第197話『精到』
「――ところで、いつまで手を握っているつもりなんだ?」
会話がひと段落してゼントは引っかかっていたこと切り出す。
それはライラに先程からずっと手をもたれていること。いつの間に握られている。
よって二人の体の距離は付かず離れず、絶妙な間を保っていた。
「握ってちゃダメ?」
子どもの駄々のようにライラは強請り、目で強く訴えてくる。
しかし一度許すとこの先延々と付き纏われそう。返って来た反応は冷淡だった。
「……必要ないだろ?」
正論をぶつけるとすぐに少し強く握ったものの、その後黙ってゆっくり手を放してくれる。表情はどこか名残惜しそうに。
彼女はたまに融通が利かないことはあるけれども、大体の言葉は聞き入れてくれた。
だからゼントの性格を思えば、今までの厚意から次の言葉が出てくるのは必然だったかもしれない。
「まあライラは……その、何か俺にしてほしい事とかあるか? これだけ色々してもらったのに、流石に名前の呼び方だけだと少なすぎる気がして……」
よせばいいのにゼントは自ら申し出る。例え互いに望んでいなくても、今までしてくれたことに少なくとも感謝しなくてはと感じたから。
加えて近づいて来た時に良からぬ恐怖を覚えたこと。これに少しばかりの咎の意識を持ってしまった。
そして、誰としたかも忘れてしまった約束を果たすため。
「……もしそうだとしても、それはゼントに任せるよ」
相手からすれば勝手に罪悪感を覚えて、勝手に謝ってきているようなものだ。
都合がいいと思う場合もあれば、全く想定していない場合もある。
その通りとは限らないが、ライラはあまり興味無さげに返した。
「……うーん、すぐにはこれといって思いつかない。本当に何もないのか?」
「じゃあ……何か物を私に頂戴」
「――物?」
「小物でも何でもいいよ。ただ形が残る贈り物がいいな」
改めて聞いた瞬間、ライラは目の色を変えて即答する。まるで初めから回答を用意していたかのよう。
一つ前の色即是空はどこへ行ったのか。構えるくらいなら初めからそう言ってくれればいいのに。
顔を少し傾けて、斜め下から見上げながらライラは要求する。見せる白く尖った歯で情悪な嫣然を醸し出しながら。
黒髪が重力に引っ張られ、長々しく綺麗に映える。まるで狙っているかの体勢、しかし本人はおそらく気にしていない。ただ試しているだけ。
対してゼントは眉をぴくりと動かし方だけ、でも大いなる進歩には違いない。
一方ゼントは贈り物といってもいいものが思い付かなかった。そういえば、と遠い昔に恋人へ送った品物を思い出す。
しかしお洒落に身に着ける小物だとしても、彼女に着飾る趣味はなさそうだ。ならば冒険で必要になる実用的なものか。
「……妥当なものを考えておく」
結局、具体的な物を考え付けなかった。ライラに見合うだけの贈り物など、本当にこの世にあるのかすら疑わしい。
彼女は満足そうに数回頷くと、一先ず用事は終わったとばかりに踵を返してあっさり去って行く。
心なしか足取りは軽く、髪を揺らして歩く後ろ姿からは陽気な様子が筒抜けになっている。
何しに来たのかと言われればそうなのだが、最終的に依頼の件を置いてくれたことは正直彼にとってありがたいことだ。
本当はジュリが怖がるのであまり長居はさせたくなかったが、つい自分の意思を優先させてしまう。
まだ家を空ける気にはなれない。少なくともジュリの件が解決するまでは。
そしてふとゼントは会話を振り返った時に気づいてしまった。自分は恋人と同じ名を口にしたが、そこまでの抵抗がないことに。
あれほど躊躇って頑なに意識してきた割には、感情の揺らめきが無いに等しい。
自分は本当に彼女を愛さなくなってしまったのか、あるいは……
……いったんこの話は置いておこう。今後思い出さなくていいまでもある。
ゼントは頭を抱えながら玄関から部屋に戻った。
そしてもう一つ、そこはかとない違和感に気づいて小さく声を漏らす。
部屋に何故かジュリに対して感じていた蟠りが頭から消えていた。
先程の行為で流れて行ってしまったかのよう。
自分は今まで何に悩んでいたのか分からなくなっている。
もしかしたら、サラに対する執着が薄れてしまったが故に、その彼女に危害を成したと思われるジュリへの感情も薄れてしまったのかもしれない。
しかし今はどうでもいい考察なんか不要だった。ここ数日での悩みの大部分が吹き飛んだから。
結局は全てライラの言う通りだった。過ぎ去った出来事にもう意味などないのだ。
然らば、自分がするべきなのは過去の断罪ではなく、これから自分の欲を自らの手で暴くべき。
そう考えて意気揚々と室内に舞い戻る。行先はもちろんジュリを隔離した部屋。
彼女と会って宥めて、今度こそ正しく話をしなければなるまい。
しかしそんな彼の前に立ちはだかり、瞳を曇天に染める少女が一名、居た。
「――お兄ちゃん、こっちの部屋にはいったらだめだよ。いまはそうしたくても我慢しなくちゃだから」
一見、安らかな笑顔にも見えるがその内なる秘められた感情は計り知れない。
そしていつの間にか、手首を固く強く、そしてけたたましく掴まれていた。
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