言動の全て、ライラが為に流されつつあると心では理解していた。

 何処にこうなるきっかけがあったのかは分からない。仮に一つ、無理やり例をあげるのならばサラに言われた言葉。



『あのライラって娘を幸せにしてあげて――』


 かつての恋人を愛してないと言われたことも然り、虚構に塗れた気持ちにひずみが入った。

 あれからゼントは取り憑かれたように酷く悩む。毎夜、魘されるはずみにもなった。

 表には出さず整理も付けられない、だから余計に苦しい。サラのお願いとはいえ、積極的に聞き入れたいものでもない。


 でも少なからず、あの瞬間からライラの見る目が彼の中で変わった。確定的に吹っ切れたと言ってもいい。

 そして、短くも一緒に過ごした時間を経て地盤は出来上がっていたのだ。ならば後はほんの少し背中を押せば良いだけ。

 抵抗がないと言えば全くの嘘になるが、残る僅かな愁いも時間の問題だろう。




 ゼントはごちゃまぜになった思考を一旦呑み込み、宣言通りに行動へ移そうとした時――だがしかし、そうはさせまいとばかりに凛とした声が掛かる。



「――ちょっと、待ってもらえるかしら?」


 出口の方へ向いていた二人は声に反応して即座に振り返る。

 そこには、いつも受付の奥にしかいないセイラの姿が。

 相変わらず見目麗しゅう姿で、しかし今日は少々疲れた顔をしていた。



「わざわざ入り口付近まで……もしかして重要な要件か?」


「その通り。できるだけ手短に話すけどちょうど一昨日、遺跡の入り口のようなものが見つかったのだけど、どうやら未発見……」



「悪いけど断る。こうなると分かっていただろう、他を当たってくれ」


「それを承知の上でやってほしいの。少し前ならもう二組ほど充てがあったのだけれど……」


 彼女の話から推測するに、今この町には実力のある冒険者がいないとみえる。そこでこのゼント達に頼みに来たと。

 二組の宛てとはユーラやサラのいたパーティーのことだろう。となると今この両者には声を掛けづらいということ。

 パーティーの核となる人物が抜けて残りがどうなったのかは想像に難くなかった。つまるところ、兼ねがね聞こえてくる噂ではどちらも上手くいってないらしい。



「ならば近くの町から対応できる冒険者を呼べばいい」


「……そんなことしたら必要以上に高く付くわ。協会としてもなるべく出費は抑えたいの、分かるでしょ?」


 いつものゼントと比べると、返す声色も内容もどこか冷たいものだった。

 早く終わってほしい、俺は次に行きたいのだ、と言わんとしているかのよう。



「ゼント、早く行こう?」


 遮るように声を掛けたライラ、それは救済の一手たりえる。ゼントの後ろで縮こまり彼女にしては珍しく警戒感を露わにして様子を窺っていた。

 もちろん好機を無駄にする彼ではない。表面上は取り繕いながら陰でほくそえみ、流れるように協会入り口を後ずさろうとする。



「ん、ああ、分かった。そういうわけだからセイラ、俺たちは関与できない。とにかく、それだけだ……」


 相変わらず冷たくあしらう。軽い言伝のように言い残すと、そのまま風の如くセイラの前から消え失せた。

 塵の期待を前に残された彼女は一人、策略を巡らせながらぽつりと一言。



「どうしようかしら、これは相当に困ったわね」


 ゼントの後ろをちょこちょこついて回る少女を見て、鋭い目つきでため息を吐いた。

 だけれども、傍目からはそこまで困っているようにも見えない。

 冷たいという一転においてはこの女、セイラもなかなかに負けてなかった。

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