第177話『前身』
あの後から二人は離れずに、そして無言に作業を続けている。
ゼントは気まずくて、とてもではないが言葉を交わす気にはなれない。だから手を動かす以外の動作をしなくなる。
例の頓死した女の事、正しい行動を理解はしても受け止めきれるかは別だ。
あの時殺さない選択も取れたライラを、責める資格が自分にはない。それが一番惨めで許せなかった。
一方ライラは全くと言っていいほど気にしていないが、それでも先程の情景を頭の大部分で思い浮かべている。
彼女が唯一気になったことと言えば、何故ゼントは女性に詰め寄られても一切抵抗していなかったのか。
感情が理解できないからかもしれない。しかしそれにしても、どのような差があるのか理解できなかった。
時折、自身の手が震えていることに気が付く。その原因は定かにはならないが。
死体は増えてしまったが最終的に二体に収まる。ライラが本気を出せば死人などいなかったはずなのだが……
本当は全員生け捕りにして奴隷として売った方が冒険者的に稼ぎにはなった。が、ゼントの頭にそんな思考は微塵もない。
余計な手間が増えようとも危険が増えない限り行動は決まっている。
作業はただただ地味でも滞りなく終わった。縛り上げた盗賊共を外に運び出し、女の死体も戦利品を剥ぎ取ってもらうため入り口前に運ぶ。
人一人を運ぶのは本来なかなかに労力が居るのだが、ライラがほとんど担いでやってくれた。
途中覚醒して喚き出す者もいたが、またしても対処してくれてゼントは助かってしまう。
その後も一切声を出すことはない。結局協会の遣いがやってくる夕方まで、互いに視線を外しては黄昏の如く拘泥と沈思をしていた。
ライラはさっさと町に戻ってサラの捜索を始めるべきと思ったが、特にそう切り出せるはずもなく。
やがて護送の使者がやって来ても業者の男とは最低限の事務的な会話しかできず、静謐を保ったまま依頼は完了となる。
業務を引き継いで、二人は一足先に町に戻ることにした。森を抜けて街道に戻っては再びルブアへ向かう御者を頼って乗せてもらう。
行きとは違い、心の解れる帰りの馬車。前回よりも荷物が多く窮屈だが緊張が無い分何倍もましだった。
ゼントは帰りの揺れる荷馬車の中、行きと同じく対になるように座っている。
だが視線は交わさず、小高い森の向こうに沈む日を見ながら薄明の思慮に耽った。
家にいる二人の心配、ジュリが居れば大抵のことは問題ないとは分かってはいる。
しかし行動理由の大半を占める存在に心留めるのは、むしろ強く推奨されるべきだ。
冒険者として働くのも全ては彼女と、そしてユーラの為だから。
もう一つの心配は言わずもがな。文字通り敵を瞬殺できるライラの力について。
既になんとなく気づいていた。自分が命令すれば世界のどこにいる人間でも暗殺してくると。
仮に対象が王女や皇帝だったとしてもきっと結果は変わらない。
魔術具を持っていたとしても彼女の素早さに敵う者はいないだろう。
世界を滅ぼすと言っても過言ではない能力。故に強大な力に対して確実に手綱を握り切らなければならなかった。
扱いきれない力は自分に向くことも多々ある。今日の動きを見る限りは大丈夫そうだが、先の未来まではそうとも言い切れない。
命の尊さをのっぺりと捉えている奴だ。ある日唐突に気に入らないと言われて殺される可能性もなくはない。
皮肉かもしれないが、理性的で短絡的ではない性格がある程度の抑止力になっていた。
ゼントの頭にはあれやこれやと心配事や不安がとめどなく零れている。
だからライラの動きなど全く視界に入れていない。いや見ていたとしても反応できるかは別。
――その出来事は突然に起こった。
――ライラが突然体を起こし、隙間なく詰め寄って来たのだ。
気が付いて不意に首を戻すと、もう彼女の顔がすぐそこに。
大きな赤い瞳が網膜に映し出され、鼻先同士が微かに触れ合う。
先程までライラは相変わらず、身の丈に合わない大剣を嬉しそうに抱えていた。
そして反対側の壁に寄りかかっていた。そこまでは視界の端でたった今も捉えていたはずなのに。
青天の霹靂……とまでは言えなくとも、心臓が飛び出そうなほどには驚いたことも事実。
気が動転して目を見開き、凭れかかって壁からは支える力が抜けてずり落ち、床に仰向けに倒れこむ体勢となった。
荷馬車の中は狭く逃げ場がなく、更に両手首を彼女の手に抑え込まれて身動きが取れなくなる。加えて下半身も体重で動けない。
それは奇しくも、洞窟内で盗賊の女が飛び掛かって来た時と同じような体勢だった。
沈みゆく夕日に照らされてライラの白い肌が鮮やかに浮かび上がる。
ゼントの額を始め全身には冷や汗が滲んだ。まさかこのまま彼女に襲われるのではないかと息が詰まる。
しかし向こうの表情は恐怖を与えるものではなく、強いて言えば疑問を感じさせた。
だからといって何か仕掛けようとしているのは確か。
すぐに大声を上げようにも胸が苦しく呼吸が整わない。
静寂であっても決して穏やかではない様子がそこから見て取れた。
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