第191話『無縫』
ユーラとの話し合いを得て、少しは信頼を取り戻せただろうか。
しかしゼントはまだ安心できない。それは彼女の項垂れ地面を直視する様子を見ていれば分かった。
何かが起こる前に芽を摘み取ってしまおうと引き続き彼女に語り掛ける。
「最後にユーラの今思っていることとか、感じている不安とかを教えてはくれないか?」
「……ユーラもね。いままでのお兄ちゃんのことをみていてわかってはいたの。多少の我儘ならゆるされるかもって……。でも頭では理解できても、こわくて体がどうしてもうごかないときがあって……たとえば“おねがい”したいことがあっても、声がいうことをきかないの……」
優しく笑顔で尋ねると、ゆっくりとだがユーラは伝えようとしてくれる。
会話をしているというのに目線をたまにしか合わせてくれないのは、嫌でも感じてしまう恐怖故か。
その口ぶりからゼントは察してさらに深いところに聞いてみる
「もしかして今、何かお願いがあるのか?」
「いや、い、いまは……だいじょうぶ。でも、決してお兄ちゃんを信じてないわけじゃなくて……!! これは、また心の準備ができたらいうから」
尋ねられたユーラは途端に慌てだして、胸に手を当て待ってくれと必死に訴える。
顔を赤らめ何かをひた隠しにしている様子に、寛容にもう一度優しく微笑みかけた。
「そうか……じゃあ、楽しみにしておくよ」
ここで言ってくれないのはおそらくまだ信頼関係が固いものではないから。心の準備とやらは並々ならぬ配慮があった。
ゼントはそう悟り、胸の中で深いため息を吐く。しかしきっとこれは放置していた自分が悪い、と仕方ないと区切りがつけられる。
もしかしたらまた、昨日のようなことを繰り返すのではないかという心配が頭を過った。だからこそ慎重にもなって言葉を綴る。
「最後に一つだけ俺の心境を伝えると。ユーラはその我儘を言うのが今も怖いのかもしれないけど、同時に俺もそれくらい、ユーラの願いが分からないのが怖いんだ。だから我慢なんてせずに勇気をもって言ってほしいんだ」
「うん、いつか近いうちにきっと……」
信念を賭した語り口でも、ユーラの心は打ちひしがれることなく。固く閉ざされ開く兆しすら見せてはくれない。
どれほどの大きい願いなのか気になるとともに、もしこれで些細な内容であったなら、今度はこちらが正気を保てるのか分からなくなってくるだろう。
結局、そんなこんなでユーラとの対話に区切りをつけ、ゼントは会話を終わらせる。
お願い……彼女の口から出たその言葉に彼の表面は静かでも心には波風が立っていた。
それはサラからされた片方のお願いを少し思い出したから。
ジュリを殺す、または報いを受けさせる。という残虐行為をしてほしいと言われている。
仮に後者を行うとして、例えば家から追い出したりすれば彼女の願いは達成されるのだろうか。
「ユーラ、お願いがあるんだけど。隣の部屋からジュリを呼んで、少し二人だけにしてくれないか?」
「なんで?」
兎にも角にも、話を聞かないわけには……
いや、聞かなければなるまいと感じた。
それは誰でもない、ゼント自身の意見だ。
しかし話し終えたユーラに頼むと、疾い返しで質問を投げかけられる。
湿り気を帯びた眼差し、しかも大雨が降った川のように濁っていた。何かしらの不満があることは明白。
しかしゼントは考え事をしていて気づかず、普通の返しをしてしまう。
彼を責めるものでもない。思考はとっくに常人の受容力を越えているのだから。
「どうしても二人きりで話したいことがあるからだ」
「……じゃあユーラも一緒にいる。それならいいよ」
「いや、そうじゃなくて……」
「ユーラも! 一緒に! 居る!!」
その返しにゼントは一瞬首を傾げ言い直そうとすると、ユーラは一言放つたびに息を吸う凄まじい声量が耳に入る。
そこまで来て彼は振り返りようやくユーラと黙って顔を見合わせた。先ほど和やかになったばかりの表情が反り返った山のようになっている。
程なく、自分が何かを仕出かしたのだと意識した。ユーラの
「……もしかしたらユーラにとってつらい話になるかもしれないぞ」
「それでもいい! 一緒にいる!」
意思の変異がないことを確認すると、気がかりになりながらもこれを了承した。
仕方なく立ち上がり自分でジュリを呼ぼうとすると、彼女は既に部屋の入り口から心配そうに顔を覗かせている。
ユーラが騒いだこともあるが、それ以前に聴力が優れている彼女なら会話の内容など全て筒抜けだろう。
ゼントは無言で手招きをする。きっと彼の表情はそこそこ怖かったはずだ。もしかしたら仲違いする可能性もあるのだから当然か。
どこから話をしようか、彼は剣幕すら伴って注意深くなる。遠回しに言っても先に察せられて意味がない。ここは単刀直入に行くべきだった。
二人は向かい合い、その間に横から入り込むような形でユーラが居る。
部屋の空気は一変し、誰しも皆が普通の話し合いではないと理解したのはこの時。
まるで、これから殺し合いが始まるのではないかと思えるほどだった。
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