第192話『瓦解』

 



 ――辺りは騒然となっていた。


 決して騒がしいわけでもないのに、空気は熱線じわじわと焼き切られたかのように物々しい。それは誰でもない、部屋にいる一人の男から醸し出されていた。

 ジュリはそれに気が付いてますます怖気づいてしまう。思考が読み取れるとはいっても、これから語られること全てまでは見通せなかった。


 今日の天気は快晴、解放された窓から差し込む光が部屋を暖かく包み、流れる雲が時折、視界で不穏を抱かせる。

 ゼントは時機を見計らい、そして事前に考えていた通りに、迷うことなく話を切り出す。




「――俺は昨日の夕方、直接サラと会って話をしてきた」


 混じりっけなしの真っ直ぐな言葉だった。ただ彼女と会ったことを伝えるというだけ。

 しかし、ジュリの碧い瞳は刹那の合間に大きく見開かれる。彼女の手足は無意識のうちに痙攣していた。

 そして咄嗟とも言える速度でまるで何かを伝えたそうに詰め寄ってくる。体全身で恐怖を体現していた。



 ……てっきり全ての悪事が明るみにされると悟ってすぐに攻撃してくるのかと彼は思った。本当にジュリが魔術具を奪ったのだとしたら……

 だがどうやら違う、なぜだか首を常に左右へ振り続けている。


 ここで敵対反応を見せてくれたら、今すぐにでも切り捨ててサラとの約束も円満に果たせるというのに。この為にこっそり服の裏地に刃物を仕込んでいたのだが無駄になる。

 このままではどちらも幸せにならない決断を下さねばならなかった。



「ジュリ待て、何か言いたいのは分かるが俺の話が先だ」


 後ろに押し倒されそうな勢いで彼女が詰め寄ってくるので、若干拒絶の意思を見せ言葉で制しようとする。しかし彼女はどうしても言いたいことがあるのかをやめない。

 横にいたユーラの瞳もどんどん濁りを増してゆく。事情を知らないとはいえ、見ていられなかったのかもしれない。

 その様子を見ていたゼントは嫌な予感がして、仕方なく大きな声を出すと共にジュリを固く押し出す。



「――ジュリ!!」


 まさか押し返されると思っていなかったのか、案外簡単に自己防衛できた。

 言い方がきつかったことに少し罪悪感を覚えながら、しかし対話をするためには仕方がなかったと呑み込む。

 その様はまるで飼い犬が飼い主に叱られている様だった。気圧された彼女は顔を重い空気にしな垂れさせ、それでも愕然と開いた口は塞がらない。



「今から話すことはそこで聞いたことの全てをジュリに確認したかったからだ。別に俺はお前をどうこうしようとは思っていないし、多分本気襲い掛かられたら怪我をするのは間違いなくこちらだから」


 一旦、落ち着けた部屋の中で概要を語る。あくまでジュリの方が立場は上と明言して。

 実際彼が言う通り。冒険者として並の彼が、身体能力で圧倒的に勝るジュリをどうにかできるはずがない。

 それほどまでに亜人の体は頑丈だった。あの豪雨の夜にも全力でやりあって致命傷を与えたと思っていたのに、彼女はほとんど無傷だったのだから。


 なんならこのまま逃げてしまうという選択肢もある。彼としてもこのまま落花狼藉を仕掛けるよりはいい。

 しかしジュリは一心不乱に見つめ続けており、ずっと首を横に振り続けていた。

 行動が否定、ということが理解できても、それが何に対しての否定なのかは分からない。



「それでだな。俺はお前がサラに何をしたのか聞きたいんだ」


 構って考察しても意味がないと、ゼントは彼女の奇行を無視して本題に入り始める。

 話し始めると、もうジュリは全ての行動を諦めたかのように俯いてしまった。でも耳はしっかりと声の方へ向けている。



「何故、魔術具を持っていたのか。改めて教えてくれないか? サラから奪ったんじゃないのか?」


 遠回しせずに放った質問、ジュリは強い疑念の籠った声を不快そうに聞いている。

 彼が自分にどういった感情を向けているのか、よく理解しているからこそ視線を合わせられないでいた。

 名前もまともに呼ばれなくなったのがその分かりやすい証左だろう。


 本当にどうしようもなくて、何も伝えられなくて、仕方なく彼女は俯いたまま首を振る。

 彼にどう思われようが、自分は真実を伝えることしかできない。



「うん……こうなると思っていた。感がいいならもう気づいているのかもしれないけど、サラはお前に魔術具を奪われたと言っていた。でもお前は以前言ったよな、少なくとも奪ったわけではない、と。それにサラが町を離れた理由もお前のせいだと言っていた……」


 ジュリは首を垂れたまま、また弱々しく首を振る。それは力なくも否定し続けているようにも、場合によっては降参という意味にも取れてしまう。



「何かの間違いだと俺は思いたい。でもそれが真実で、他にも嘘をついているのだとしたら、少なくともここにいてほしくない。だから俺はここで足踏みすることしかできないんだ」


 事態はゼントが思っているより深刻で複雑怪奇だ。いや、知っている者からすれば滑稽で単純だろう。

 まさか彼の探し求めていた存在が目の前に、そして自らで問いただしているとは思うはずもなく。


 ジュリも伝えられるものならそうしたい。しかし喉も、指も、容姿までも潰されてしまったらどうしようもなかった。

 仮にゼントが亜人嫌いであったならば、問答無用で弁解の余地もなく、想い人その人に殺されている。まるで悪意を全面に、加えて容赦なく曝け出した呪いのよう。


 そして掛けられた呪いはもう一つ。本人すら未だ知りえていない、抜け目のないものがもう一つだけ。

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