第211話『嘆息』

 



 二人が席に着いて控えめな談笑もほどほどに。やがて運ばれてきたのはついぞ見たことがない比較的贅沢な料理だった


 主菜の鳥肉は丸々一匹。卓に並べられた時初めに感じたのは鼻の奥をくすぐる香り、臭みを取る香草も相まって上品さが増している。

 皮は表面が軽く焦げてちょうどよい歯ごたえを視覚で伝え、切れ目から見える肉汁は内部の柔らかさを想起させた。


 その他にも彩の添えられた副菜、汁物などが振合いよく配膳されている。

 二人で食べきれるのかと思えるほどの量、余ってもその思惑の裏にはライラの腕を触った時の細さにも起因している。

 要するにもっと食べて力を付けろということだ。彼女にはこれ以上必要ない気もするがあまりの細さにひっそりと心配していた。



 仕事が暇だったのか店主の肥えた男が直々に運んでくる。短髪の黒髪で、少しでも料理に文句を付ければ店の外まで投げ飛ばされそうな体と顔つき。

 彼はその見た目に似合わず、いつも常連客には気さくに話しかけてくるのだが本日はそれがない。二人の関係を察してあえて声をかけないでいてくれたのだろうか。

 しかしゼントの身なりは以前来た時よりもだいぶ悪い方向に変わった。単純に店主が分かってなかった可能性の方が大きい。




「――どうだ? 美味くないか? ここの料理、量はさることながら味や触感までにも気を配っていて、それは食材の質にも気を使っていて尚且つ店の雰囲気も落ち着ける感じで――……」


 それは店主が離れて二人きりの空間が現れて、切り分けた欠片をライラが一口食べた瞬間だった。

 聞いてもないのにゼントの口は止まらない。語りたくて仕方がない子どものように無垢な輝きが灯っている。

 彼は本来、味の違いが分かる人間ではない。しかし様々な食事処へ連れて行かれていたのだ。だからここらでこの店が一番だと分かる。


 だから自信を持ってライラに勧められたし、彼女も間違いなく笑顔で頷いてくれると確信していた。

 しかし彼は買い被りすぎていたのかもしれない。



「――うーん、あんまり分からない。いくらか食べやすい気はするけど……」


「え?? そ、そうか……??」


 予想外すぎる返答に一瞬思考も体も固まり、目を丸く引きつった状態を形成した。。

 舌が肥えてないというのもあるのだろうか。しかし嘘偽りのない純然な評価が常に正しい影響を与えるわけでもなく。

 おどおどとしながらも繕おうとするが出てくるのは枕詞のように、必然と連なった空虚な言葉だけ。まるで失恋した気分だ。



「ま、まあ、そんな時も、あるにはあるんだろう……」


「ゼント? なにか落ち込んでいるの?」


 過失、というほどではないが自身の仕出かしに気づいていないライラだった。

 しかし彼女は本当に分からないのだ。他人との関わりが少ない故、自分の好きな物が認められないという経験をしたことが無かったから。

 純真無垢、必ずしも責めることではあるまい。落ち込みながらだが気持ちを伝える。



「それは、ライラがあまり楽しんでなさそうだからかな」


「じゃあもっと楽しそうにすればいい?」



「演じて慰み者みたいにはならないでくれ。余計に悲しくなる」


「うーん?」


 ……期待した自分が悪いのだろうか。未だよく理解していなさそうなライラを見て項垂れながらそう彼は思う。

 まだ始めたばかりだというのに食事を進める手も途端に落ちぶれた。味はまだ感じるのが幸いか。



 加えてこれは当然のことだったが、彼女は食事の作法もぞんざいだった。初め小さくきれいに肉を切り分けたので失念しかけていたが、元来ライラは野生に生きるために長けた人間。

 子どものように食べ散らかすことは無かったが……でもスープを皿ごと傾けて、しかも直接口を付けて飲もうとしたり、丸ごと肉にかぶりついたりするのは勘弁してもらいたかった。


 何かを間違える度にゼントは細かく指摘する。一度言えばその後は直るのだが無作法の数があまりにも多い。

 思えば食事をしている姿を初めて見た。今まで誰にも言われたことが無かったのだろうけれども。

 色々な意味で今後が心配になった。その後、二人は会話もなく大量の料理を片付ける。



 ◇◆◇◆




「――俺もそろそろ文字を覚えるべきだろうか」


 それは出された食事を一通り平らげ、食後に席でゆっくりくつろいでいる時。ゼントは窓の外の通りを眺めながらふと呟いた。

 今まで覚えてなくても何とかなってきたが今回の件で思い直した。周りを見ても識字がなっていないのは己だけ。ユーラは当然、もしかしたらジュリも扱えるかもしれないのに。

 誰に対して言ったわけでもない。ましてや答えが返ってくることも期待していない質問だったのだが――



「――必要ない」


 と、優雅に食後の茶をすすりながら、ライラは目を瞑りながら答える。瞳は見えずともはっきりとした意思の籠った声だった。

 その立ち振る舞いだけ見ればまるで貴族のよう。付け焼刃のように作法を教えていくと終わる頃にはこの有様だった。


 剣の扱いを教えた時にもゼントは感じたが、ライラは要領がかなりいいのかもしれない。

 そんな彼女の言うことなのだから余計に理由を知りたくなって尋ねる。



「なぜそう思うんだ?」


「今回みたいに私が読み上げて教えてあげるから」


 決まり文句のように淡々と告げるライラ。

 口元には緩んだ口元が薄っすらと浮かぶ



「でもいつでも俺たちがそばにいるわけじゃないし、それにわざわざ毎回呼んでもらうのは……」


 それに家にいればユーラにでも読んでもらえばいい。


「必要な時は必ず傍に居る。それに必要なら何度でも読み上げてあげる」



 それでもライラは頑なにそう言って譲らない。表情は口角が上がり少し喜んでいるようだった。

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