第209話『沽券』

 



「――ゼント、どこへ行くの?」


「もうすぐ分かるのだから聞く必要なんてないだろ」


 町の隙間を縫うがごとく、人の少ない細い通りを颯爽と先導するゼント。

 あまり視線に触れたくないというのもあるし、長年居住してきたからこそ分かる近道でもあった。

 どこへ行こうというのか、それは休日のお出かけとして理想的とは言いづらいかもしれない。


 ルブアなんて所詮帝都からは遠く離れて、地方の田舎町もいいところ。景観が良くなければこれといって観光資源もない。

 例えば町の外へ一歩でも出れば複雑な地形を流れる滝、色とりどりの鉱石が照り輝く洞窟、頂上からの眺めが奇麗な足引きの山など。

 幻想的で美しい手付かずの大自然が広がっているのだが、それは同時に魔獣から襲われるという危険も生み出す。



 となると大まかな場所は決まってくるのだが、町中だけで良いところとなるとごみ山の中から僅かでも使えるガラクタを掻き集めるようなもの。足掻いたところで結局はそこら辺の塵芥と変わらない。

 しかし選択肢が少ないからこそ優柔不断にならず、すっぱりと決められるというもの。自由とは即ち不自由でもあるのだから。


 とある境界線を抜けるとルブアはまた違った一面を見せた。それは町中央の富裕層の空間。

 商人や上流階級の人間の居住地として建造物もレンガや石造りが多く、町中でも屈指の見栄えを誇る。それでも少し大きな町へ行けばありきたりな風景なのだが。



 なにはともあれゼントの目的地はその中央の一角、素朴な外観の店にある。周囲の外観と比べても特別何かがあるわけでもなさそうだ。

 とはいえ場所的に品のある店には違いない。少し身構えて入ってみると――



「――いらっしゃいませー。お好きな席へどうぞー」


 店員なのだろうか、軽快な若い女性の声が着席を促してくる。窓際から差し込む光は雑多な店内を朗らかに包み込んでくれていて、加えて安らぐようなゆったりとした時間があった。

 規則正しく並べられた沢山の机や椅子は、どれも木製で同じ彫り装飾が備え付けられている。壁や床の整った石畳は少々味気ないが、市井よりは清潔感があって良い。

 そして奥の暖簾が掛かった空間からは入店した時より感じられる涎が出てしまいそうな匂い。もはや味を感じ取れる。


 ここはそう、ごく普通の飲食店だった。変わったものも特にない。強いて言えば、この世界の基準だと少しばかり高級であることくらい。

 店に入ってきたら挨拶してくることがその何よりの証拠だろう。冒険者ばかりの酒場なんて店主に睨み付けられることすらある。

 でもここなら酔っぱらいのいざこざに巻き込まれることもなく、ゆったりと落ち着いて食事ができる。その分値段は少々張るが。




「――なんでここに来たの?」


 ライラは店に入った瞬間やや圧倒されていたような、しばらく状況が呑み込めずに心ここにあらずといった様子だった。

 そんな放心しきった状態でも疑問に思ったことはしっかり聞くらしい。



「……俺は誰かさんのせいで朝食もまだなんだ。腹ごしらえぐらいしてもいいだろう?」


「違う、そうじゃなくてなんでわざわざこんな遠くのところに?」


 ライラの指摘はごもっとも。ゆっくりくつろぎたかったのだとしても、こんな中心街でなくとも静かな場所ならいくらでもある。



「…………はてなんでだろうなぁ、俺にもよくわからん。きっと空腹で何も考えてなかったんだろうさ。まあ来てしまったんだからとりあえず席に着こうじゃないか。俺は腹が減ってるんだ」


 とぼけるように答えるゼント。目の焦点は正面ではなく、どこか遠くの栄華を見るように合っていた。

 しかしこの場所が初めてのはずがない。ここに至るまでの様子を顧みれば明らかに知っていてこの店へ入っている。

 詮索するにしても何やら込み入った事情があるようで少々聞きづらい。



「もう一回聞くけどなんでここに来たの?」


 流石はライラ、良くも悪くも空気を読むということを知らない。

 懐古に勤しむゼントをものともせず疑念を投げかける。



「知っているかライラ、人ってしつこいと嫌われるんだぜ」


 邪魔をされたことにややがっかりしながら、呆れた小さいため息を吐く。

 大通りで立ち止まった時点で予定を組んでいないことに託け、帰ると言いつけて戻っても良かったのかもしれない。

 しかしその後悔も過去の話、懐かしい雰囲気を噛みしめながら適当に奥まったところの席へ着く。ライラも黙って続いた。



「あ……」


「? どうしたの」


 そして席に着いたところで彼はとんでもないことに気が付いてしまう。

 もし一人でこの店に入ったら料理一つ頼めないであろうことに。

 金を持っていないわけではない。重大なことは他にあった。



「――ライラ、ちょっとここに載っている料理名を読み上げてくれないか?」


 焦り顔を浮かべる彼はそう……文字が読めないのだ。これほどの街区ともなれば住人の誰しも文字が読めて当然。故に献立表には文字しかない。

 低級の飯屋であれば料理名を言うだけで済んだ。店主がありあわせの食材で作ってくれるからだ。しかしこの場ではそういうわけにもいかない。

 店に入ってからは少し恰好を付けていた部分もあるのだが、大事なところで示しがつけられないゼントであった。

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