第182話『漠然』

 



 一通り手紙を読み、理解し終えたゼントはこっそり、その役目の消えた紙を破って捨てようとした。

 なんとなく、ジュリに見つかると厄介なことになりそうだと思ったから。これから悪いことをするかのように心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 だから手紙の存在自体を跡形もなく隠蔽しようと、ちょうど真ん中の辺りから真っ二つに破り捨てようとする。



 だが、どうしたことか。切れ目ができるどころか少しも破れる気配がない。

 本物の羊皮紙であるというなら破りにくい訳もまだ理解が及ぶのだが、あんな高級品をここに使うとも思えない。

 表裏などがあるわけでもなく、見た限りは植物繊維を束ねて作られたもの。


 しかしどんなに力を籠めても形が壊れることなく、意思を持っているかのように姿をこの世に留めていた。

 理由は分からずともこのままでは面倒なことになると思ったゼント。


 慌てて部屋の中に舞い戻り、調理台の下にあった火の中に手紙をくべ入れる。

 するとようやく炭になって火の粉が上がり始めた。しかしただの紙にしては燃え広がり方がかなり遅い。



「一体何の素材に書いてあったんだよ……」


 完全に燃えきり、煙になって消えるその時まで目を離さず、でないと安心できなかった。

 後で問い詰めたいところ、だが……サラの捜索を任せている手前、強くは出られない。

 釜戸の奥で不自然に揺らめく炎を見つめならぼやくも、仕方なくため息を吐くだけに留める。

 ライラは何かと用意周到で気が利くと思っていたが、その後のことまでは流石に考える余裕がないらしい。



「どうしたの? お兄ちゃん」


 横でユーラが首を傾けながら尋ねてくる。料理の盛り付けをしながらもゼントの奇怪な行動を見ていたらしい。

 先に朝食の席に付いていたジュリも不思議そうに見つめてくる。



「いや、大したことじゃないよ」


「……ふーん」


 ユーラもなんだかんだジュリと仲がいいはずだから露見すると困る。だからなるべく平静を装って言葉を返した。


 しかしやって来た感情のこもっていない相槌に背筋に冷や汗が湧きだす。

 理由ははっきりとしない。でも彼女は自身の持つ亜麻色の髪を小気味悪く垂れ下げている。

 予想以上にこちらの心を見透かされているようで、蔑んだ気持ちになりそうだ。



「そういえば、きのうはジュリと一緒にねたんだね……」


「あ、ああ。そ、その、ごめん、色々とあってな……」



「……? 別に謝ってだなんていってないよ?」


「そ、そうなのか……」


 彼女は最近心境の変化があったのか、あまり我儘を言わなくなってきている。

 いつもの声には覇気がなく、落ち着いているというよりは冷たかった。

 これも全部自分が齎した結果なのかと思うと心を痛めずにはいられない。


 日課として頭を撫でたり抱き寄せたりはしていたが、それ以上のものを要求してこず。

 だからといって日課をこなさないとそれはそれで頬を膨らませるのだが、一緒に寝ることはあまりなくなった。


 ……いや、ジュリがやって来たせいでしばらくはできなくなっていた、とするべきだろう。

 対応がおざなりになっていたことは事実。事情が事情ではあるが申し訳ない。


 そのためか、一緒にいる時は余計に怖く恨めしそうな目をするようになった。踏み込んだ言い方をするなら、軽蔑に近いものを感じる。

 しかし特に不平を漏らすわけでもなく、こちらとしてもどうしたらよいものかと困る。

 不満が溜まっているようなら近いうちにゆっくり話をする機会を作りたいと考えていた。





 その後、とりあえず朝食は済ましたが、さてこれから夕方までどうしよう。

 このまま約束の時間までユーラと二人きりのお話しをするか。


 あるいは少なくなってきた食料を買い足しに行くのでもいい。

 やっとジュリの許可が出て外に出られるようになったから、久しぶりに町に繰り出したくなる。

 ついでに昨日の夜にできなかったカイロスへの報告も済ませておきたかった。

 顔を出さないと心配して遣いを出されるかもしれないから、ジュリが居る状況でそれは避けたい。


 加えて言うなら、家にいると何がきっかけで約束の件が露見するかも分からない。

 ジュリなんかは特に感覚が敏感だから、そわそわと気持ちが上振れて余計に勘繰りされやすくなる。

 少なくとも今日一日は彼女と顔を合わせないほうがいい。その為には外出が手段として一番なのだが……




 ゼントは悩みに悩んで……かと思いきや、案外単純に本日の行動指針を定める。今日は夕方まで家に居ようと決めた。

 ユーラの先ほどの態度が気になるし、これで外に行けば自分の欲求を優先することになる。


 忍び寄っている問題を後回しにしているような気もするが、それも夕方までの辛抱。

 全てが終わったらそれぞれにできる範囲で打ち明けよう。何も後ろめたいことなど無いのだから。



 そういえば……ジュリはサラのことを知っているみたいだから、会うことは教えておいた方がいいのか?

 いやしかし、どちらにせよジュリは町中を出歩けないから逆に悲しませてしまうかもしれない。あえて黙っておこう。

 二人を会わせるならサラの方からここへ来てもらうしかない。



 その他に疑問が浮かんだのだが、ライラはサラに“会わせてあげる”と言っていたが、その文言は一体何を指しているのか。

 サラはそのままこの町に帰ってきていつも通りの生活を送るという意味だろうか。あるいは会ってまたすぐに旅に戻るという意味か。

 今までは希望的観測でなんとなく前者だと思い込んでいたが、訳あって突然町を出たというなら後者の可能性も十分ありえた。


 そもそも相手の都合も考えず探し出していいものか。確か協会に預けられていた手紙には、後を追ったり探し出したりしないでと書いてあった。なのに……

 ……少し胸の内を落ち着かせよう。これからユーラと接するのだから。


 それにライラは既に動いている。今更怖気づいたところでどうにかなるものでもない。

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