第212話『安息』
それからしばらく経つとゼントはライラと二人、店を後にして通りを練り歩く姿が見られた。
彼は朝から満腹になって、しかし気分が優れていない様子。原因は言わずもがな。
ライラのせいで気分が台無しだと悪態をついてもいいのか、久しぶりに懐かしい味を堪能できたから良しとするのか。
表立って感情を荒げるようなことこそしないが、複雑な心境であることには変わりない。足取りはいつもより覚束なかった。
その隣で歩調を合わせて、ゼントの腕に引っ付くライラはどうやら無心らしく。
富裕層の街区には来たことがないのか、いつも以上に辺りを見渡していた。
そしてこんな時に限ってゼントへの察しが悪く、更に不愉快にする言動を投げかける。
「それでゼント、今日はこの後どこへ行くの?」
「あのなライラ……本来大まかにでも予定を決めておくべきなのはお前なんだぞ。なぜ全て俺任せになってるんだ? 少しはそっちでも考えてくれ」
「それはそうかもしれないけど、私よりゼントの方が町に詳しいでしょ?」
「……はぁ、だからってそんなすぐには思いつかん」
珍しく真面な理由を返されて反応に困るゼントだった。これでは言い返すこともできない。
確かに、町に主だった娯楽施設があるわけでもなければこれは必然か。今から通りに行って買い物しにいくにも何か違う気がする。
彼は無意識に恋人との想い出を振り返った。しかし二人で明確にお出かけと称する記憶がない。
思えば彼女とは毎日一緒に行動していたし、いわば常に逢引しているようなもの。精々、依頼で町の外の美しい景色を見ることはあったが。
そういえばと、北西にある教会前の庭園は息を呑むほどに美しかったことを思い出す。
しかし行ったところで、神官長にこのユーラをほったらかしている姿を見られたらどう思われるだろうか。故意ではないとはいえ後ろめたい気分になる。
ともすれば他には……
「――じゃあさ。ちょっと今から町の外へ出てみない?」
意識を過去へ向けたり予定を考えあぐねてたりしていると、ライラが語り掛けるように首を傾けて訪ねてきた。
その少し企みを蓄えたような、にやけた笑みを見て嫌な予感がしたがそこまでひどい提案ではなく。
ちょうど思案していたことなのだがそれには致命的な問題があった。
「俺は外に出るための装備を何も持ってない。依頼でもないのに魔獣に襲われたいのか?」
「少しほんのだけだよ。それにもし魔獣が出ても私が居れば大丈夫でしょ?」
「………じゃあその時はしっかり有言実行してくれ」
胸を張って言い張る彼女にゼントは、溜息が出そうになったが意識的に止めた。今回は呆れるような内容でもなかったから。
家に戻って整えても良かったが説得に圧されライラの案を了承する。それは彼女という個人への信頼の表れでもあった。
彼女の言はいつも言い訳がましい内容だったが、今回は珍しくゼントが終始圧倒されていた。これは成長と言えるのだろうか……
終始手を引かれ成されるがまま、ゼントは町の門を越え外に出る。
着いた先は町から歩いて数分の場所、街道から少し外れたゆったりと流れる川のほとりだった。
遠くを見れば山脈が山頂の雪が岩肌を覆い、厚い凍てつく氷が雷と共に吹雪いていることが分かる。
しかし対照的に、今いるここは川の周囲に程よい林が広がっていて、その一角に作られたかのように明るい色の芝生と木陰が広がっていた。まるで小さな楽園のよう。
ゼントは初めてくる場所だった。こんなところがあるとは、一人になりたい時に来てもいいかもしれない。
「で、ここまで来たわけだが一体何をする気なんだ? 綺麗な場所ではあるけど、皮もあるしまさか釣りでもしようってか?」
「何もしないよ。ここでただのんびり寝転がるだけ。私とゼント、二人きりで」
聞こえて、ゼントは思わず首を傾げる。想像してなかったわけではないが、あまりライラらしくないと考える。
なぜなら生き抜きなんぞライラがする光景があまり思い浮かばない。ずっと合理性の狂信者みたいな思考をしていると思っていた。
人としては至極当たり前のことなのだが、隠れていた新たな一面が垣間見えた気がする。蛇足と承知で述べるなら最後の一言は別に要らなかったよう気もするが。
周囲の安全が確保していないことにも構わず、勢いよく倒れこみ芝生の上で横になる。そして無責任に手招きするので、ゼントも真似て座り込んでみた。
今日は青天の陽気が立ち込めて、だが水が近く直射日光もないのでかなり涼しい。ふと空を見上げるとゆっくり流れる雲が杳として視界の端で映る。
自分にはユーラのために生きるという使命があるのに、こんなにも穏やかに過ごしてしまっていいのだろうか。
しかしまあ、たまにはこんな日も悪くないと思った。ジュリの件然り、体は大丈夫でも精神的にまいっていた故。
寝転がるのが予定だというのなら特に抵抗はせずにそうしよう。
天を仰いだ状態でゆっくりと背中を後ろに倒れる。まだ午前中だというのに眠くなってきた。
ライラも隣にいるしこのまま木漏れ日の最中で眠ってしまおうか。頭の後ろで手を組みながら、だんだん目を細め遠くを眺めるようになっていった。
しかしゼントはその彼女といて何もない事の方が稀有だということを忘れている。
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