第181話『何者』
――日没後、部屋の中の灯りはゼントの炊いた角灯のみ。
恐怖故か、あるいは悔しさからか。薄明り中の居心地悪い空気の中、ジュリの瞳には涙が浮かぶ。
炎の灯りに照らされて、夜闇に浮かぶ煌めき。それは紛れもなく胸の内を曝け出していた。
しかしゼントの心は揺れ動くことなく表情は冷たい。
魔術具を持ち出す、という行動は理解できる。身を護るために最善の選択をしたまで。
だがどんな理由があろうと、他人の持ち物を使おうとしていたのはいただけない。しかも正式に譲り受けたわけではないものを。
ゼントにとってはサラの形見に近いものだ。それを信頼はあれど、割り切れない気持ちを抱える相手には持っていてほしくはない。
そもそも簡単に力を発動できるものでもないわけで、そんな曖昧なものに全てを賭けるのも理解できない。
しかし今回に限っては誰も悪いわけではなく、今の目的はライラを一晩ここで寝かせること。
その為にジュリの理解を得ることは必要不可欠。だからなるべく優しく語り掛け説得する。
「――こいつは何もしない。ほら、今ならこんなことしても……」
未だ戦慄を宿したジュリを安心させるため、徐にしゃがみ込んで寝ているライラの頬を何度もつついてみせる。
思っていたよりも柔らかい反発に面喰いながらも、だんだん楽しくなってきた。
しばらく触っていると、ライラの体がくすぐったそうに動き、つられてジュリの体も飛び上がる。きっと目を覚ましてしまうと恐れたのだろう。
でも言った通り、つつかれたライラはそれ以降目を覚ましたりしない。
彼女ほどの強者が未だこんな呑気に寝息を立てているのも不思議な話だが……
今はジュリの不安を解消するための足掛かりとなってもらおう。
「だから一晩だけ泊めてやってくれ。明日の朝には無理やりにでも追い出すから」
ゼントは寂しい感情を目の奥に潜めて言う。それは心境をライラの方へ寄せていたから。
だがジュリは目を細めて警戒を緩めない。でも少しは怪訝さが薄まってきている気がした。
一旦流れを変えようと思って、魔術具はタンスの奥にしまい、ライラには毛布代わりに自分のコートを掛けて意識を整える。
「分かったよ。ほら、いつもみたいにしがみ付いてきていいから……」
ゼントは身に着けていた武器も防具も地面に落して、ほとんど寝巻の姿。
そしてもう一押しとばかりにジュリに近づきながら両手を広げる。全てを受け入れる体勢だ。
何故ジュリが進んで抱き着いてくるのかは分からない。
だが体を密着させている時はある程度落ち着いてくれる。
だからこれが一番手っ取り早く宥められる方法だった。
状況的に素直になれず、突き放される可能性もある。
だが傍まで寄ると、納得はしていないようだがゆっくりと近づいてきて、いつもの抱擁がやってきた。
同時に胸の辺りに過程に見合う締め付けられる感触が伝う。
柔らかくも力強く、人一人分の重さが体に掛かるも、どうしてだかそれ以上の心丈夫を覚えた。
「つらい思いさせてごめんな。今はこれで許してくれ」
考えてみればジュリは今日一日、ずっと恐怖に苛まれていたのだ。
扶養すると決めた以上、面倒を見て多少なりとも要求には応えなくては。
そのまま地面に横になり、様子を確かめながら今度は逆に抱きしめる。撫でるためではなく、もっと安心させようと思って。
ジュリは驚きを見せるがすぐに目尻を下げ多少顔を赤らめた。その全ての厚意が自分に向いていなくても嬉しかったのは間違いないから。
二人はそのまま眠りにつく。最近はよく見る光景でもゼントから体を丸めたのはこれが初めてだ。
夜の腹ごしらえがまだだが今はそんなのどうでもいい。護るべき流れるような手触りをかみしめながらそう思う。
そのまま体を寄せ合い凍てつくような夜を越えた。
早く明日の朝になってほしいと互いに祈りながら。
――翌朝、二人は特に何事もなくジュリと同時に目を覚ます。
ユーラはいつもとのように朝食を作り始めていて、もう完成間間近だった。
見た瞬間に恨めしそうに拳を握り締めていたこと以外は平穏な早朝。
それ以外の目立ったことと言えば、ライラの姿が部屋のどこにも見えなかったことか。
夜の帳が昇る前にこっそり抜け出したのだろう。追い出す手間が省けたが、少し心寂しかった。
常人以上に朝が早いとはいえ不思議なことでもない。彼女にとって今日一日は激動のはず。
魔術具は言った通りしっかり元の場所に置かれていた。二度と貸す心算もないが。
誰にも告げずに出ていった代わりに、机の上のとても分かりやすい場所に見覚えのない紙が置かれていた。
ゼントは外の空気を吸いに行くと二人に告げて、玄関前でこっそり紙を開く。どうやらライラからの置手紙のようだ。
『大好きなゼントへ。間違いなく今日、約束通りサラに会わせてあげる。夕方、北西の門まで誰にも見られないように来てね』
冒頭の際どい文字列はともかく、まるで手書きにしては中央の公文書みたいにきれいな文字だった。この字の形は最近もどこかで見たような気もするが。
それに“誰にも見られないように”という文言もどこか胸に引っかかる。町に戻ってくるならみんなに伝えればいいのに。
もしや、ライラは何かしらの事情を知っているのだろうか。ジュリが教えたがらない理由も知っているのか。
疑問は尽きることなく。とはいえ、今詮索しても何かが分かるわけでもない。
今気になるのはその次の、最後に付け加えるように書かれていた強烈な一文だ。
『――ゼントは、運命って信じる?』
一見、荒唐無稽で突飛な単語が出てきた。周囲との脈絡もなければ、短すぎて何を意図しているのかも分からない。
だがゼントはその問いに対して即答した。まるで何かを察したように目を鋭く尖らせて。
「――ああ、信じているとも」
たった一人しかいない空間で臆することなく堂々、静かな朝で裏の森にも微かに響く。
想起するのはかつての恋人。何もない己に最高の人生を与えてくれた愛しい存在、同時に絶望の始まりを告げた存在。
しかし単に肯定しただけではなく、やはり言葉には続きがあるようだ。
ゼントの口は次の言葉を紡ぐために新たに動き始める。
「――だがしかし……運命ほど儚いものも今の俺は知らない」
そこには弱々しく息を殺し、拳を垂れ下げる青年が居た。
半年間孤独に耐え、そして耐え兼ねて動き出した者が。
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