第217話『摩擦』

 



 家に戻ったゼントは一日の残った時間を、地面の上で横になり冷たい石の天井をぼんやりと見ながら過ごした。

 考えることはそう、彼女のこと。そして、ここに来るまでに感じたライラという少女へ抱いた感情について。



 帰って来た時、ユーラとジュリの仲が険悪になっていた。ユーラが跳ね上がったかのようにそっぽを向き、一方ジュリは申し訳なさそうに落ち込んでいる。

 原因はおそらくゼントが朝に連れ去られたこと。何があったのかはおおよそ想像がつく。

 玄関付近の荒れた形跡から、ユーラが外へ出ようとして、それをジュリが止めてくれたのだ。


 ユーラには不要な心配を、そしてジュリには恨まれるような役をさせてしまって申し訳ないという気持ちはありつつ。

 しかし、ゼントはそんなことにかまける余裕が無かった。故に帰宅と同時に駆け寄ってくる二人にすら色のない対応をする。

 荒んだ受け答えに、先程まで喧嘩していた彼女らも思わず顔を見合わせた。何があったかは答えず、少し休むと言って奥の部屋へ消える彼を訝しむことこの上なく。




 そして夕食時、ユーラが顔色を窺いながら語り掛ける。

 しかし言葉にはやや棘を織り交ぜて、掛ける視線は少々薄暗く。



「お兄ちゃん、今日何かあった? 特にあの人と」


「いいや、特に心配するようなことは何も。帰るまでに時間を空けすぎた、不安にさせてすまなかったな」


 謝意は伝えるも、求めていた回答ではないとばかりにユーラの顔は憤りが灯っていく。横で大人しく座るジュリも微かに頷いて目線を送る。

 だが考え疲れていたゼントにはどちらも感じ取るだけの気力はなかった。特に反応を表に出すことなく、俯いたまま食事を続ける。

 それを見たユーラはますます顔が険しくなっていく。



「お兄ちゃん、こういうことをいうのはユーラも嫌なんだけど、やっぱりあの女の人とは一緒にいないほうがいいきがするの。どうしても一緒に仕事する人が必要ならユーラが……!」


「――それは……きっとあいつの表面しか見てないからだよ。ちょっとでも話せばわかる。変わっているけど怖い人ではないよ」


 彼女はきっとライラの身勝手で強引な行動に嫌気がさしていたのだろうと、ゼントは思う。

 確かに、せっかくの休日を問答無用で台無しにされたのなら無理もない。

 彼自身、今日一日を振り返ってみても、何故ライラが荒っぽい行動に出たのか分からなかったが。


 しかし知りもしない他者を悪く言われるのは解せなかった。半ばむきになって明るい提案に被せながら返す。

 まだ長年と言うには時期尚早でも、短くない期間を一緒に過ごしてきている。

 そこへ他人が嘴を挟もうものなら、彼の気持ちも分からないものでもない。



 自身の説得が無意味だと悟ったユーラは眉を潜めて、でもそれ以上口を挟んでこようとはしなかった。

 ジュリの方はまだ何かありそうな面だったが、伝える術がないことを弁えて上に同じ。

 ゼントはゼントでそれでありがたかった。何しろ明日の件で頭がいっぱいだ。




 そして二人の心配を他所に、一人先に寝てしまう。明くる日、起きてからの半日も茫然自失と過ごす。

 途中、ジュリが心配そうに近づいて体を寄せるがそこまで取り合わず。ふと窓の斜光を眺めようとして、外で何か溌溂に作業しているユーラを発見しても流し目で。



「――ちょっと出かけてくる。夜までには戻るから」


 そして、とうとう昼前になるとそれだけを告げて街へ繰り出す。

 出かける内容を詳しく言わなかったのはこれが初めてだった。


 行ってらっしゃい、という言葉も待たず足早に外へ、追随する表情は晴れやかに。

 今思えば彼はこの時から既におかしかったのかもしれない。馴染んできたところで災厄が訪れるとも知らず蒙昧。

 ユーラとジュリは去り行く背中を見ながらどんな顔をしていたのだろうか。




 協会に到着したゼントは真っ先にあたりをしつこく見渡す。無論探しているのは彼女。

 ……まだ来ていないのか、とほんの僅かに落胆して、近くの分かりやすい場所で待とうと思い動いた。

 何時から待っているのかは知らないがいつも必ず、ライラは先に来ている。だから今日も居ると思ったのだが。



「――ゼント」


 しかし、思いも寄らない場所から声が聞こえてくる。耳元で甘い囁きともとれる声色。

 入口すぐ横の壁に張り付くようにライラはいたのだ。灯台下暗しとはよく言ったものだ。

 甘美で優しさが込められているようで、心臓を冷たく引き締められるような意識があった気がするが。



「ああ、びっくりした、何でそんなところに………準備ができているならさっさと出るぞ」


 口ではそう言うが然程驚いているようにも見えないゼント。気づくや否や、早く周りに人がいない場所へ行こうと催促する。

 その真の目的は、なんてことはない。ただただ髪留めを付けた彼女の姿が見たいだけ。

 昨日、我ながら自身の施しでここまでライラが生まれ変わるとは思いも寄らなかったのだ。


 依頼の選定は完全に任せっぱなし、内容を確認するようなそぶりも見せず。でもそれくらいの関係の方が二人には似合っているかもしれない。

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