第190話『阻喪』

 



「――うわっ!!?」


 それはサラとの密会を果たし、帰路に就いてすぐの出来事だった。

 まだ彼女との会話の内容が頭の中で整理できていない。もう二度と会えないだろうということも……

 こんなに質素な別れ方でいいものだろうか。しかし惜しみながらも、気を確かにもって一歩ずつ前に進み始めた直後――



「――ゼント」


 門の後ろ、ちょうど死角になっていた部分からライラが出てきた。まるで地面の中から出てくるようにのっそりと。

 ちょうど意識が正面に向いていなかったゼントはたちまち驚く。

 沈んでいた気持ちを急速浮上させられ心臓が跳ね上がると同時に、正体が枯れ尾花だった時のように胸を撫で下ろした。しかし、精神負荷はまたかかる。


 不審に塗れていたとはいえ、数日ぶりにサラと会話できて和んでいたというのに。

 だから少しくらい気が立ったとしても不思議なことではない。



「盗み聞きとはいい趣味だな……」


「話の内容はあまり聞こえて来なかったよ。それよりもゼント、どうだった? 約束通りに連れてきたでしょ?」


 ライラは皮肉をたっぷり込めた一言と鋭い眼差しをさらりと躱し、胸を張った自信満々な様子で語り掛けてくる。

 しかしゼントは色々と感情をすり減らしてしまい、会話する余裕がない。

 恋人を愛してないと言われたり、ジュリに襲われたと主張されたり……



「すまん、今日は疲れているんだ……それにもう遅いからまた日を改めて話さないか?」


「……分かった。じゃあ今日はおやすみなさい」


 疲労を感じ取ってくれたのか、案外あっさりと退いてくれる。それが今は何よりありがたい。

 サラを探し出し、連れてきてくれたことに感謝を伝えてもいいが、今日のところは早く帰って心身ともに休めたい。

 二言だけ話してゼントたちの会話は終わった。そして覚束ない足取りで今度こそ帰路に就く。



 最後まで見送ることもできなかった男が、ライラにはしっかりと家まで見送られ家の中に入る。そして無言のまますぐにサラの魔術具を部屋の隅に置いて隠した。

 でも周りにまで素振りは隠せず、流石にその行動や意気消沈した様子をジュリに気づかれる。しかし近寄って体をゆすってくる彼女をゼントは真面に取り合わず。



「ユーラ、今日は一緒に寝よう」


 そしてそう一言だけ告げてすぐに寝てしまう。ユーラはよくわからないといった様子だったが、何も言わずに受け入れていた。

 いつもしていたように二人で向き合って横になる。一人蚊帳の外になったジュリが心配してまた背中を摩ってきたが、それでもゼントは取り合わず。結局諦めたのかすぐ後ろで寝てしまった。



 ◇◆◇◆




 一夜を夢の中で過ごして、清々しい朝に起きられたら、いくらか気分も晴れているものかと思ったが。

 しかし視界は未だにぼーっとしている。もちろんそれは昨夜に情報が頭へ詰め込まれすぎたから。

 夢であってほしいという思いと、そうであってはならないという気持ちが同時に存在する。



 その後、いつも通りに三人で机を囲み朝食をとるも、気分は冴えわたらず食事すらも喉を簡単には通らない。

 情報は整理するまでもなく、しかし気持ちの整理は必須。それでもやらなければならないことはやっぱりあって……


 昨夜に引き続きジュリは終始心配そうに見つめ、そして駆け寄って首を傾げる。

 ユーラも明らかにおかしいゼントの様子を不思議そうな表情をした。



 食後にまずはユーラを一人で呼び出す。ジュリのことは一先ず後回し、奥の部屋にまた待機してもらった。とにかく今は話をしなければ。

 呼ばれて目前に現れたユーラ、互いに楽な姿勢で座って向かい合う。

 しかし彼女の表情は至極複雑だった。強いて言えば、羞恥心と恐怖とが雑然と入り乱れたような顔。


 少なくともいい気分ではなさそう。ただ話をしようと思っただけなのに何故そこまで怖がるのかが分からない。

 そして心配を煮詰めたような声色で質問してきた。



「……お兄ちゃん、昨日家を出てから何かあった?」


「何でもない。それよりも今日は大切なことを話そうと思う」


「うん……」


 ゼントは飾った態度であしらう。余計な不安を煽る必要はないし、話に集中してほしいから。

 思えば気を配る余裕がなかったのかもしれない。それでもユーラは素直で指示には従ってくれる。

 それが何より護りたくなる理由でもある。彼は思ったことを素直に伝える。



「前にも言ったけど……俺はユーラがどんな我儘を言おうと、見捨てたり嫌いになったりはしない。むしろ毎日食事を作ってくれたり水を汲んでくれたりして。本当によく助かっているくらいだ」


「うん……」



「だから、我儘の一つや二つくらいで幻滅なんてするはずがないじゃないか。もし改善が必要だと思ったなら直接伝えてやるし、例え言うことを聞かなかったのだとしてもここから追い出したりなんてしない。それが俺の誓ったことの全てだから」


「……うん」


 ユーラは俯きながらただ、しめやかに頷くだけ。最後の返事は少しだけ明るさを取り戻していたか。

 彼女の口元には笑みが見え隠れしているような気がした。しかしすぐに何かに掻き消されてしまう。



「これでもまだ兄ちゃんの事、信用できないか?」


「ううん」


 そして今回ばかりは首を振って即答する。辺りは先程より幾分、爽やかな色に塗りつぶさせていたはずだ。

 思えば彼が自分のことを“兄”と呼称したのは二度目か。自覚があるわけではないが、覚悟がないわけでもない。


 何も言わずゼントが手を差し伸べると、ユーラも動きを真似て重ねてくる。

 サラの誘いに乗らなかったことを今なら良かったと思えた。

 今度こそ護ってやろうと決意する。身も、そして心も。

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