第203話『読心』
「――まあ、なにはともかく、これでお前との約束は果たされたことにはなるか?」
「……ええ、もう十分です。早く彼女を安全な場所に戻らせてください」
喧噪の隅に物悲しげな声が聞こえてくる。現実を受け止められずに、間違った形で適応してしまったフォモス。
それだけを言い残して束の間、気づいた時にはそこに彼の気配は残っていなかった。
これから今日をどのように過ごすのか。気持ちを整理する、あるいは逃避して全て無かったことにするのか。
想い人だった少女の名前を呼ばなくなった。そのことからもいくらか心情が垣間見える。
ゼントは彼のために何かができる訳でもなく、精々言われた通りユーラと一緒に家に帰ることくらい。
頬に光射す彼女の肩を優しく叩いて起こし、家路に就こうとする。
「ユーラ、もう目をあけていいよ。」
「え……!? お兄ちゃん、ユーラになにかしたの?」
目を見開いて周囲の状況を察知した彼女は、なぜか狐につままれた顔でゼントを見上げる。
下手に忠告をしたせいで必要以上に身構えてしまったのかもしれない。そう思い何をしていたのかを包み隠さず話した。
「何もしてないよ、どうしてもとある人とここで話さなくちゃいけなくて、それで一時的に外界の情報を遮断してもらったんだ」
「…………ふーん、そうなんだ」
しばらくの沈黙の後、それは最近にも聞いた興味無さげな返事だった。視線は斜め下の虚空へと寄り、訝し気に憂鬱。指と指とを擦り合わせてあまりにも不満げな表情をしていた。
なんとなく、フォモスと同じような感情が込められていた気がする。そうでなくとも楽しいはずもないのだが。
その奥まった顔を見た一瞬だけ、心臓に針を刺されたような痛みを覚える。
まるで自分の中の良心が警鐘を鳴らすかの如く、胸の内側に鈍痛を齎す。
しかしその理由にまでは気づけず、冒険者の癖ですぐに呼吸を整え無かったことにしてしまった。
「今日はもう寄り道せずに帰ろう」
「……うん」
――素直に従ってはくれたものの、その後家に帰ってからもユーラはずっと不貞腐れていた。
夕食の時間になってもそれは変わらず深く考え事すらしているようで、久しぶりにゼントが作ることになる。
新しく食材を仕入れることができなかったのであり合わせにはなるが、それでもジュリのために工夫は欠かさない。
食材を肉野菜問わず一口大に切り揃えた。また、汁物には具を少なくしておく。
全ては言わずもがな、ジュリが咀嚼しやすくするためだ。仲間外れみたいになるので全員に同じ食事を出す。
料理が完成すると食卓に並べてすぐに二人を呼んだ。
ジュリに関しての隔離はお願いすると昼間のうちに解除された。あれほど頑なだったのになぜ許してくれたのかまでは理解できず。
でもこれで一緒に机を並べられることにはなったが、一日ぶりでなんとなく話しかけづらい。
向こうとしてもやはり行動を起こしたくないらしく。食事中、ゼントが彼女に食べさせているにもかかわらず視線を合わせようとはしなかった。
心なしか食事の速度はいつもより遅く。もともと食べにくそうだったので完食はできても時間が掛かった。
鋸のようにギザギザした歯は食材をすり潰せず、口内で細かくするには切り刻むしかない。よってたくさんの咀嚼のために時間がいる。
かといって流動食のようにすると顎の筋力が衰えて、固いものが一切食べられなくなる恐れがあった。
だからおそらく人間でいう一口大がちょうどいい。小さくした食べ物は舌を使って器用に喉奥へ流しこんでいるのが見えた。
さて、ユーラは一人で先に食べ終わると意を決したように話しかけてきた。
しかしまだゼントらはまだ食事途中、完全に意識を割くことはできない。
「――ねえお兄ちゃん、ちょっといい?」
「ん? 言いたいことがあるなら遠慮なく言ってもいいんだぞ」
「…………えっと、その……」
改まった態度で言葉を促してもユーラは未だ言い淀んでいる。
同時にちらとジュリの方に視線を遣った。ゼントに世話されている彼女の方を。
そして、大量の寂しそうな感情を瞳の奥にしまわせてこう言った。
「ううん、やっぱりなんでもない。でもジュリと一緒にいてつらいなら……」
「気遣ってくれてありがとう。俺はもう大丈夫だから」
「…………そっか、じゃあユーラはもうねるね。おやすみなさい」
何気ない言葉を返すと、ユーラはそれだけを言って逃げるように隣の部屋へ行ってしまった。
一連のやり取りが理解できず、また頭を抱えることになったゼント。
こんな時だからこそ、人間の心が読めたら……なんて思う彼であった。
……そういえば、ジュリになって得た能力の一つに、他人に思考が感情と共に読めるものがある。
故に二人の互いに関する感情も、自分に対する気持ちも、余すことなく網羅していた。
ゼントが既にジュリという存在を赦してくれていることや、ユーラが兄に向ける感情の全てを。
しかし理解できるからといって言葉を紡いで伝えることは叶わず、教えられることも身振りだけでは相当に浅い。
常人なら悶絶した日々を送るのは必至。しかしサラとしての人格は意外と淡白で、もう諦めて傍観者と成っている。
だが、もし誤解が重なって互いに憎しみ合うようになったら……その時は自分が命を落としてでも鎮める覚悟があった。
――それだけ二人へ感謝が彼女にはあるのだから。
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